五章、ギンの入隊前の一コマです。
なんで五番隊にギンが配属されたのか…の裏話。
軽〜く読み流してくれれば幸いです。


刻の振り子 ── 第五章 序幕 ──  




「のう藍染。お前、なんでそんな辛気くさい顔しよんねん。こないなイイ天気に」
後ろを歩く藍染に振り返りざまそう言う平子に、藍染は分かりやすく眉を下げた。
「別にそんな顔はしてないつもりですが…。と言うより平子隊長、振り返る前からよく表情なんて分かりましたね」
「アホ言え。分かるわい、そんくらい。せっかくガチガチの部下労うたろ言うてんのに、親心の分からんやっちゃな、お前は」
「隊長…それは『親心』ではないと思いますが…。それに、"視察"に行きたがったのは隊長の方で
しょう?自分は単なるお供です」
「うっさいわ。自隊の隊長言うたら、親も同然じゃ。少しは孝行せぇ。ホンマお前は可愛くない奴やな」
晴れ空の下、まだ午後の業務時間の為どこか閑散とした瀞霊廷を五番隊の隊長・副隊長が連れ立って歩いていた。
この辺り一帯は、食事処や商店街に差し掛かる道で、昼時や夕方は兎も角、今の時間に出歩いている死神は少ない。だが、まったくの皆無という訳でもなく、時折すれ違う死神達からは、片やブツブツと文句を言いまくり、片やそれを宥めながら歩く隊長・副隊長という構図に、あからさまではないが些か好奇の目を向けられていた。特に、平子に。

「隊長…。いくら隊長が"視察"だと言い張っても、実際はサボりなんですから、もう少し控えめになさって下さい。ただでさえ隊長は目立つんですから」
「ああ?しゃーないやろ。こんないい男が目立つな言う方が無理やで。大体サボるサボらん言うんは俺の隊やから俺が決めるんじゃ、ボケ!…って、あれ、一護やんけ」
藍染の言い分に、ケッと唾を吐きかけるように言い捨てた平子が、視界の端に夕焼け色の頭を捕らえる。
それに釣られるように目を向ければ、──だが実際は平子が気づく前には気づいていたのだが──そこに、愛してやまない自分の主の姿を捕らえた。
「おう、一護!何処行くんや」
「──平子」
その声に、一護が視線を向けて、こちらに向かって歩を進めてきた。

「なんだ、こんな時間に…珍しいな。そっちこそ何処に行くんだ?」
平子に向かってそう言いながら、一護が藍染にも視線を向ける。
それに、行儀よく一礼しながら、藍染が若干困ったような笑みを浮かべた。
「…なんだ?」
「いえ…今日は天気もいい事ですし、業務も暇だという事で…平子隊長独自の視察です。これから」
「なんだそりゃ」
藍染の色々と含みまくった言葉に一護は平子に視線を向ける。
だが、それに悪びれもせず、平子は堂々と言い放った。
「やから、視察や。これから」
「どこに」
「それはまあ…色々や」
「ええ。『久里屋』にですが」
さり気に誤魔化そうとした平子に、藍染がすぱっと行き先をバラす。
何の視察って、『久里屋』の新作和菓子の"視察"だ。つまりは、サボりだ。
それにすかさず平子が目を剥いた。
「おぇ!藍染!何バラしとんねんっ!コイツこういうの煩いんや!」
「もちろん知ってます」
しれっと言い放つ副官に、苦虫を噛み潰したような顔をした平子に、珍しく咎め立てすることなく一護が笑った。
「ったく…しょうがねぇなぁ…。藍染副隊長、どうだ。平子隊長のお守りは大変だろ?」
「ええ、まあ。でも楽しく勉強させて頂いています」
にこやかに語る、元・同隊の隊長と三席。
他者から見る付かず離れずの会話は、この二人にとっては既に日常と化している。
それはいくら鋭い平子でさえも懸念を抱かせない程に、極自然に交わされる遣り取りだった。
藍染と一護が繋がっている事を知るものは、誰一人としていない。
それは同じく一護の腹心の部下である東仙についても同じ事だ。
元自隊の隊長である一護を慕う者としての、不自然にならないくらいの微妙な距離感。
藍染が五番隊に移籍してから、この平子の目を欺き続ける事は、今や藍染の密かな楽しみにすらなっていた。

「そっか、じゃあ、要するに今暇なんだな」
ぽつっと呟くように一護が言う。
それに平子は何だと言うように片方の眉を上げた。
「じゃあさ、ちょっと藍染副隊長借りてもいいかな」
突然の一護の申し出に、平子が怪訝そうな顔を一護に向けた。
「なんや、何かあるんか?ってか、デートの誘いやったら、こいつより俺を誘わんかい」
「え〜。お前じゃ、ヤダ。煩ぇもん。せっかくのデートがムード台無し」
相変わらず直ぐ下ネタに走る平子に、一護は事も無げに返す。
職務中は真面目一本のような一護だが、これくらいの冗談が通じない程ガチガチな訳ではない。
適当に乗って適当に返すくらいは、いくら真面目が死覇装を着て歩いていると言われている一護でもサクっとこなす。
もちろん、一護の機嫌が良い時に限られるが。
「んで、一体何処にこの唐変木連れ込むつもりや」
一護の言葉に若干面白くない様子で平子が言う。
それに、一護は藍染にチラリと視線を向けてから、平子に言った。
「ああ、霊術院。今日視察なんだよ。こっちは本当の」
「なんやねん。『本当の』って。相変わらずイヤミなやっちゃな。てか、お前んトコの副官どないしたん」
「うん…。それがさ…、実は今日視察が入ってる事、すっかり忘れててさ…。他の用で出しちまったんだよ。一応慣例は隊長及び副隊長二名に寄るって決まりだろ?だから、どうすっかなーって思っててさ」
ガリガリと頭を掻きながらそう言う一護に、珍しい事があるものだと平子が目を剥いた。
一体この頭の何処に、そんな大量の業務が入っているんだというくらい、一護の抱える仕事量は凄まじい。
それを全て卒なくこなす一護には、同じ隊長格の面々も感心せずにはいられない程だった。
だから、たとえうっかりしていたとしても、一護がこういったミス…とも言えないものだが…をする事は本当に珍しい事だった。
「…別に、あんなんただの慣例で絶対言う訳やないやろ」
数ヶ月に一度各隊に廻ってくる霊術院への視察は、将来この護廷に置ける人材確保の為の重要な任務だ。
だが、毎年毎年そうそう有能な人材が現れるという訳でもない今の現状に於いては、それは一種の恒例行事に過ぎなかった。正直言って、単なる気晴らし程度に出向く隊長格だって皆無ではない。
むしろ、今はそれが主流だ。
大元の目的はその人材確保の為、視察には隊長及び副隊長の二名で当たる事とされている。
これは、一名で当たった場合、その公平性に問題があるのではという上の懸念を解消する為のものだ。
長い歴史の中で、そう言った事も少なからずあったと言うそれだけの理由で慣例とされたものだが、単なる息抜きとなった今ではそれを厳密に守っている隊長など、極僅かだ。
だが、その極僅かな中に、この職務に対してはどこまでも真面目な一護はしっかりと含まれていた。
「まあ…、そう言っちまえばそうなんだけどさ…。まあ、いいじゃん。本来なら同じ隊同士じゃなくて、他隊と組んであたるのが正当なんだし。どうせ甘味屋に行きたいのはお前だけだろ?お前のサボりは大目に見てやるから、貸せよ」
「…ったく…。ホンマ、どこまで真面目なええ子やねん、お前は。あー、もう、ええで。どうせ、せっかくの久里屋の新作出てきたからてコイツの辛気くさい顔は変わらへんし。俺はそのヘンの姉ちゃんでもナンパして楽しく過ごすわ。ほら、貸したる、さっさ連れてけ」
そう言って平子は藍染の襟首に手を掛けると、猫の子でも渡すように一護に引き渡した。
「おう、悪いな平子隊長。じゃあ、遠慮無く借りるぜ。──悪いな、藍染副隊長。いいか?」
それまで、藍染の意志など、丸っと無視した形で話を進めていた一護が改めて藍染に問いかけた。
「はい。久しぶりに黒崎隊長と御一緒できて光栄です。こちらこそ、宜しくお願い致します」
そう言ってきっちりと頭を下げる藍染に、平子は「俺に対する態度と、全然違うやんけ」と吐き捨て、その台詞に一護も、藍染もクスクスと笑みを零し。そして、藍染を連れ立った一護は平子が消えるのを待って、漸く本来の笑みを藍染に向けた。
「…悪いな。少しはサボりたかったんじゃねえのか」
悪戯っぽくそう笑う一護に、藍染も人前での仮面を脱ぎ捨てた笑みを一護に向けた。
「まさか。こうして公式に貴方と連れだって行動する事など、滅多にない機会でしょう?僕にとってはこの方が何倍も重要ですよ」
院に向かって歩を進めながら、次第に一護の顔からも、藍染の顔からも日頃の遠慮が抜け落ちる。
瀞霊廷の外れにある霊術院へと続く道は、そこに通う者しか通らない場所だ。
もちろん、一護も、そして藍染も、こうやって完全とはいえないまでも素に近い状態で話すには、四方八方に霊圧の触手を伸ばし探りを入れている。
いくら普段用がない者が通らない場所でも、ここが公共の場であることには変わりない。
張り巡らせた網に僅かな気配でも感じようものなら、即座に三番隊長と五番副隊長としての仮面を被るだけの用心深さは互いに兼ね備えていた。


「…忘れていたなんて、嘘でしょう」
しばらく他愛もない会話を交わした後、おもむろに藍染がそう切り出した。
それに一護は当然だと言うように事も無げに返す。
「当たり前だ。まあ、あそこでお前に出くわすとは思わなかったけどな。適当な理由付けてお前を連れ出したかったんだよ、ホントは」
「視察って…。ギンの事でしょう」
「ああ」
藍染の言葉に、誤魔化す事もなく、素直に一護は頷いた。
今年の初め霊術院に入ったギンは、恐るべき早さでその才能を開花させていた。
時折一護自らギンに会いに行っているらしいが、その話に寄ると、半年も経たないうちに、ギンは既に四年生にまで飛び級しているとの事だった。
今回の視察は、表向きは最終学年──六年生を対象に、護廷への入隊素質があるかどうか…そして、推挙に足る人材が居るかを調査する為のものだった。
だが、それはあくまで表向きであって、下級クラスからも優秀な人材がいれば、その推薦枠は適応される。
尤も、そんな人材は稀で、故に単なる暇つぶしという目的で視察に訪れた者は、わざわざ学校側からの依頼がない限り決められた通り最終学年のみ視察して終わる…というのが現状だった。
「今の所、ギンは他の隊には目を付けられてはいないらしい。一応院の方も、今期卒業する奴の行き先が優先だから、敢えてギンの事は棚上げしてるようだ。──まあどうせ、嫌でもアイツは護廷に入れる人材だし、今アイツを押すよりも他の奴を売る方が先決って考えてるみてぇだな。…だから、他の隊が目を付ける前に、先に唾付けとこうと思ってさ」
「そういう事ですか…」
この視察の本当の目的があの子供にあるという事は、一護から言われるまでもなく、藍染には分かっていた。
分かってはいたが…、実際に、ギンが護廷に入る為の手引きとなると、やはり藍染は眉を顰めざるを得ない。
一護に連れられて初めて顔を合わせた時から、こうなる事は既に分かっていたというのに、未だ藍染の心中は複雑だった。
この世界を潰す事を目的とした、この関係。
今現在、護廷に於ける一護の腹心の部下といえるのは、藍染と東仙だけだ。
そして──それだけで十分な筈だった、藍染にとっては。
一護が流魂街で見つけてきたという子供。それが、今話題に上っているギン──市丸ギンだった。
まだどう育つかも分からない子供。だが、その資質は恐ろしいくらいのもので。
決して自分は引けを取る気はないが、その潜在能力に関して言えば、軽く東仙をも上回るものだった。
そして、裡に秘めたその性質さえも──。
自分たちのこの歪み昏く閉じた輪の中に入る事に、些かの疑問も挟むべきものではなかった。
そして何よりも──。一護に対する激しい想い。それは、今までずっと長い年月一護に付き従ってきた自分たちと何ら引けを取るものではなかった。
一護があの子供を引き入れたいと望むのは、当然の摂理で。
そこには、藍染も、東仙も、関与する事はできなかった。
いつの間にか、当然の如く一護の側に居る子供。
一護の隣が、一護の背中が、自分の定位置であるという事を突きつけてくるような蒼い瞳。
そして、それを許すような一護の言動。
そこに嫉妬という感情が藍染の裡に沸き上がるのは、当然の事だった。
まだほんの一年ほど前の事──。
だがその間にも、あの子供は着々と力を付け、一護の側に佇む事を現実のものへと変えてゆく。
そしてそれが──今、まさに現実になろうとしている。
それは一護が望んだ事。
そして、それに意を唱える事を自分は許されてはいない。
昏く沈みゆく自分の感情に、藍染は引きずり込まれそうになる自分を感じながら、それでも懸命にそれに封をする。
全ては一護の為に──。たった一人の自分の君主の、望みを叶える為に──。


「惚右介」
「…はい」
割り切れない感情を抱えた自分を、一護は正確に見抜いている。
ただ、藍染の名を呼ぶだけで、一護はそれを藍染に突きつける。
そう、この感傷は藍染だけのものだと。それを飼い慣らすのは、お前の責任なのだと。
長い歴史に裏打ちされた門扉がすぐ目の前に佇んでいる。
ここを潜った先から、自分は今以上に遣り切れない思いに打ちのめされるのだろう。
あの子供に──一護を分け与えるという、この身が引き裂かれそうな苦痛に。



「よくお出で下さいました。黒崎隊長、藍染副隊長」
今回の視察の担当である教員が恭しく頭を垂れる。
それに、人当たりの良い笑みを浮かべて一護は「こちらこそ」と礼を返した。

「六年生は、今斬術と理論…あと鬼道の時間です。斬術と鬼道は二クラスが合同授業ですが…。
どちらから見て廻られますか?」
「そうだな…。じゃあ、取り敢えず、斬術から見学する事にします」
一護の言葉に、それでは…と案内役の教員が足を鍛錬場へと向ける。
それに着いて行きながら、二人は既に何度も聞いた事のある教員の授業内容などのどうでもいい説明を聞き流す。
「…そうですね、今の斬術のクラスでは…私共が推薦できるのは三名ほどでしょうか。ええ…と、名は…」
そう言って手元の名簿をパラパラと捲るのを、一護がやんわりと制する。
「いえ、できれば先に生徒の名前を聞く前に、実際この目で見たいです。なるべく先入観は持ちたくはないので」
「あ…これは、失礼致しました」
必要以上に恐縮する教員に、一護は柔らかく笑いかける。
「いえ、こちらこそ我が侭を言うようで申し訳ありません。ああ、もしよければ…ですが、お手を煩わせても申し訳ないのでこちらで勝手に見学して廻ってもいいですか?自分は兎も角…藍染副隊長は、ここの卒業生ですから、勝手は分かってますし」
そう言って一護がチラリと藍染に視線を向ける。
それにすかさず頷いて、藍染が「それは…」と口ごもる教員に、後押しをするように口を開いた。
「そうですね。授業の邪魔にはならないように細心の注意を払いますので。先生自らが私共を連れて来たのなら、生徒の方が萎縮して普段通りの実力がでないでしょうし…。なるべくなら、普段通りの状態を見たいというのが私共の本来の希望ですので。その為に、霊圧を消してこうして来ている訳ですし」
「そういう事です」
そう言って一護が腕を上げて手首に填めた細身のブレスレットを見せつけるようにして笑った。
強大過ぎる一護の霊圧が、どんなに本人が抑えていても駄々漏れだということは、護廷以外にも周知の事実だ。
あまりにも大きすぎる霊圧を本人すら持て余している…というのが概ね一護に与えられた他者からの認識で、一護もそれに対しては一切口を挟まず言いたいように言わせている。
だが、本来の一護は霊圧コントロールなどお手ものだ。
いくら封印されているとはいえ、身のうちに潜む虚の匂いをあの百戦錬磨の護廷の隊長格に気づかせないというのは、恐らく一護にしかできない芸当だ。
殺気石で出来た霊圧制御装置など本当はまったく必要ないのだが、用心の為こうして全ての霊圧を消すときには、一護はそれを付ける事を習慣づけていた。
もちろん実際は殺気石など使ってなどいない偽物なのだが。
「はあ…。まあ、仰る事はよく分かるのですが……」
恐らく、視察の案内役に任命されたという責がある為なのだろう。中々首を縦に振らない教員に、一護が笑みを乗せたまま有無を言わさない口調で言った。
「先生のお立場も分かりますが、これは護廷に取っては重要な任も兼ねています。何しろ万年人材不足ですからね。優秀な人材は喉から手が出るほど欲しいものなんですよ。まあ、ぶっちゃけて言うと、持ち回りの時に、自隊にいい人材を招き入れたいっていうのが本音なんです。だから、できるだけ正確に生徒の能力を測りたいっていうのが自分の希望なんです」
そうして、ニコッと太陽のような屈託のない笑みを一護が浮かべる。
さすがに護廷の隊長──それも、超有名人である黒崎隊長にそう言われては、たかだが一教員が反論できるはずもない。
元々、この霊術院は、護廷の為にあるようなものだ。そしてその目的は、少しでも優秀な人材を死神として送り出すその一点に尽きる。その為の案内不要という言葉には、頷かざるを得ない。
「後で学院長の方へは私共が伺いますので」という言葉が駄目押しになり、全学年の時間割を手に入れ漸く案内から解放された二人は、ギンのクラスの斬術の時間だけ確認すると、それまでの時間潰しに最初の予定通りに鍛錬場へと足を向けた。



「…使えねぇな…」
一通り六年の授業を見学した後、裏庭の木陰で一休みしながら、呆れたように一護が言った。
「この程度で推薦など、泣けてきますねまったく…」
一護の言葉に頷きながら藍染も辛辣な台詞を吐く。
「…こりゃ、ギンも苦労する訳だ。つーかなんでアイツ未だに四年に留まってるんだ。サボってるんならタダじゃ置かねえぞ」
「そういう訳ではないでしょうね。たぶん、慎重派はどこにでもいますから。一年も経たない内に、一足飛びに六年に飛び級させるのを渋ってる教員がいるんでしょう。彼の実力なら今すぐ入隊しても問題はないでしょうし」
「まあ、実力は当然だ。さて、と。そろそろ授業始まる頃か」
そう言って一護はさっさと先程の鍛錬場に向かった。
後を追うようにして藍染も向かうと、騒めく霊圧と「ヤーーッ」という掛け声が漏れ聞こえてきた。
中へ入る事をせずに、庭に面した格子窓から中の様子を伺う。
霊術院に於ける斬術の授業は、真剣ではなく木刀で行われる。
卒業して死神として護廷に入ってからも、始解すら成していない者が多いだけあって、当然まだ四年の段階ではそこに辿り着く者は皆無だと言ってよかった。
その中で、ただ一人だけ始解を成しているギンに取ってはこんな授業など遊びの域にすら入らないに違いない。
少しずつ少年の態を成している集団に交じって、一人だけまだ子供のような背丈のギンは逆に目立つ。
完全に霊圧を消した状態で、ギンに視線を向けた二人の前で、漸くギンの手合いが回ってきた。
相手は小柄なギンに比べて背も高く、体格もいい少年だった。
木刀を構え、静かに対峙する。
ギンに気負いは一切見られないが、相手はこの飛び級で同年になった元・下級生が気にくわないのか、打ち負かそうとする霊圧が感じられた。
ギンの鍛錬はこの霊術院に入る前、あの流魂街の隠れ家で藍染も相手を務めていた。
藍染はここに入学してからの彼の剣を見るのはこれが初めてだったが、一護は偶に鍛錬に付き合っているらしい。
どうせ院生相手では本気など出しはしないだろうが、それでも太刀筋を見れば成長の度合いは分かる。
そう思って藍染が改めてギンに視線を移した時、「始め」という短い号令が掛かった。
その瞬間。
ギンの口角が綺麗に弧を描き、次の瞬間、一気に跳ね上がった霊圧に建物がドンと震えた。
相手の胴に木刀を叩き込んだのは、その僅か一瞬後だった。
ギンの霊圧と叩き込まれた木刀、どちらのせいなのか分からないような状態で、相手が崩れ落ちる。
それどころか、見学していた他の生徒も、ギンの霊圧に充てられて倒れ込むような状態だった。
「…い…市丸……」
指導教官すらも、脂汗を浮かべて膝を付いている。それに、ゆっくりと視線を向けて、ギンがさも済まなさそうにへにゃりと眉を八の字に下げた。
「ああ…。すんませんセンセェ。ちょお、加減忘れてもうて」
カリカリと銀色の頭を掻きながら詫びを入れるギンに、「気をつけろ」と一言言い捨てて、そこら中に倒れる生徒に、重い足を引き摺りながら教官が忙しなく声を掛けていた。
「あの、バカ……」
その様子を窓から見ながら、ボソっと一護が零す。
その声が聞こえた訳ではないだろうに、ギンの瞳がすぅっと上がり、最初からそこに居たのが分かっていたかのように、こちらに視線を向けて、ニィっと笑った。
「…気づいてたのか……」
思わず呟いた藍染に、一護がだろうな、と頷く。
その一護の返答に藍染の眉がピクリと動いた。
隊長格の自分達が、気配も霊圧も、完全に消していたのに──それに気づいていた?
莫迦な…と思う。
藍染は現在副隊長の任に就いてはいるが、実際の力は隊長格をも超える。当然、一護も護廷の死神はおろか、王族特務ですら軽く凌駕する。尤も、一護の力は完全に別格なのだが。
その二人が、意図的に消した霊圧や気配を探れる死神など居はしない。
いや、自分達だけでなく、ただの現行の隊長格でも、本人が意図して消した気配を探るのは、同じ隊長格でも困難だというのに。
なのに……なぜ。
まだ、死神にすらなっていない子供が──。
そして、どうして一護は、さもそれが当たり前のような反応を示すのだ。
藍染が頭の中を巡る疑問に囚われそうになった時、ふっと一護が動くのを感じた。
「ったく…。おい、惚右介、行くぞ」
そう言って一護がスタスタと歩き出し、鍛錬場の重い扉を引き開けた。

「大丈夫か?」
そこかしこに床に転がる生徒達に向かって一護が声を掛ける。
ほとんどの者が一時的に失神しただけで、すぐに意識を取り戻していたが、ギンと直接対峙した相手だけはさすがに倒れたまま気を失っていた。
「え…。く、黒崎隊長!?」
いきなり入ってきた一護に、指導教官が驚きの声を上げる。
その声に、意識を取り戻した生徒達が騒めきだした。
「え、黒崎隊長!?」
「ウソ…。え、って護廷の!?」
「うわっ!マジ本物だ!」
「えーーー!?なんで、ここに……」
護廷十三隊の隊長格の中でも、飛び切りの有名人。
そして、死神を目指す少年少女達にとっては、ほとんど伝説の域に達している人物。
その姿は知らなくても、噂だけは有り余るほどある一護が、今自分たちの目の前に居るということに、今が授業中だという事も忘れて、生徒達が色めきだった。
「おい!お前ら!静かにしないかっ!」
教官の声に、一瞬静かになったものの、またもやそこかしこで嬌声や悲鳴が上がる。
それに一護は申し訳なさそうに、その指導教官に頭を下げた。
「ああ…すみません。授業中に突然。せっかくなので見学させて頂いてました。護廷十三隊三番隊隊長、黒崎です」
「あ、いえ。ご尊名は予てより伺っております。指導教官の小林です。いや、すみません、今生徒の一人が少し暴走したようで…。なんともはや…お恥ずかしい限りです」
「いえ、それよりもその生徒さんは大丈夫ですか?医務室に運ばれた方が…。藍染副隊長、悪いが、この生徒さん医務室に連れていってやってくれるか?」
「はい」
一護に呼ばれる形で藍染も道場に足を踏み入れる。
と、これもまた、「藍染副隊長だってよ!」と尚更生徒達のテンションを上げる結果となった。

倒れた生徒を藍染が医務室へと連れていくと、回復した生徒から我先にと一護が囲まれる。
憧れとも言える黒崎隊長を目の当たりにして、恐縮するよりも先に、好奇心が勝ったらしい。
最初は止めていた教官も、一護がやんわりとそれを制したお陰で、今や一護の周りには人だかりができていた。
その中で、ギンだけがその場から動こうともせず、一護に遠巻きに視線を向けていた。
「お前、名前なんて言うんだ?」
まるで初めて会った時のように、一護が人だかりからギンに声を掛ける。
その声に、ピタっと周りの喧噪が止む。
それを見計らったように、一護が人波からするりと抜けるとギンの側まで歩み寄った。
一護をじっと見上げて、ギンが一護にしか分からないように僅かに口角を上げる。
そして、ペコリと頭を下げた。
「市丸ギン言います。お会いできて嬉しいです。黒崎隊長、ボクの憧れのお人やから」
「そっか、ありがとな。なあ、市丸。ちょっと俺と手合わせ頼めるか?」
その一護の言葉に、周りの生徒がうわぁっと叫声を上げた。
「先生、かまいませんか?」
一応伺う形で一護が訪ねる。それに、驚きを隠せない様子で、「あ、はい」と頷くのを捕らえてから一護は改めてギンに向き直った。
たった今、ギンの相手をしていた生徒が投げ出したままの木刀を拾う。
そして、好奇心一杯の目でこの成り行きを見ている生徒をぐるりと見回した。
「みんな危ないから、ギリギリまで下がっててくれ。被害が行かないように結界張るから。市丸、遠慮はいらないから本気で来い。俺は木刀持っちゃあいるが、ただお前を止めるだけだ。俺からは手出しはしない。いいか」
「…はい」
一護の言葉にギンがコクっと頷くのを確認すると、一護はするりとブレスレットを外し、手を翳して自分とギンの周囲に結界を張る。
そして、音もなく藍染が戻ってきたのを視界の端に捕らえると、ギンに向かって頷いた。
「いいぜ、来い」
「…なら、遠慮無く…」
そう言うが早いかギンの霊圧がドンっと上がった。
だが、それでもまだ手加減しているのが、ありありと分かる。
元来、ギンの霊圧はこんなモノではない。
だが余程の事がない限り、そして自分や藍染達との鍛錬の時以外は、決して本来の霊圧は出すなと言いつけてあった。
それでも、ギンの纏う霊圧は見事なものだった。
今の抑えた段階で、現行の五席くらいか。
ギンの霊圧に充てられてまた被害が出ないようにと、結界を張ってはいるが、その内側で撓む霊圧は、さすがにこの場にいる者にはそれがどれ程高いのかは分かるだろう。
ギンと視線を交わして合図を送る。
それと同時に、ギンが打ち込んできた。
ガンガンと、硬い木がぶつかる音が周囲に響く。
だが、その動きは恐らく生徒はおろか、教官にすら追う事はできなかっただろう。
これで半分の力も出してはいないのだから、どれほどこの授業でギンが退屈しているかがよく分かる。
時間がある時にはなるべくギンの鍛錬に付き合っているが、取り敢えず斬拳走鬼については今の所申し分無いくらいの成長度合いだった。
これならば、取り敢えず使えるまでにはなったか…と、ギンの動きを見てそれを確認した一護は、もう十分だというように、打ち込んできたギンの木刀を弾き飛ばした。

ガラン…と、ギンの木刀が床に転がる。
今の間に、何があったか分からずに呆然としている周囲を余所に、静かに一護に向き直ったギンは、礼儀正しく頭を下げた。
「ありがとうございました!」
「こちらこそ。いい素質してるな、市丸。これからが楽しみだ」
ニコっとギンに笑いかけると、ギンはまるで子供のように笑み崩れた。
もちろん、そんな笑顔は周囲の為の演技だと言うことは一護にも藍染にも分かり切っていたが。
「ありがとうございます。黒崎隊長に、そう言うて貰えるなんて、光栄です」
愁傷にそう言って、また頭を下げる。
う〜ん、こうやって大人しく頭を下げるギンを見られるんなら、ちょくちょくココに通ってもいいかなと、一護の中に少し悪戯心が沸いてくる。
だが、まあ、現実にはそうもいかないだろう。

ギンと挨拶を交わして、結界をするりと解く。
そのまま教官の元へと足を運び、一護はきっちりと頭を垂れた。
「ありがとうございました。ご無理言ってすみませんでした。まだ授業残っておられるんでしょう?後はどうぞ続けて下さい。あ、見物しててもかまいませんか?」
「ああ、いえ。こちらこそ、素晴らしいものを見せて頂いてありがとうございます。いや、市丸はどうも…能力がずば抜けてまして…、正直私でも適わないくらいで…。いや、お恥ずかしい」
「いえ、それでは、自分達は隅で大人しくしてますんで、どうぞ」
そう言って一護は藍染の元へと向かった。


一護達が居るという事で、しばらくは落ち着きがなかったが、教官の「恥ずかしい所をみせるな!」という一声で、漸く普段の授業の体裁に入った。
それをのんびり見物しながら、一護は隣に立つ藍染に尋ねた。
「どうだった」
「…ええ…。自分が見た時よりもかなり成長してましたね。あれなら、今すぐにでも三席辺りなら務まるでしょう」
声を落としてそう言う藍染に、一護がクスリと笑う。
「…お前が面倒みるか?」
「私が、…ですか…?」
一護の言葉に、思わず藍染が一護に視線を向ける。
その剣幕に、一護がクスクスと笑った。
「そんなにイヤか?『私』が出てるぜ。藍染副隊長」
「あ…いえ……」
コホンと咳払いをして、藍染が再びギンを視界に捕らえる。
確かに、驚くほどの成長ぶりだ。元々、資質はまったく問題ない…それどころか、怖いくらいだと思っていただけあってそれに違う事なく、順当に力を伸ばしてきているのは賞賛に値するだろう。
一護の見立て通り、あれはいい戦力になる。
だが……。
「自分はよくても、彼が納得しないでしょう?」
何しろ一護の側に居る事だけが、彼の望みだと自分は知っている。
それも、一護の腹心の部下という立場だけではなく、自分が得られなかった一護の副官という座が、彼の尤も望むものなのだ。
これだけの成長を見せつけられては、ギンが自分達と共に立つ事に異議はない。
あくまで、戦力として、だが──。
あれが護廷に入り、どこまでの成長を遂げるのか、見てみたくもあるが…。
「じゃあ、問題はないな。お前がいいなら、それで決まりだ。ギンの意志は関係ない。あいつがどう思ってるかは知らねえが、俺は上に上がりたいなら自分で上がってこいと言ってあるし、俺はあいつを三番で温々と育ててやる気なんかこれっぽっちもねえよ」
いっそきっぱりとそう言う一護に、藍染は分からぬよう肩を竦めた。
「煩いですよ、たぶん」
「いい。…慣れてる」
ギンの文句など具にもつかないと言うように一護が笑った。
「では…、私からの推薦ということで…よろしいですね」
「ああ。飛び級の件は後で院長に根回ししとくか。今から進級したとして後半年か…。面倒臭えな。こんなレベルじゃアイツの鍛錬にもなりゃしねえ…。仕方ない…しばらくはまた暇みて稽古つけてやるか。お前も手伝えよ」
「貴方のご命令とあれば…」
「どーせ、結局お前が面倒見る事になるだろ。それまでには少しでも使えるようにした方がいいだろ、お前も。あ、そだ。入隊までお前の推薦だって言うなよ?んな事したら、あいつ留年でも何でもして強硬手段取りそうだから」
一護の言葉に、さもありなん、と思う。
「承知しました…」
チラチラとこちらに視線を向けながら、またもやつまらなさそうに木刀を振るうギンを見ながら、こうなったからには自分の下で徹底的に扱き使ってやろうと、藍染は一人ほくそ笑んだ。






第五章 序幕 end

   




※最近どうもこの話、ギンの成長日記になってるような気がするのは
私だけ?
でも!でもっっっ!!仔ギンって書くの楽しいのよーーーーー!
あくまで一護が主役なんだけど、最近ほとんどワキに回ってる気がするのは
これも私だけ……?
でも仔ギンが……(以下省略)
んっと、この後、五章の後日談もあります。それはきっと一護が主役な…はず(笑)