大柄な男達が四方を取り囲む。
ぐるりと辺りを見渡して、ギンは小さくため息を吐いた。
水や食べ物の奪い合いはこの流魂街では日常茶飯事で、その為の殺し合いなどそれこそ毎日の様に繰り返される。霊力を持つ者は腹が減る。そして、食べ物にありつく事ができなければ、その内衰弱して死んでしまう。
現世で死んで尚、魂魄になっても死ぬという事がどういう事なのかギンにはよく分からなかったが、取り敢えず生きる為には食べなければならない。
特別生きたいとも思わなかったが、かといってこんな所で野垂れ死ぬのもごめんだった。
幸か不幸か、ギンの霊力は異常に高かった。
初めは持て余していたこの力も、年月を重ねる内に結構利用できる事に気がついた。自分の力を相手にぶつけるように放てば、手を触れることなく殺せるという事に気づいたのだ。
幸い、練習台には事欠かなかった為、今ではかなりの精度で相手を瞬殺する事ができる。
特に、死神の使っていた『鬼道』という技を覚えてからは、食べ物を奪うのが随分と楽になっていた。
が、その一方で狙われやすくなったのも事実だった。
噂は広がるのが早い。なるべく面倒な事にならないように、絡んできた相手や、強奪する相手などは全て殺すようにしているのだが、中には運良く逃げおおせた者や、生き残った者もいる。
そして、その仲間内では『銀髪の子供』の噂が瞬く間に広がってゆく。
弱い者ほど群れたがる。そしてそういう奴らほど、集団になると気が大きくなる。
いくら強くてもたかが子供一人。人数さえ居ればなんとでもなると思う輩が大勢いる。
だからギンは面倒事を避ける為に、一所に居着くのを避けていた。
失敗した、と思う。
つい何日か前に、いつものように食べ物を奪った。
持っていた奴は確実に殺したけれど、物陰に仲間が居たと気づいたのは、そいつが逃げ出した時だった。一瞬、追いかけようと思ったのだが、ふと、まあいいやと思ってしまった。
もし仲間が居たとしても、早々にここから立ち去れば済む。そう思っていたのに。
つい二ヶ月ほど前に出会った死神──。
彼の事がふと頭を過ぎった。
初めはただ、面倒臭いとしか思っていなかったのに、立ち去る間際の彼のあの笑顔がなぜか忘れられなかった。「また来る」と言った癖にあれから彼は、来ない。
別に待っている訳ではないと自分に言い訳してみても、中々腰が上がらない。
同じ所に居着く事が危険だと分かっているのに、自分が立ち去った後に彼が来たらと思うとつい
一日、二日と日を延ばしてしまう。
そして、その結果がこれだ。
先程から、お定まりの台詞の様に「よくも仲間を」などと言ってはいるが、別に仇を取りたいと思うほどの仲間意識が彼らの間にある訳ではない。
ただ、噂になっている『手強い子供』を殺ったという『箔』が欲しいだけだ。
そうして自分達が強いのだと、周りに誇示したいだけなのだ。
つくづく面倒臭いと思う。
そんな馬鹿げた事に関わりたくはない。
ふう…と、ギンはこれ見よがしにため息を吐いた。
「お前がいくら強いかしらねえけど、この人数で勝てるのかよぉ」
「なんかへんな技使うみてぇだけど囲まれちゃあどうしようもねえわな」
口々に言ってゲラゲラと笑う。
見たところ、今自分を取り囲んでいるのは十人。だが、周りの草むらや木陰に潜んでいる者も居る。
どないしよ…。
取り敢えずは逃げるが勝ちだと判断する。
流石にこの人数相手にひっきりなしに鬼道を打つのは疲れる。
相手が固まっていたなら、その場所に向けて打てばいいのだが、こうやって四方にばらけられると
ちょっと困る。 最低でも四回は必要だろうし、相手の刀を奪って斬るという行為すらこの人数を見た瞬間げんなりしてしまう。
いくらただの雑魚でも、この人数相手は割があわない。別に…奪える物を持ってる訳じゃなし。
とにかく隙を作ろうとギンは周囲を見渡し、逃げる方向を確認する。
そして、鬼道を放つべく霊力を練り、口上を唱えようとした。
「破道の───」
──と、瞬間的にあの彼の言葉が甦った。
"殺さずに済むならそれに越したことはねえだろ?"
そう言って『縛道』という方法をギンに教えていった、彼。
何も今思い出す事はないだろうに、その言葉と共に彼の笑顔まで脳裏に映る。
「──チッ」
短く舌打ちをして、ギンは破道を打とうと溜めていた力を瞬間的に縛道に切り替える。
そして──。
「縛道の一、塞───」
そう言った瞬間、ギンの体が後ろに吹き飛ばされた。
──あかん──
練り上げた霊圧が暴発する。
前に翳していた手から霊力が放たれ、爆風で前にいた男達の体が吹き飛ぶ。
何が起こったか分からないまま、ギンの痩せた体がもの凄い勢いで後ろに飛ばされ宙を舞う。
視界の端に大木を見た時に、駄目だと思った。
躱す事もできない。このまま叩き付けられる。そう思った時だった。
ふっと力強い腕に抱きかかえられ、気がついた時には自分の足下に地面があった。
「…え……」
そして、呆然としたまま目を見開いていたギンの頭がいきなり叩かれた。
「なにやってんだよ!お前はっ!」
頭上からもの凄い剣幕で怒鳴られて、漸くギンは首を捻ってその声の主を見上げた。
「…なんで…」
なんで今、ここにいるのか。
ギンが出会った死神、黒崎一護が───。
「なんで、じゃねえよ!なーにやってんだ、このバカ!」
「なに…て」
怒鳴りつける一護の顔を見ながら、ギンは今起こった状況を把握しようと記憶を巡らせた。
「あ!あいつらは…」
そうして、自分が男達に囲まれていた事を思い出す。
それを口に出すと、一護はふうとため息をついた。
「ああ…。あの場で全員伸びてるよ。お前が吹っ飛ばした奴ら以外は気絶させといた。
つーか、俺が来なかったらどうなってたと思ってんだ、お前は!」
「どう…って…」
あまり考えたくはないが、たぶんあの勢いで木に激突していたなら、恐らくただでは済まなかっただろう。
そこまで自分の体は頑丈には出来ていないと思う。
つまり、一護が来なければ木に叩き付けられて死んでいたかもしれない。
どう考えてもあまりいい死に方じゃないな…とギンは口を曲げた。
「ったく、久しぶりに来てみたら吹っ飛んでるし。やっぱ思い立って来てみてよかったぜ」
やれやれと肩を竦める一護の姿に、ギンはこうなった元々の原因を思い出して思わず一護を睨み付けた。
その様子に一護が驚いたように目を丸くする。
「…なんだよ…」
「元の原因はあんたや、ちゅうねん」
「はぁ!?なんで俺なんだよ?」
「あんたがよけいな事言うからや…」
八つ当たりだと分かってはいても、つい文句が出てしまう。
あの時、一護の顔さえ思い出さなければ、そのまま破道を打ち込んでいたのに。
そして、何よりも……。一護の事があったからこそ、この場所から動く事ができなかったのだ。
だが、当然そんなギンの事情を知るはずもない一護はギンの言葉にただ目を丸くする。
「なんだよ、余計な事って。…って、おい、ギン、ちょっと手ぇ見せろ」
「え?」
そう言われてギンは思わず自分の手を見る。そして、漸く自分の手の平が酷い火傷を負っていることに気がついた。
「ほら、貸せ。今治癒してやっから」
するりとギンの手を取って、一護が傷に触れないようにそっと自分の手を翳す。
感覚が麻痺したままなのか、痛みを感じなかった手が、一護の霊圧に触れて漸く痛みを感じだす。
「…痛い」
「我慢しろ。今治してるから」
「いやや、痛いって!」
「あーもう、黙れ!これくらいすぐ治る」
流れ込んでくる暖かな霊圧。みるみる内に痛みも傷も引いてゆくのが分かるが、ギンは一護に手を取られている間中、痛い痛いと言い続けた。
優しく包み込むような暖かな霊圧。そっと取られた手の温もり。こんなあたたかなものは、知らない。
冷たく冷え切った体に熱を与えられ、感覚が戻る時のような痺れがギンを襲う。
熱を送られてようやく自分が凍えていたと知るかのように。
一護の温もりによって、ようやく自分が酷く冷え切っている事に気づいたかのように。
「もう!煩えって!自業自得だ、我慢しろ!」
ぎゃあぎゃあ騒ぐギンに煩そうに一護が叫ぶ。眉間に皺を寄せて口を尖らせる一護に、ギンは尚も文句を言う。
自業自得なんかじゃない。痛いのは一護のせいだ。知らなかった温もりが、痛い。
「自業自得やあらへん!あんたのせいや!いーたーいっ!」
「うるせえ!」
子供のように叫ぶギンの頭をボカリと殴って一護は再び治癒に専念する。
そして、傷が癒えたのを確認すると一護はするりと手を放した。
「ほい、終わりだ。ほら、もう痛くねえだろ。」
ムッと口をへの字に曲げたままのギンにそう言うと、一護はギンの髪をくしゃりと撫でた。
「んで?なんでお前吹っ飛ばされてたんだ」
「………知らん」
放された手の温もりを追うように、じっと治癒された手の平を見つめながらギンが呟いた。
「知らん、じゃねえだろ!鬼道打とうとして失敗すんのはよくあるけど、あそこまで見事に吹っ飛んでくなんて中々ねえぞ。なにした、お前」
「…お前言うないうたし」
ふて腐れたように言うギンに、一護は小さく「そうだったな」と呟いてギンの目をじっと見据えた。
「──ギン」
ギンの瞳を見つめる一護の双玉。まるで琥珀色の飴玉のようなその瞳。
ガラス玉の様に一点の曇りもないその瞳は温かくもあり──そして、なぜかとても無機質なものにも思えて、瞬間ギンは体が冷えるのを感じた。
「…………」
「ほら、怒んねえから言えって」
ギンの目をじっと見たまま一護が問いかける。
こうやって言葉を吐けばひどく暖かみを感じるのに──。
言葉と共に乗せられる表情が生き生きとしているせいなのか、先程感じた感覚が錯覚なのかとすら思う。
この前の時もそうだったが、こうなった一護は結構しつこい。
仕方なくギンは渋々と口を開いた。
「破道打とうとしてたんや…ほんまは…。せやけど、途中で気が変わって縛道に変えたら…」
その気が変わったのは、他でもない一護のせいだという事はギンには言えなかった。
一護の言葉と顔を思い出したのだと、だからあれは一護のせいなのだと…本当はそう言いたかったのに、それを口に出せば自分が一護の事を気にしていると思われる事が酷くしゃくに触った。
その説明を聞いていた一護は、一瞬口をあんぐりと開けて、次の瞬間思いっきりギンの頭を叩いた。
「バカか!お前は!途中で変えたりしたら暴発すんのは当たり前だろうがっ!」
「いったぁ〜!何すんのん!そんなん知らんわっ!」
殴られた頭を押さえて文句を言うギンに、一護はギンが正式に鬼道を習っていた訳ではないと漸く思い当たる。
鬼道を習う者には初歩の初歩。
同じ鬼道だといっても相手を攻撃する為の破道と、封じる為の縛道とは対極にあるといっても過言ではない。ギンのやろうとしていた事は動を瞬時に静に変えたようなものだ。熟練した者にとっては苦にもならないが、その成り立ちを体に覚え込んでいなければ当然事故は起こる。
院生や下位の死神ならば怪我程度で済むが、ギンの様に霊圧が高ければ事故が起こればかなり危険だった。
その事をすっかり失念していたと、自分の失態に一護は苦虫を噛み潰した。
「…そっか…。そうだよな。悪ぃ、俺がちゃんと教えとくべきだった」
「なんやの…怒らん言うといて…。殴るやなんて横暴や」
「いや…、悪ぃ。つい…。」
「つい…で人の頭殴らんといて!暴力反対や!この暴力死神!」
頭を押さえたまま文句を言い続けるギンに、一護の眉間の皺がだんだんと深くなる。
「なにが暴力反対、だ!さっきの光景はなんだありゃ!喧嘩上等のお前が言うな!」
「喧嘩上等なんか思てへん!売られたら取り敢えず買わなしゃーないやろっ!」
ギンの言葉に一護の言葉が詰まる。そして、何かを考え込むようにむっつりと黙り込んだ。
「───ギン」
「…なんや…」
しばらく黙り込んだ後、一護がじっとギンの目を覗き込んだ。
「お前…ああいう事はよくあるのか?」
「…あんな事…ここでは日常茶飯事や…。こんなトコにまともな大人なんかおらへん」
「…そうだな…」
ギンの言葉に一護は頬杖を付いて遠くを見つめる。
いくら霊力を持っていたとしても、宝の持ち腐れでしかないこの世界──。
同じ尸魂界でありながら、瀞霊廷とこの流魂街では成り立ちすら違う。
霊圧が高い者ほど高位に付き、もて囃される瀞霊廷。
片や、霊圧が高い者ほど他者から狙われ死ぬ確率が高い流魂街。
弱いものは死に、日々淘汰される世界。
流魂街出身の死神が、貴族育ちの死神よりも出世意欲が強いのはこういった背景があるからなのだ。
「やっぱり…最初に殺っとけばよかったんや…」
己の考えに沈んでいた一護に、ふとギンのぽつりと言う声が届いた。
「…なんだって…?」
「…こうなる事は分かってたんや。あいつらの仲間から食べ物奪った時、一人逃げてくの見たんや…。そん時は…まあ、ええかって思たんや。…すぐにここ離れたら問題ないやろ…って」
思い出す様にぽつぽつと話すギンの言葉に一護は口を挟まずに先を促す。
「あんな事はボクにとってはいつもの事や…。ボクだけやない…。ここに住むもんなら誰かて同しや。強くても弱くても殺し合いや。やから…面倒な事が起こらんようにいつもすぐ場所変えとったのに…」
「…そうか…」
「あんたになんか分からへん…。最初から瀞霊廷に住んどるお綺麗な死神にはこんな世界分からへんよ…」
そう言ってギンは大人の様なため息を落とす。見かけも、そして中身も十分に子供の部分はあるが、ギンはやはり一護が思っていた通り精神的な部分では既に大人と言ってもよかった。
「…そうだな…」
「あんたになんか…分からへん…」
そう言ってギンは膝を抱える。そのギンの姿を一瞥して、一護はぽんっと軽くギンの頭を叩いた。
「そうだ。今日はお前に用事があって来たんだよ。お前、今から暇だろ?」
「…は…?」
一護の言葉にギンはぽかんと口を開けて、目を見開く。
それを勝手に了解と取ったのか、一護はギンの体をひょいっと肩に抱え上げた。
「ちょ…!ちょっと、何するんっ!?」
「ん〜、人さらい」
「人さらいって…ちょっと!」
「喋んなよ。舌噛むぜ」
そう言って一護は軽々と地面を蹴る。
瞬間、目まぐるしく変わる景色に目眩を覚えてギンはぎゅっと目を閉じた。

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