刻の振り子 ── 第二章 ギン ──



その子供を見たのは虚退治が終わり、瀞霊廷へと帰る道すがらだった。
本当は隊長自らが出向く程ではないと判ってはいたのだが、定期的にこうして実戦の場に自分を置かないと腕が鈍ると、口うるさい副官や三席を黙らせて、さくさくっと虚を片付け報告のため隊士を一足先に帰した一護は、久しぶりに来た流魂街をしばらくぶらついていた。
何も目的なくウロウロとしていた訳ではなく、そこには一護だけにしか判らない理由もあった。
虚の実験場──。瀞霊廷のように霊圧統治された場所ではない流魂街には、いくつか霊力が澱む
場所というものがある。虚が好むのは決まってそういう場所で、そしてその場の澱みが濃い場所ほど強力な虚が育ちやすくなる。日頃の業務が忙しくて本来やるべき事が後回しに為らざるを得ないのは仕方がないけれど、こうして瀞霊廷の外に出る機会にこうやって何箇所かのポイントを巡って今の現状を確認しておきたかった。
目を付けていた場所を一通り巡って、現状を確認し、新たに何箇所かの候補を見つけてこの時の
一護は少し機嫌が良かった。久しぶりに体を動かせたというのも大きかったのだろう。
一護の瞬歩のスピードは恐ろしく速い。現行の隊長格で付いていけるのは恐らく『瞬神』と言われる
夜一くらいのものだろう。そのスピードで一護はその場所を探してかなり深くまで流魂街に潜っていた。
そろそろ帰らないとさすがにまずいな…と思い、漸くポイント巡りを切り上げて瀞霊廷に向かっていた
時だった。
───なんだ……?
ふっと、強い霊圧に触れた。
ほんの一瞬、髪の毛の先に感じるくらいのちりっとした感覚。
一瞬他の隊長格が近くにいるのかと思ったほどだった。
気になって足を止めて辺りを探る。今では先程感じた霊圧が錯覚だったのかと思うくらい、辺りはしんとしている。僅かな霊圧の乱れすらない。
それでも、一護は自分が感じた感覚が錯覚だとは思えなかった。
なぜなら……静かすぎるのだ。
自分の霊圧が強大で、しかもかなり無頓着に垂れ流しているせいで(一護はこれでも十分に押さえているつもりなのだが)一護は周りから霊圧コントロールが苦手なのだと思われてきた。
他人の霊圧探知も同様に一護の苦手分野だと護廷の誰もがそう思っている。
だが、実のところ一護は霊圧探知にはかなりの自信を持っていた。ほんの僅かな、今にも消え入りそうな霊圧ですら、集中すれば探るのは容易い。苦手だと思われているのならわざわざ手の内を明かすことはないと思っているだけの事だった。
先程感じた霊圧の感触を頼りに辺りを探る。
そして、見つけた。ここから瞬歩で僅かに離れた場所にあるその霊圧を。
だが、これは───。
へえ……
少しばかり驚きに目を見張り、そして面白そうに口の端をにやりと上げる。
そして、一護はその場所へと地を蹴った。


「あ〜、やっと見つけたぜ」
そう声を発した途端に、後ろを向いていたその銀色の髪の子供は驚くほど素早い動きでその場から飛び退り、一護からかなりの距離を開けて一護に向き直った。
大事そうに抱えた腕の中にはおそらく食べ物を入れてあるのだろう、ぼろぼろの袋をしっかりと抱えている。ひょろりとした長い手足、やせ細った体。開いているのかどうか判らないほどの細い目。それでも顔立ちだけは恐ろしく整った子供だった。身なりはボロボロで顔といい体といい汚れまくっている。
その中で一際彩を発しているのは、その見事な銀髪だった。
まるで野生動物のようにピリピリと警戒を露わにした霊圧。
けれどそれは自分の意志の元に極限まで抑えられている。見事なまでの霊圧コントロールだった。
そして、その子供の不機嫌そうにへの字を描いた口元が何かをぼそりと呟いた。
「…死神…」
普通の魂魄では聞き取ることのできないその呟き。それを聞きとがめて一護はにっと笑った。
「そう警戒すんなって。…って言っても警戒すんのは仕方ねーけどな。別に俺はお前の持ってるもんも、お前の命も、なんも欲しくねえよ」
そう言って一護はその場にどかりと座り込んだ。
単純に立ったままだと思いっきり上から目線になる為、子供に合わせて目線を降ろそうと思ったのだ。
尤も、そうした所でその子供の目線が何処を向いているのかは判らなかったけれど。
「なんの…用や…」
またしてもぼそっと呟かれた言葉に一護は僅かに眉を寄せる。
「ああ?お前ちゃんと腹から声だせよ。腹減って声が出ねえ訳じゃねえんだろ?」
聞こえはするがぼそぼそと話されるのはやはり気になって仕方ない。
警戒しているから仕方ないか…とは思うが、面白い事にこの子供はいくら押さえてあるとはいえ、隊長格である一護の霊圧を前にしても怯えている訳ではなさそうだった。
それはそうだろうと一護は心の中で独りごちる。
なぜなら、この子供の霊圧は隊長格にすら匹敵するほどのものだったのだから。
相変わらず口を引き結んだまま、じっと一護の様子を見ている子供に、このままでは埒があかないと一護が口を開いた。
「お前…さっき放ったの、鬼道だろ?どこで覚えた?」
「…き…どう?」
一護の問いに、子供はなんの事だというように首を傾げた。
「そう、鬼道。お前がさっき使ってたやつだよ」
わからないと首を傾げる子に一護はそう指摘する。その言葉に漸く合点がいったというように子供は
ぽつりと口に出した。
「なんや…アレ、きどう言うんや…」
「…お前知らずに使ってたのか?」
驚いたように目を見開く一護に再び子供が黙り込む。
やべえ…怖がらせたかな…と、一護はがりがりと頭を掻いた。ぶっきらぼうなのは俺の性格なんだよと言っても如何せん初対面の警戒しまくった子供だ。さすがにちょっと愛想がなかったかな、と反省するが今更猫なで声を出しても返って胡散臭いだけだと一護は開き直った。
それでも、なるべくきつい言い方にならないように話しかける。
「別に怒ってる訳でもねえし、咎めだてするつもりもねえよ。ただ、こんな場所で鬼道打った形跡があったから気になって来ただけだ。つーか、警戒心強えのは判るけどいいかげんふつーに話す気になんねえ?」
「…めんどくさ…」
まるで大人のようにぽつりと零してため息を吐く。やっかいなのが現れたと言わんばかりのその態度に、対する一護の方が大人げなかった。
「てめー、聞こえたぜ!?ボソボソ言ったって俺は耳は良いんだよ!」
「めんどくさ言うてるんやから、さっさ帰ったらええやろ」
その言葉に開き直ったのか、今までボソボソと話していたのが嘘の様に、子供は今度はしっかりした口調で心底迷惑そうに言った。
少年期特有の少し高めのトーン。それに思いっきり険を乗せて眉を顰める。
その言葉に今度は一護は怒るでもなく楽しそうに笑った。
「なんだ、ちゃんと喋れるんじゃねえか。ってお前すっげー訛りだなー」
「見ず知らずの死神からそんなん言われる筋合いあらへん」
負けじと言い返す気の強さに、一護は面白いなーと口の端を上げる。
どちらかというと大人しく聞き分けの良い子供よりも、こういう我の強そうな子供のほうがらしくていいと一護は思う。
「ああ、悪ぃ。俺の同僚にも同じ様な訛り話す奴がいるからさ。お前と現世の出身近いのかもな。」
「…別にどうでもええ…。覚えてる訳やあらへんし」
「ま、そりゃそーだ。で、いいかげん最初の質問答えてくんねえ?その鬼道、何処で覚えたんだ?」
あくまで引く気のない一護に、いい加減諦めたのか、子供はやれやれとこれ見よがしに肩を竦めた。
「何処て…。見よう見まねや。たまーに死神が虚退治に来るやろ、そんとき使うてるの見てこれなら出来そうやな思て、…やってみたらできただけや」
「見た?…見ただけか?」
「そうや。大体霊力持っとっても使い方判らんもんばっかり居るなかで、誰に習う言うん。そんなん教えてくれるの死神学校だけやろ?」
問いただす一護に子供は酷くまっとうな台詞を吐いた。
そう、この流魂街でいくら霊力を持っていたとしても、それは何の意味も持たないのだ。
意味がない所か…それは死ぬ確率が上がるだけの話だ。
だからこそ、その生活から抜け出したくて、死神を目指すのだ。

「お前さ、さっきの鬼道もう一回打てるか?」
子供の目を見据えたまま一護が聞いた。
どうしても、この目で見たくなったのだ。
その問いに子供は僅かに逡巡した後、こう言ってのけた。
「……あんたに打ってもええ言うんなら」
その言葉に一護は一瞬目を見開いて、次の瞬間思いっきり吹き出した。
「あははは!面白え奴だな、お前!いいぜ、じゃあ俺に向かって打ってこいよ。俺は止めるだけ。
なんもしねえって約束すっからさ」
からからと笑いながら言う一護に、本気かと言うように子供が目を見開いた。
そう言えば諦めると思ったのに…という顔だ。
けれど、笑いながらも引く気のない一護の様子に、またもや子供の顔に諦めの表情が浮かんだ。
そしておもむろに手に持っていた袋をどさりと落とす。
「破道の三十一 赤火砲」
それはいきなりだった。
袋が地面に落ちるまでの、ほんの僅かな隙。
相手が気を取られる一瞬を狙っての見事なものだった。
恐らく、ただの魂魄や、霊力が高いだけの魂魄など一溜まりもなかっただろう。
いや、恐らく下位レベルの死神ですら止める事はできなかったに違いない。
気の練り方も、力の乗せ方も、そして相手を殺す程の殺気も───。
ただの見よう見まねでできるレベルを遙かに超えていた。
それも、詠唱破棄で。
子供から放たれる殺気と鬼道を僅かな指の動きだけでするりと払うと、一護は感心したようにその子供を見つめた。
「……ふん……」
自分が打った鬼道を一護が払った事にすら当たり前のような顔をして、つまらなそうにまた口をへの字に曲げる。
恐らく、今打った鬼道は、先程一護が感じたものとは比べものにもならないくらいにこの子供にとっては渾身の一撃だったのだろう。
その証拠に、軽く払ったとはいえ、僅かに一護の指先に痺れが残っていた。
だが、それを一護が躱す事などとうに判っていたというように、悔しがるでもなく肩を竦める姿に一護は益々興味を引かれた。
「すごいな…」
「…おおきに」
まったく感情を乗せずに口先だけで礼を言う。
「なんだ、悔しくねえの?」
揶揄うように言うと、ひょいっと肩を竦めて落とした袋を拾う。
「なんで?やってあんた死神やろ?こんな見よう見まねの流魂街のガキにやられるようやったら、死神なんかやっとる資格ないんちゃうの」
「くっ…ははははっ!やっぱ、お前おもしれーわ!そりゃそーだ。お前の言ってる事の方が正しいわ」
「そら、どうも」
「でも、やっぱお前才能あるよ。覚えてるのってこれだけか?」
「…見たんそれだけやったし。」
「ふうん、何回見た?」
「一度だけ」
「そっか…なら…」
そう言って一護はよっこらせと立ちあがった。
「本当はマズイんだけどな。一度だけならいいだろ」
「?」
「破道の三十三 蒼火墜」
聞き取り安いようにしっかりと発音して、破片が飛ばないように少し遠くの木に向かって放つ。
瞬間、空間にひずみが出来るほどの気が辺りに放たれた。
砂煙が舞い上がり、それが晴れた時には一護が狙いを定めた木は跡形も無くなっていた。
「まあ、手加減した鬼道見せても仕方ないしな。…でも、結構これでも俺は力抜いてる」
「…それ、自慢?」
ぽつりと言うのに一護はくわっと返す。
「お前に自慢してどーすんだよ!いいか、お前が覚えてる赤火砲と今打った蒼火墜はまだ破道の中では下位クラスの鬼道だ。それでも、霊圧さえしっかりしてればかなりの威力になる。とりあえずなんかあったらコレで凌げ。あーそうだ、縛道もいっちょいっとくか」
「ちょ…ちょっと、あんた何言うてんの…?」
一護の行動に訳がわからないというように子供が目を剥いた。
別に死神の掟を知っている訳でも、知ったからと言ってどう思う訳でもないが、死神学校の生徒にならいざ知らず、流魂街の子供に鬼道を教えるというのは、誰がどう考えても完全な違反ではないのかと思う。
もちろん、覚えたら使う気まんまんだ。それを使って盗みも働けば殺しだってする。
そして恐らくそんな事はこの死神にだって判っているだろうに。
「あ?なに?」
けれど、肝心の一護はそんな子供の心中を知ってか知らずかとぼけた返事を返した。
「あんた…アホちゃうの?ボク覚えたら、間違いなく使うで?」
「うん、だから、どーせなら縛道も覚えろ、な?」
「な?…ってあんた…」
にっこり笑う一護にぽかんと口が開く。
「縛道ってのはな、よーするに相手を動けなくさせる方法だ。つまり、これを覚えとくと相手を殺さずに物だけ盗れる」
「盗れるって…」
なんだ、こいつは。盗み推奨なのか?いや、なんと言われても生きていく為にこれからもバリバリ盗みますが。
「あのな、こんな場所で霊力持った子供に物を盗っちゃいけませんなんてお綺麗な事言うつもりは俺にはねえよ。でも、相手を殺さずに済む方法があるんならそれに越した事はねえだろ?どーせ殺すんなら、誰かの為、何かの為に殺れ。自分より明らかに弱い奴殺ったって仕方ねえだろ」
「……それは死神の理屈やろ……」
一護の言葉に、不快な事を聞いたというように子供が顔を歪める。
こんな地獄のような場所で生き抜いてきた子供に善悪を説いても今は意味のない事だというのも一護にも判る。けれど、一護にはわかっていた。この目の前の子供が、そう遠くない未来にあの自分が住み慣れたあの場所にいると言うことを。そして…それが、自分に限りなく近い場所に居ると言うことも。
ただの、カンだ。
いや、予感という方が正しいかも知れない。
この出会いには、きっと、意味がある。

「お前…死神になる気ねえ?」
「はぁ?」
するりと、その言葉を口にしていた。
いや、恐らく自分以外でもきっと口にしていただろうと思う。
それほどに、希有な才能───。
「ま、ゆっくり考えな。お前の進む道だ。じっくり考えて好きな道選べ」
そう言って一護はふっと瀞霊廷の方へと意識を飛ばす。
そろそろ戻らないとまたあの心配性な部下がヤキモキして飛んでくる。
「んじゃな」
軽く片手を上げて踵を返す。と、漸く解放されるかとほっとした子供が驚いて全身の毛を逆立てる程の勢いで一護が振り返った。
「あ!一個だけ!」
「な…なな、なんやっ!」
「お前もし他の奴から誘われても、誘いに乗るなよ!?お前誘ったの俺だし」
余りに自分勝手な言い分に、子供が目を見開く
「なに言うてんねや。そんなん誰の誘いに乗ろうとボクの勝手やんか」
「…そりゃそうだけどさ…。俺お前の事気に入ったし」
「見知らん死神から、お前お前連呼されて気に入られた言われても、ちーっとも嬉しくあらへん」
「あ!そうだ。ワリぃ。自己紹介してなかったな。俺は黒崎一護。一つのものを護ると書いて、一護だ。
よろしくな」
にっこりと、まるでお日様のような笑顔で一護が笑う。
一点の曇りもない、明るい暖かな笑み。
冷たい冷酷に心を凍り付かせながらも、同時に何もかも包み込むような暖かな笑みを乗せる。
それはどちらも一護の真実で。
その二面性こそが一護の本質だった。
「じゃな、これ以上居るとマズイんで、ほんとに帰るわ」
そう言って一護は気に入ったという子供の名前すら聞こうとせずにさっさとその場を立ち去ろうとする。
それに慌てたのは、当の子供だった。
「───ギンやっ!」
地面を蹴ろうとした一護に、向かって大声で叫ぶ。
「は?」
「ボクの名前や。お前言うないうてんのにボクの名前聞かんってどういう事や!ギンや!市丸ギン!」
子供からでた言葉に、一瞬惚けたような顔をした一護は、次の瞬間うっとりとするほど綺麗に笑った。
「おう!じゃあ、またな!死ぬなよ、ギン!」
「ボクが死ぬ訳ないやろ───」
地を蹴る一護の背に叫んだ子供──ギンの声は、遠ざかる一護の鼓膜に心地よく響いてきた。


そうだ、死ぬな、ギン。
俺が見つけた面白い子供。
そして、心の奥底に闇を巣くった可愛い子供───。
俺には、見える。
いつの日か。真っ白い玉座に座る自分と、それを囲むように立つ男達の姿が───。
その中に。
きっとお前は居る。
今よりもずっと大人の姿で。銀色の髪を揺らして。
いつの日か、俺の為だけに剣を振るう姿が──俺の為だけに幾多の血を浴びるお前が。


その日を思い描いて、心底楽しそうな笑みをくつりと一つ浮かべると、一護は自ら描いたその未来を振り切るように、自分の帰りを今か今かと待つ部下の元へと、微笑みながら空を駆けて行った





第二章 end
   



※一章に引き続き第二章。
なんとなく対のような話なので、一気に書いて一気にupしました。
大人市丸氏ばかり書いてきたので、仔ギンは新鮮でしたv
でもなんかギン一護に全然懐いてないし、警戒心丸だし。
護廷上がる頃にはべったりの予定なんだけど、本当にそう動いてくれるん
ですか!?市丸さん!?