※京都編です。ようやく、あのお方の登場です。
これが無事済めば、一護、晴れて本当の極妻でございます(笑)
あ、念の為。本当の京都とは違いますよ。偽京都ですもちろん!
![]() リビングのTVで、おなじみのCMをぼんやりと眺めていた一護がぽつりと言った一言に、市丸が笑った。 「あー、いいなぁ…京都か…」 そう言えば、コイツの実家って京都だったっけ…と、CMを見ながらふとそんな事を思って出た一言だった。 特別意味もなく、特に行きたいと思っていた訳ではなかったけど、生まれてこの方首都圏を出た事がなかった から、一度は行ってみたいなぁ…くらいのノリで言ってみただけだった。 だが、それに笑いながら答えた市丸の一言に、一護は思わず椅子から滑り落ちそうになった。 「ああ、そういえば明後日京都やで」 「は…?」 「本家行かなアカンねん」 「…え…。そうなんだ。どのくらい?」 出張…本家に戻る事を『出張』と言うかはともかく、しばらく市丸が家を空けるのか…とそのつもりで聞けば。 「もちろん一護ちゃんも一緒やで」と、いつもの喰えない笑みと共にそう返された。 「はぁ!?なんで俺がっ!?」 「なんで、て。やって今回一護ちゃんがメインやし」 「は……?」 「爺さんがな、会いたいんやて。まあこっちでお披露目してもうたから、そろそろ何か言うてくるやろうと 思とったけど…」 …って事は、何か!? 市丸の伴侶として会いたいって事か!? と、その言葉に一護の頭がぐわんと揺れる。 市丸の背景を考えれば、いずれそんな日が来るだろうとは思っていた。 一家の跡目を継ぐ立場にある市丸の相手。 それが、ただの恋愛関係で終わるものでなく、一護の立場も人生も変えてしまう程のものだということは、市丸と付き合いだしてから一護にも十分身に染みて分かっていた事だった。 それでも、この手を離す事など考えられず。 市丸が極道でも、そしてそれがただの極道ではなく、巨大組織のトップに付く人間だと…そして自分がその相手 なのだというのも重々承知した上で、一護は市丸と共に生きる道を選んだ。 「えっと…会いたいって、それ……お前の相手として…って事…だよな?」 それ以外に何があるんだと自分でも思いながら聞いてみる。 それに案の定市丸は、拍子抜けするくらいにあっさりと頷いた。 「せや」 「……って…!なんでそんな大事な事黙ってんだよーーーーーッ!!!」 そう、思いっきり叫べば。 「ああ、言うの忘れてた」 と、本当とも嘘とも付かない答えが返る。 「わす…っ!忘れんなよッ、んなことッ!!」 ギャンギャンと噛み付くような勢いで言う一護に、市丸は相変わらずのんびりとした口調で言った。 「まあまあ。ええやん、当日に言う訳やないんやし」 「俺にとっちゃー、十分当日と同じインパクトだよっ!」 「でも、1週間も前から言われてたら、一護ちゃんその事ばっかり気になってまうやろ?」 と言うことは、少なくとも1週間前には知っていたという事だ。 普段だらだらしている市丸が、この所やけに出事が続くと思ったら、こういう事だったのかとようやく思い当たる。 一護を気遣っているんだか驚く反応を見る為なのか、今ひとつ真意の分からない市丸の行動に、一護は疑うようにじっとその目を見つめた。 「なんやの、その疑り深い目ぇは。やったら、先に知らせといた方がよかったん?」 そう問われて、それはそれで…と一護は眉間の皺を深めた。 市丸が一護の事を思って、色々先回りして行動するのは今に始まったことではない。 どう考えても揶揄半分な時もあるけれど、市丸が一護の事を誰よりも大事に大切にしてくれる事は、一護だって 分かっている。 「…明後日…」 ぽつりと呟くと、市丸が慰めるようにぽんぽんと頭を撫でてきた。 「まあ、なぁ…。色々面倒やろうけど、堪忍したって。大丈夫、ボクが居るし。心配せんと、あのジジイも一護ちゃんの事気に入る思うで」 市丸の曾祖父。 それだけなら、どんなに気が楽か。 でも、その曾祖父たる人物は、ただの年寄りなんかではない。 日本各地に散らばる市丸一家の頂点を成す人間なのだ。 つまり、極道会のトップで、生ける伝説。 今更ながらに、市丸の背景が重くのし掛かる。 「そう言われてもさ…」 むぅっと眉間の皺を深めたまま呟く一護を引き寄せて、市丸が耳元で囁くように言う。 「…ごめんな。嫌なった…?」 気遣うように言われたその台詞に、一護は反射的に首を振った。 「そうじゃ…ない。でも、なんか…あんまり現実みがなくてさ…」 「うん…。でもな、一護は別に極道として爺さんに会う訳やないねんから。まあ、ちょっと堅苦しい場ぁなるかも 知れへんけど…ボクの身内に会うて…それだけ考えとってくれたらええから」 その言葉に、一護はこくりと頷く。 そうだ。自分は市丸と共に生きるのだ。そして、今回会う彼は、市丸の身内。 「ん…。そう…だよな」 自分が受け入れられるかは兎も角、相手は市丸の家族だ。 このままずっと会わずに居られる訳でもない。 家族に会って、付き合いを許してもらうなんて……。 「なんか…いよいよ…って感じ……」 思わずそう呟けば。 「せやね〜。いよいよ本格的に輿入れって感じ?」 ニヤニヤしながら、そんなとんでもない台詞が返ってきた。 想像していたよりも近代的な駅舎を抜けて外に出ると、青空が見えた。 年間5千人もの観光客が訪れる日本を代表する古都は、都会だけれどなんとなく東京とは空気が違う。 駅前には有名な蝋燭型のタワーが建っていると聞いていたので、一護は周りを見渡してあれ?と首を傾げた。 「…どないした?」 隣から市丸が不思議そうに首を傾げる一護に問いかける。 それに曖昧に頷きながら、一護は市丸に視線を向けた。 「なあ…。京都タワーってドコ?」 確か駅前じゃなかったっけな…と記憶を辿りながら言うと、「ああ…」と微笑みが返る。 「それ、反対側の出口や。こっちは新幹線側やから、メインは向こうなんよ」 「そうなんだ」 ちょっと残念と思っていたら、市丸からぽんっと背中を押された。 「ほら、行こ。イヅル待ってるで」 見れば、先に行っていたイヅルが車の前で待っているのが見える。 市丸と共に向かいながら、近付くにつれ一護の口から思わず「げっ」と声が漏れた。 黒塗りのベンツ。 まさに、『いかにも』な感じの。 本来ならば、絶対お近づきになりたくない類の、その姿。 きっと絶対、フロントガラスも窓も、防弾仕様であろうその車。 …あれに乗って行くんだよな……。 そう思って一護はがっくりと肩を落とした。 東京の市丸の家は、極道一家とはいえ、その実日常にそれを感じさせるものは少ない。 市丸の愛車もスポーツタイプのツーシーターだし、送迎に使われる車も上品な色合いの白塗りのベンツだ。 それくらいなら東京では特別珍しくもないし、もっと派手な車は一杯ある。 尤もどちらも防弾仕様だが、当然言われなければわからない。 住んでいる家は広い日本家屋だし、もちろん舎弟もいるから、一般的な家とかなりかけ離れている事には変わりないのだが、慣れてしまえば『ちょっと大所帯の家』という感覚で、よく映画で見るような看板があったり、大仰な 額が掲げてあったり、虎の敷物があったり…と一護が思わず引いてしまうようなセンスのものは極力排除して あるので、(たぶん市丸が嫌いなのだろう)こんな風に『いかにもです』というものを見せられると、今でも少々引 いてしまう。 だが、きっと今から行く『本家』にはそういうものが満載なのだろう。 そう思いながら市丸に促される形で車に近付くと、イヅルと親しげに話していた男が市丸に向かってきっちりと 頭を垂れてきた。 「おかえりなさいまし、若。お待ちしておりました」 「久しぶりやな。こっちが一護や。よろしゅうな」 「は、今回運転手を務めます川島と申します、一護様。以後お見知りおきを」 そう言って一護に向かって頭を下げる男に向かって、一護は恐縮しながら同じく頭を下げた。 「あ、黒崎一護です。えっと、あの、そんなに畏まらないでください。普通でいいですから…!」 市丸よりはおそらく十は上であろう男は、普段は運転手などという立場ではないのだろう。 市丸組でも、運転手を務めるのはまだ年若い者で、みなそこから上に上がってくるのだと聞いている。 目の前の男は堂々たる偉丈夫で、その顔つきや物腰から幹部クラスの人間なのだろうと思われた。 将来的にこういう人間を束ねるのがこいつなんだよなぁ…と一護がちらりと隣の市丸を見上げると、市丸が 「ん?」と不思議そうな顔で一護を見下ろした。 一通り挨拶が済んだあと、トランクに荷物を詰め込み後部座席に乗り込む。 すると市丸が、すかさず運転手に声を掛けた。 「ああ、表の方回ってや。せっかくやからタワー見物さしたって」 「え、別にいいって」 さっきの一護の言葉を覚えていたのだろう。 こんな風に市丸は、一護のほんの何気ない一言でも決して聞き逃さずに最大限それを叶えようとしてくれる。 記憶力がいいのか、たとえ一護が忘れていた事でも、しばらく経ってから「こないだ言うてたやろ」と言って、その場所に連れて行ってくれたり、プレゼントしてくれたり…と、市丸から与えられるものは限りない。 些か過剰過ぎると、一護がこっそりため息を吐くくらいに……。 「ええって。本家山ン中やから、あんま市街地出てこれんし。なあ、どっか適当にスポット回ってから行ったって。 車ん中からやけど…ごめんな。時間あったら連れてったるから」 今回のメインは京都見物ではなく、本家への挨拶。 市丸からの話によれば、まず総長である曾祖父と対面して、その後許しを貰ってから正式に幹部クラスへ紹介 されるらしい。 『まあ、今回は内々やから』と市丸は言うが、その内々でも一護にしてみれば十分大仰だ。 そうなると入れ替わり立ち替わり人が訪ねてくるらしいので、確かに名所巡りなどする暇などない。 「一護、大丈夫や」 これからの事を想像して黙り込んだ一護の手を、市丸が力強く握る。 「ん…」 一護を安心させるような市丸の手の温もり。 それにコクと頷いて、今更考えても仕方ないと、一護は車中から束の間の京都見物を楽しむ事にした。 車は市街地を抜け山あいを走っていた。 四方を山に囲まれた盆地であるこの土地は、駅を中心とした市街を抜けると、いくらも走らないうちから段々と 緑が多くなる。 街の喧騒を離れて、有名な神社仏閣や住宅地が点在している場所から更に走ると、今度は車窓が緑一色に 変わる。道幅も段々と狭くなり、まさに市丸の言う『山ン中』という様相になる。 なんとなく、夜になると狐か狸でも出そうな感じ。 こんな所に本当に家なんてあんのか…?と一護が思い始めた頃。 ふいに、この景色にはそぐわない人工物の高い門扉が目に入った。 道路を挟むように作られた、高さ三メートルはあろうかという鉄柵の両端には石造りの門柱。 その上に備え付けられているのはインターフォンのモニターなどという可愛いものではなく、本格的な監視カメラ が両側から周囲を余すところなく捕らえている。 その外界を阻むような鉄の門の中心に向かって、車はスピードを緩める事なく直進していく。 どうするんだろうと、後部座席からどこか不安げに様子を伺っていた一護の目の前で、その外界を阻んでいた 鉄柵は、中心から音もなくその口を開き、来訪者を迎え入れた。 車がそこを潜ると、またその門は静かに口を閉じる。 一体どうなってるんだと市丸を見上げれば、市丸がくすりと笑った。 「大仰なもんやろ?ここから先は私有地やから、他のもんは入れへんねんで」 「へぇ…」 その言葉に辺りを見回すけれど。一護の目にはまだそれを示すような家屋が映る事もなく、車窓は先程とは 何も変わらなかった。 「まだ、先や。あれはこの土地に入ったいう事だけ。あと十五分はかかるから楽にしとき」 「あ…うん…」 ソワソワと落ち着かなげに腰を浮かす一護に、市丸が手を伸ばして膝をポンポンと叩く。 それに居住まいを正すと、一護はふうっと肩の力を抜いた。 来訪者として来るならともかく、ここに拉致なんてされた日には、絶対脱出不可能だろうな…とまるで映画ばりな事を想像して一護は眉を顰める。 現実に今自分が、このまるで映画のセットみたいな空間に居ること自体が、酷く場違いな感じがする。 だが、これが市丸にとっての現実で、今から自分もそこに含まれる事になる。 いや…もう含まれているのか。 色々な事が、一護にとってはあまりにも想像を超えていて、正直状況を楽しむ余裕すらない。 そんな一護の戸惑いを、きっと市丸も分かっている。 ──だから、今更だっての……。 一護にとって大事なのは、状況じゃない。市丸本人だ。 それだけを思っていようと、一護は気持ちを落ち着かせるべく、一度深く深呼吸をした。 「それにしても便利になりましたね。自動なんでしょう?前は一々連絡しなきゃ開けてもらえなかったのに」 「ええ、ほんまに。でもこれ最近なんですよ。それでも相変わらず門番は据えてますけど」 一護の緊張する様子が伝わったのか、車内の空気を変えるようにイヅルが声を発すると、すかさず運転手から そう返ってきた。 門番までいるのかよ!?と、益々現実から離れていく一言に、一護が呆然と口を開けると、そんな一護を落ち着かせるように市丸がきゅっと手を握ってきた。 「システム管理してるんやろ、今」 そう運転手に向かって問いかけると、そうだというように軽く頷いた。 「ええ。自分には何のことやらよう分からんのですけど。取り敢えずうちの車は全部登録してあるんで、問題無い いう事でしたわ」 「…それ、止めたがええかも知れへんな…」 ぼそっと呟く市丸に、三者三様首を傾げる。 「たぶん、システム登録して、車にもセンサー付けてるんやろ。どこまでのシステム組んでるか見てみぃひんと 分からんけど、それくらいやったら、たぶんボクなら簡単に破れるで」 「そうなんですか?」 「たぶんな。入ろう思うたら入れるいうこっちゃ。人の目も当てにはならんけど、器械の目ぇも当てにはならん。 まだ門番据えとるだけマシやけど、それやと器械がええいうたもんには無防備になってまう。…まあ、ええわ。 この件はボクから爺様に話つけとくわ」 「たのんます、若。いやー、やっぱり若が居ると違いますわ。自分らはこういう事まるで疎うて。早よ、こっちに お戻りになって欲しいですわ」 その言葉に、そうか…いずれはそうなるんだよな…とぼんやりと思う。 そうなったら当然一護も一緒だ。それって一体いつくらいなんだろうと思いを巡らせていると、隣の市丸から 面倒臭そうな声が上がった。 「え〜、こんな山ン中引っ込むんややわぁ。便利悪ぅてかなんわ。どーせ、爺様もあと十年は余裕で生きるで。 ボクは向こうで一護ちゃんと楽しい新婚生活送ってるんやから、邪魔せんといて」 「ば…!?おま…っ、何言って…ッ」 市丸のこういう物言いはいつもの事だが、一護にとっては初対面の相手にそういう事言うな!と抗議の声を上げ ると、運転席から楽しそうな笑い声が聞こえた。 「ははは、いや、参りましたね。若がそんな堂々と惚気るて…うちのモン、みなびっくりしまっせ」 「川島さん。この二人いつもこんなですから。組長に至っては、一護くん可愛さに頭沸いてますからね。 放っておいた方が身の為です。所詮はバカップルなんですから」 呆れたようにそう零すイヅルに、思わず市丸もそして一護も声を上げる。 「イヅル!そんな言い方ないやろ!?なんや、頭沸いてるて!」 「イヅルさん!」 声を揃えてイヅルに抗議する二人に、「本当の事でしょうが」としれっとイヅルが返し。 それにまた笑いが起きる。 結局、初対面の川島にバカップル認定されたまま、車は本家へとたどり着いた。 高級旅館の離れ。 一言で言えばそういう感じ。 どこの時代劇の武家屋敷かというような重厚な大棟門を潜り、母屋に面した車寄せで車を降りると、母屋の 正面玄関前にはずらーっと男達が並んでいた。 ああ…絶対、アレだ。と一護が思った通り、市丸が降り立つとすぐに、「若、お帰りなさいやし」と皆が一斉に頭を下げた。当然、そんな事には慣れている市丸は、軽く「うん」と頷いただけで特別労いの言葉を掛ける訳でもない。 「こっちが一護や」といとも軽く紹介され、一護は取りあえず「よろしくお願いします」と頭を下げた。 そのまま母屋に入ると思いきや、市丸はそこを素通りして前庭をスタスタと歩き出す。 「一護、こっちやで」 市丸から手招きされて慌てて後に続く。 母屋を回り込むようにぐるりと歩くと、綺麗に手入れされた庭園に、これまた巨大な池。 思わず覗き込むと、丸々と太った大きな鯉が悠々と泳いでいた。 その池の淵をさらに先に進んで、漸く市丸が「あれや」と指を差す。 「あれがな、ボク専用の離れや」 そう言って、生け垣の奥に植えられた竹林の間から見え隠れする瓦屋根に向かって市丸は歩を進めた。 「なんつーか…。すごいな…」 漸く一息というように畳にぺたりと座り込んで、市丸が淹れてくれた玉露を飲みながらぼんやりとそう呟いた。 正直、スケールが大きすぎる。 市丸に案内されたそこは、離れというよりも、それだけで立派な家屋だ。 作りは平屋建てだが、中にはちゃんとキッチンも風呂も備え付けられているし、ここだけで十分生活できる。 玄関の三和土を上がり、短い廊下から続く前室と呼ばれる板張りの先には広いリビング。 その右隣は和室になっている。 その二間を渡すように作られた広縁。和室の奥にあるベッドルームは、全面引き戸になっていて、そこを開け放てば、和室を通して広縁から続く庭も一望できる。 「んー、元は全部畳張りやってんけど、ボクが使うようになってから改装したんや」 「母屋って誰が住んでんの?」 来た時に表から見ただけだけれど、母屋だけでもかなりな大きさだった。 一護がそう聞くと、市丸はちょっと考えてから口に出す。 「今は爺さんだけとちゃう?元々あっこは表…公式の場みたいなもんやから。ボクも一応母屋に部屋はあんねん けど、滅多に使わへんしな。ああ、でも餓鬼ん頃は向こうやったで。まだ乱菊親子も居ったし、イヅルもまだ小さかったし」 そのイヅルも今は、舎弟達が住まう棟に部屋があるのだと言う。 「…じゃあ、今は寂しいな」 ぽつりとそう零した一護に、市丸が笑った。 「寂しい言うてもな。あの人数見たやろ?全員ここに住んどる訳やあらへんけど、入れ替わり立ち替わり誰かしら常駐しとるから、結構賑やかなもんやで」 「ふーん…」 市丸の説明に、一護はまたぼんやりと庭を眺める。 何となく落ち着かない様子の一護に、市丸は湯飲みの茶を飲み干すと、誘いを掛けた。 「どうせ爺さんに会うん夕方くらいやし、風呂でも入らへん?ここ、なんもないけど風呂だけはええで。天然温泉 やからいつでも入り放題やし、母屋のんは特に、古い総檜でめっちゃ広いで。この部屋も浴室からもう一つ露天に出れるよう作っとるし」 「んー…」 多分、一護に気を使ってくれているのだと分かってはいたけれど。一護はそれに生返事を返す。 市丸が風呂好きなのは知っていたが、たぶんそれは此処に由来するのだろう。 武蔵野にある市丸の屋敷も、一体何人用だ?と思うくらい風呂場は広い。 しかも、母屋とそれぞれの離れに計三つも設えてある。 軽く汗を流すのもいいけれど、今入ると湯当たりしそうだなとぼんやり考える。 そして、ふと思いついたように市丸を見た。 「なあ、俺、ちょっと散歩してきていい?」 それに市丸はにっこりと笑い返した。 「ええよ。裏庭も結構広いで。あ、あんまし奥行くとそんまま山に入ってまうから気ぃ付けてな。たぶん木戸で 仕切ってたはずやけど…」 「ん、ありがと」 市丸からの了承をもらって、一護はすくっと立ちあがる。 それに市丸も腰を上げると、一緒に離れを出る。 「なら、一人寂しく入ってこ。後でまた一緒に入ろうな」 ぽんぽんと頭を軽く撫でられて、市丸はそのまま母屋へと向かう。 その後ろ姿を見送りながら、一護はそっとため息をついた。 やっと一人になれたと、一護は凝り固まった肩と首をぐるぐると回した。 市丸と一緒にいるのが嫌な訳ではないけれど。少しだけ一人になって頭を整理したかった。 市丸専用の離れから、北に向かってほてほてと歩く。 先ほど説明された所によると、市丸の使っている離れは『西の離れ』と言うらしい。 母屋を南として、それぞれ、東、西、北と離れがあるらしいのだが、今現在使用しているのは西だけだと言う事だった。その離れも、庭園を挟んで建てられているため、同じ敷地とはいえ町の一ブロックくらいは優に離れている。 それ以外にも、母屋の正面の車寄せに隣接した舎弟の居住スペースとなる棟があるが、そこは敢えて方位には数えないらしい。 人数の割には、どう考えても広すぎる敷地。 ここが市丸の育った家なのだと思うと、やっぱり一般とはかなりかけ離れた環境だったんだなと改めて思った。 「……れ…?ヤベ…入り込んじまったのかな…」 裏庭も広いというだけあって、のんびりと散策していた一護は、気が付くと草木が生い茂る場所にいた。 どうやら、考えるともなくの考え事をしてぼんやり歩いていたのが災いしたらしい。 きちんと手入れされた庭の様子と一変して、結構無造作に木々が生い茂っている様は、それはそれで荘厳だ。 多分そう遠くまでは来てはいないだろうと、一護はそのまま気の向くままに進むことにした。 「…ってか、木戸があるんじゃなかったのかよ?」 さすがにそれがあれば気づくはずだと、一人市丸に文句を言う。 ざくざくと、獣道と見まがうような小道を歩いて漸く少し開けた場所に出る。 と、そこに佇む人影を映して一護は小首を傾げた。 「…なんじゃ?小童」 いったい幾つなんだと思うくらいの、見事な白髭を湛えた老人からそう言われて、一護は小さく会釈した。 作務衣を身につけたその老人は、結構な年だと思えるのに背筋はピンと伸びていて、病気一つしそうにないくらい元気に見えた。 ベルトに釣られた腰袋から剪定バサミが覗いてるのを見て取って、ここの庭師なのかなと一護は思う。 「ここは市丸の敷地ぞ?見かけん顔じゃが…はて?」 続けてそう問われて、一護はその老人に向き直った。 「えっと、俺は黒崎一護。ここの…ギンと…えっとまあ…知り合い?」 どんな自己紹介だと思いつつ、恋人だと堂々と言うにはまだ恥ずかしく…、かと言って適当な言葉も思いつかない為結局はそういう曖昧な言い方になる。 それに老人は、ほほ…と頬を緩ませてうんうんと頷いた。 「そうか、あの坊のな…。儂は山本じゃ。なんじゃ、主一人か?」 取りあえず、不審者ではないとは分かってもらえたらしいと、一護はほっと胸を撫で下ろす。 「ああ。裏庭散歩してたら、どうやら迷い込んじまったらしくて…」 その一護の言葉に、山本老人はふむ…と頷いた。 「坊の離れから来たんじゃろう?あそこは裏庭から山へと続く境界がないでな」 その言葉に、一護はあのヤロウと眉を顰めた。 「木戸があるって言ってたから、そのつもりでいたんだよ」 そう口を尖らせる一護に、山本はまた可笑しそうに笑った。 「ああ…、しばらく前に痛んでしもうての。どうせここまで入り込むのは儂くらいじゃて、外してしもうたんじゃ」 「そうなんだ」 とすると、市丸の言葉はあながち嘘でもないらしいと心の中の文句を取り消した。 「爺さんはここ長いのか?」 そう問いかけると、一瞬山本のその目が丸くなった。 そして、ふふっと含み笑うと、そうだと言うように頷いた。 「そうさな…。もう随分になるのう…」 「じゃあ…ギンの子供の頃とか…知ってんだ」 なんとなく興味本位でそう聞くと、山本はふむと頷く。 「ああ、童の頃から…というより、生まれた頃から知っておるよ。ほんに生意気な小童でのう」 懐かしむようにそういう山本の言葉に、なんだ、昔からあのまんまじゃんと一護は独りごちた。 「じゃあさ…、その…ここの総長ってのは……」 どんな人なのかと、そうはっきり聞くことが憚られて一護はモゴモゴと口を濁した。 これでとてつもなく怖い人だと返ってきたらどうしよう…と、僅かに不安が過ぎる。 人に対して、あまり先入観を持ちたくはないし、持つ方でもないのだけれど、やはり気になるものは気になる。 一護そのままでいいと、市丸からも言われていたし、取り繕っても仕方ないので一護だってそうするつもりだ。 だが、巨大組織を長年に渡って束ねているその人物は、決して一筋縄ではいかない人なのだろうとそう思って いた。 できれば、きちんと認めて貰いたい。 市丸との事は、一護の生涯を掛けてもいいと思えるくらい、真剣な思いだ。 世間的には認められない間柄なのだとしても、決して恥じるような思いではない。 どう言えば…どう伝えれば、それが分かって貰えるのだろうと、一護はそれをずっと思い悩んでいた。 「主は…もしかして、坊の連れ合いかの…?」 一護の問いには答えず、逆に山本からそう問われて、一護は小さく頷いた。 たぶん今回の一護の訪問は、この老人の耳にも入っているのだろう。 「うん…。今回来たのは…挨拶に来たんだ。…だから、どうにもこうにも緊張が抜けなくって…」 情けなくもそう零す一護に、山本はしばらくじっと一護の顔を見つめ、遠くに視線を預けてきっぱりと言った。 「主が主のままで居ることじゃよ。…あの爺は老獪でな。どんなに場を取り繕っても、所詮主のような小童では 太刀打ちはできんよ。それよりも、素直に主らしさを示した方が、よほど爺の心は打つじゃろうて」 物事の理を説くように静かに言う老人の言葉に、一護は真剣に耳を傾け…やがて、何かを吐き出すようにふうっと息を落とす。 一護は一護のままでいいと。そう言われた言葉を改めて噛みしめる。 そう、結局、一護は一護でしかあり得ないのだ。 認めて貰いたいだとか、よく思われたいだとか。 そんな考えばかりが先に立って、肝心な事を見失っていたと、一護は漸く胸の支えが降りた気がした。 「爺さん、ありがとな」 そう言う一護の表情には、漸くいつものようなすっきりとした笑みが乗っていた。 「なんか俺、色々考えすぎて、訳分かんなくなっちまってた。…だよな、俺は所詮俺でしかねぇんだし、それで 反対されたら、もう仕方ないって思うしかねぇか」 そう明るく言うと、山本は「その意気じゃ」と笑う。 「しかし、あやつがのう……」 まるで孫に向けるようにそう呟く山本に、一護は何となく微笑ましく思う。 きっとこの老人にとっては、生まれた頃から見ている市丸は、孫と等しい存在なのだろう。 「さて、儂はそろそろ戻るかの。主ももう戻った方がよい。一人じゃと山へと迷い込んでしまうぞ」 そう言われて一護はうんと頷いた。 「なんか、この山って狸か狐でも出そうだな…」 山本と連れだって歩きながらそう呟くと、山本の顔が意地悪そうに笑みを描いた。 「狐はともかく…狸くらいは居るじゃろ。それよりも、気を付けねばならんのは猪じゃて」 「え…、シシ…って、イノシシ?」 驚いたように目を丸くする一護に、ニヤリと山本が笑う。 「そうじゃ。野生の猪は凶暴でのぅ。ヘタに山に入ると追いかけられてとんでもない目に遭うぞ。 偶に何を思うたか、屋敷にも紛れ込んでくるんじゃ。まあ、そうなったら牡丹にして食うてやるがの」 「へー、天然の牡丹鍋って…すげぇ贅沢」 感心したようにそう言いながら、なんかこの笑い方どこか市丸に似ていると…ふと思う。 長年一緒にいると、他人でもそう言う所は似てくるのかな…とそう思いながら、一護は一緒に山を下りていった。 山本と別れて離れに戻ると、既に市丸は和室でくつろいでいた。 「おかえり」 そう微笑まれて一護は頷くと、目の前の市丸を見つめた。 「…なに…?」 「あ…いや……」 思わず口ごもる。 和室でのんびりと茶を啜っている市丸は、濃紺の着流し姿だった。 黒と見紛うばかりの深い藍。そこに、浅い鮮やかな藍で流水の文様が織り込まれている。 すげ……カッコイイ……。 着物姿など初めて見るけれど、妙にしっくりと填っている。 普段から着慣れている感じが、更に市丸の男ぶりを上げていた。 「着物……」 思わずそう呟くと、市丸が一度視線を落として、ああ…と笑った。 「向こうではあんまし着ぃひんけどな。こっちでは割と多かったなあ…そういえば…」 「あんまり…って、一度も見たことねぇよ…」 そう言って口を尖らせると、市丸がニヤニヤと笑う。 「なんや、惚れ直した?」 図星を付かれて一護の顔が真っ赤に染まる。 「バッカじゃねーの…っ!?」 真っ赤になりながら悪態を付く一護に市丸は、そんな悪態など丸っと無視して一護を手招いた。 「まあまあ、こっちおいで」 ぽんぽんと自分の膝を叩く。 まさか、そこに座れと言う意味か?と思い、一護はさすがにそれはと隣に腰を下ろした。 だが、市丸は特に気にするでもなく、するりと一護に手を伸ばす。 項に手を滑らせ、一護を引き寄せると、チュッと唇に軽いキスを落とした。 「一護ちゃんが気に入ってくれたんやったら、ずっと着物で居ろうかな」 顔を近づけてそう言う市丸に、一護はブンブンと首を振った。 「いや…いい…!たまにでいい、たまにでっ!」 いつもだったらきっと見慣れてくるのだろうが、これは結構心臓に悪い。 自分の和服なんて、七五三か夏の浴衣くらいしか着たことはないけれど、男の…特に市丸の着物姿というのは、妙に色気があって困る。 いや、何が困るって、心臓が煩い。 「今度一護ちゃんにもちゃんと誂えたろな。ああ、浴衣は用意さしてるで。ボクとお揃いや」 にこにことそう言う市丸に、揃いの浴衣って…と更に顔が赤くなった。 「あ…、そういえば…。俺、何着てったらいい…?」 そうだ。着いたらまず、それを聞こうと思っていたのだ。 一応スーツは一揃え持ってきてはいるけれど、あまり堅苦しいのはどうかとも思う。 だが、さすがに普段着という訳にもいかない。 やはりここはきちんとした方がいいのかと、市丸に問う。 「んー、別になんでもええけど…。まあ、せやね、シャツにネクタイくらいでええんちゃう?ああ、ニット・タイ持って きてるやろ、あれでええやん」 「あれ、カジュアルになり過ぎねえ?」 「それくらいで丁度ええよ」 結局、それからああでもないこうでもないと、終いには服を広げてのコーディネート大会となり。 そのお陰で一護は先ほど出会った老人の事を、市丸に話すのをすっかり忘れていた。 そろそろ時間だからと迎えにきたイヅルに連れられて、通されたのは二間続きの広い和室だった。 肝心の総長はまだ来ていないらしく、座って待つよう促される。 市丸の隣に、行儀良く正座した一護は、いざとなるとやはり緊張で顔が強ばっていた。 床の間を正面に、上座には紫紺の座布団が敷かれ、横には脇息が置かれてある。 畳三畳分ほどの距離を空けて、市丸と一護が座り、次の間にはイヅルを含む常駐組の男達がずらりと座って いた。 まさに、謁見という状態。 これで緊張するなという方がおかしいと、一護は内心ため息を吐く。 誰も声を発しないので、市丸に話しかける訳にもいかず、肝心の市丸もいつもの笑みを浮かべたまま、大人しく 座っている。 仕方ないので、一護は目の前の床の間の様子を観察していた。 天井付近の巨大な額には見事な書。正直、上手すぎて何て書いてあるのか分からない。 掛けられた掛け軸は、虎と竜。そして置かれているあれは、真剣だろうか。 うん、まさに。という部屋の様子に、なんだかもうなるようになれと腹を括った。 やがて──、すっと襖が開けられ壮年の男が顔を出した。 「お越しです」 するりと部屋に入り主を迎え入れるように、正座して頭を垂れる。 それを合図に、市丸も軽く頭を下げるのを見て、一護もそれに習った。 視界の端に、すすっと動く足袋が映る。 ああ、この人がそうかと思っていると、上座から低く重厚な声が聞こえた。 「ふむ。よい、面を上げ」 え?どこの時代劇?と笑う余裕もない一護は、その声に釣られるようにその人に視線を移した。 「……は……?」 思わず呆けた声が口を付いて出る。 きちんと着物を着込み、肩から羽織りを掛けたその姿は、確かに相応の迫力があるけれど……。 だって、───えええッ? 「───なんで、爺さんがッ!?」 思わず叫んだ一護に、市丸が一護を凝視し、叫ばれた当の本人は、さも可笑しそうに「ほっほっほ」と笑っていた。 先ほど裏山で会った庭師…だと一護が思いこんでいた人物。 それが、市丸一家の総長──市丸の曾祖父だった。 [NEXT] |
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