極妻お披露目編です。私的オールスターズ勢揃い。
登場人物が多いせいか、やっぱり長くなっちゃいました。
…というか、長いのはもう諦めて下さいーーー(汗)
![]() 「──え…、いや、ちょっと、それはヤダって!」 華やかなクラブの入口の横に周囲の壁に紛れるようにあるもう一つの入口。 従業員専用のそのドアを開けた途端、市丸の耳に焦りまくったような一護の声が聞こえてきた。 「なんや、どないしたん?」 僅かほどの細い通路の奥にある事務所のドアを覘き込みながらそう言うと、その声に弾かれたように 一護が振り向く。 「──ギン!」 そう言って胸の中に飛び込んできた一護をしっかりと抱き留めて、市丸は恐らく元凶であるだろう乱菊を一瞥すると、胸元にしがみついた一護に視線を落として優しく言った。 「なに、あのオバハンに変な事でもされたんか?」 その言いぐさに、一護は飴玉のような目をパチッと見開いて、違うというように首を振った。 「いや…、そうじゃなくて…」 「もう、一護!いい加減に観念しなさいよ。あんたの為の演出なんだから」 「乱菊さん!ごめん、ホント勘弁してくれ。…よかった来てくれて…。行こ、ギン」 そう言って可愛く袖を引く一護に、なんだ?と思いながら市丸はそのまま肩を抱き込んで「早く」と促す一護に従ってそのまま事務所を出ようとした。 「ちょっと、一護!ギン!」 「おい、乱菊。何考えとるんか知らんけど、そりゃすっぱり却下や。──イヅル、乱菊押さえとき」 「はいはい…」 「ギン!…もう、吉良、離しなさいよ!」 「すみません。組長命令は絶対なので…」 二人と乱菊の間に入ったイヅルが仕方なさそうに一護に手を伸ばす乱菊を止める。 それに一護は「ごめん乱菊さん」と一つ拝み手をして市丸を見上げてコクっと頷いた。 「もうみんな来てるんやろ、ボクら行くで」 一言そう言い捨てて市丸は尚も喚く乱菊を無視して一護を抱き込むと、そのまま店内へと歩を進めた。 「よかった…。助かったよ…」 事務所から続く小部屋──所謂ホステス達の待機ルームへと入った一護が、ほっとしたように市丸を 見上げた。 「どないしたの」 そう聞きながら、やっぱり一足先に出向かせたのは失敗だったかと思う。 昨日急遽一護が参加するという事で、一護は今日の為のスーツを乱菊と選びに行ったのだが、調子に乗った乱菊は結局スタイリングも自分がやると言いだして聞かなかったらしい。 その為に、今日一護は随分と早い時間に乱菊から呼び出されていた。 きっちりとした感でもなく、かと言ってカジュアルにもなり過ぎない微妙なラインの柔らかなスーツ。 ウィングカラーのシャツブラウスにヘリンボーンのクロス・タイ。 一歩間違えば結婚式か七五三にでもなりかねない出で立ちだが、妙にしっくりと、そして普段の数割り増しに可愛く収まっているのは流石とも言えるだろう。 あちこち跳ね回っている元気な髪の毛は、いつもの空気感をそのままに、整髪料で整えられたものらしい。 そのいつもより数倍可愛い姿で、市丸を見上げて安心したように笑う一護に、思わず市丸はこのまま誰にも見せずに今すぐ連れ帰りたい衝動にかられた。 「だって、ドラムロール鳴らすとか言うんだよ、乱菊さん」 「は…?」 拗ねた子供のように口を尖らせる一護の可愛い姿と、「ドラムロール」という言葉が上手く結びつかずに市丸の口から呆けたような声が漏れる。 「だから、俺とお前が登場の時にそれ鳴らすから、それに合わせて登場しろって言うんだよ!?」 ホント信じらんねぇ…と零す一護に、漸く市丸にもその言葉の意味が正しく伝わってきた。 「…アホやろ…アイツ…」 呆れと共にそう呟くと、普通なら諫めるはずの一護も、がっくりと肩を落として頷いた。 今時、そんな登場の仕方なんて冗談でもありえない。 きっと、店にゴンドラがあれば、それに乗って登場しろとか言い出すはずだ。 「…結婚式かなんかと勘違いしとんちゃうか、あの女…」 「あ、それ言ってた。今日は披露宴みたいなもんだからって…」 「…アホか…。まあ、ええよ。相手にせんでも。んじゃ、行こか?」 一護の声に耳を傾けながらぐるりと店内を見回すと、既に主だった面々は集まっているようだった。 厚手のガラスと観葉植物で仕切られているその小部屋は店内が一望できる作りになっている。 市丸一家の東の拠点。今日の会合に顔を出している人間は、その一家の傘下である組のトップ達。 それは、将来市丸の代に於ける一家の幹部候補とも言える面子だ。 市丸の言葉に、一護がそっと店内を伺ってコクリと喉を鳴らす。 いくら市丸にとって身内同然だとは言っても、やはり極道の幹部クラスばかりが集まる会合に参加するとなると、さすがに緊張は隠せない。 それに市丸は、緊張を解すように一護の背を軽くポンポンと叩いて、いつものように軽い調子で「ほな行こか」と促して一護の手を握り込むと、フロアへと歩を進めた。 「おお!久しぶりだなぁ、若君!」 フロア手前のカウンターに座る人物からそう声を掛けられて、市丸が足を止めて卯や卯やしく一礼した。 「ご無沙汰してます。浮竹さん。もうええ年なんやから、"若"は勘弁したって下さい。 お体はどうですのん?」 「ああ、最近は大分調子良くなってきてね。それに、君の目出度い席だし、出席しないと罰が当たるよ」 人の良さそうな笑みを浮かべて、そう言って笑う白髪の男。 物腰の柔らかそうな感じから一見して極道には見えない。だが、和やかに談笑している言葉の節々から、しっかりとした芯を感じる人物でもあった。 「ほな、紹介しますわ。この子がボクの選んだ子ぉですねん。黒崎一護です。 以後可愛がったって下さい」 市丸からそう紹介されて、ボンヤリと遣り取りを聞いていた一護が、ハッと我に返り慌てて頭を下げる。 「あ…、黒崎一護です。すみません、ボンヤリしてて。──よろしくお願いします」 「やあ、可愛い子だなぁ。よろしく、俺は浮竹十四郎だ。この若とは若がこーんなに小さい時からの付き合いでね。ほら、彼こんな人だろう?だからもう、どんな子連れてくるのかずっと心配してたんだよ」 こーんな、と自身の座るスツールの下辺りに手を遣る浮竹に、思わず一護から笑みが零れる。 とそこへ、グラスを持った髭面の壮年の男が割って入った。 「ええーーー!?この子が一護ちゃんかい!?うわぁ、しまった。ちょっとメチャクチャ可愛いじゃないの。こんな事なら向こうの仕事さっさと切り上げて帰国してたらよかったよ!」 今にも抱きつきそうな剣幕でそう言う男に、思わず逃げを打った一護を抱き留めて、腕の中にしっかり抱え込みながら市丸が若干咎めるような声を出す。 「ちょっと、京楽さん。いきなり何ですのん。一護怖がってますやろ。ホンマ油断も隙もあらへんわ」 「えー、そんな隠さなくたっていいでしょ。ケチくさいねぇ若君は」 「ケチで結構です。油断大敵や。ホンマ、もうちょっと枯れた大人になりなはれや」 「何言ってるんだい。男が枯れたらお終いだよ。ああー、それにしても惜しい事したなぁ…」 「京楽、いい加減にしないか。肝心の一護くんが訳がわからないって顔しているだろう? 悪いね、京楽は悪い奴じゃないんだけど…」 「なに言ってんのさ。悪い奴っていったらお前さん達の方が"悪い奴ら"でしょう。極道から悪い奴って言われる堅気ってどういう事よ」 「そういう意味で言ってるんじゃない」 三人の遣り取りを、意味の分からない一護はぽかんとしたままその様子を黙って見ていた。 途中割って入った京楽と言う男は、濃い髭面にウェーブの掛かった長い黒髪を後ろで一つに纏めてどこからどう見てもちょい悪オヤジという風情だ。堅気と言ってはいるが、今日の会合に顔を出しているくらいだから、本当の意味での堅気じゃないような気がする…と一護は口には出さずに思う。 一頻り言葉の応酬が終わったのを見計らって、誰?と市丸を見上げると、市丸はそれに苦笑で返した。 「ごめんな、意味分からんかったやろ。あんな、前に一護ちゃんが居った店のオーナーと知り合いや言うたやろ?それがこの人、京楽さんやねん。本業は会社の社長さんなんやけど、道楽で何件か店持っててな。一護ちゃんが居ったのはその内の一つなんよ。あん時はずーっと外国行っとったから、一護ちゃん会うてへんやろうけど」 市丸のその言葉に、一護の目がまん丸になる。 そして、意味を理解した途端、一護が思いっきり声を上げた。 「え…。えええーーーー!?」 「そうなんだよ〜。ほんと、一護ちゃんみたいな可愛い子が入ったって知ってたら、すぐにでも飛んで 帰ったのにねぇ。店の子の事は店長に任せっきりにしてたから、惜しい事したよ」 「う…っそ…。え、…ちょっと、離せ、ギン!」 そう言って一護が慌てて市丸の腕から抜け出した。 「あの…っ、すいません、知らなくて…!」 京楽に向かって頭を下げる一護に、京楽が笑いながら言う。 「いいよ、いいよ。もう、顔上げてってば。そんな堅苦しい事しないの。こういうのも何かの縁でしょ?」 「いえ、あの…。その節は本当にお世話になりました。すいません、俺、ちゃんと仕事も出来ないうちにいきなり辞める事になちゃって…。ちゃんとした挨拶もできずに、本当、すいませんでした」 短い間とはいえ、あの店には本当に世話になっていた。 初めの頃は、正直嫌だと何度も思ったけれど、辞める頃にはあの店は一護の生活の一部とまでなっていたのだ。 そして、あの店があったからこそ、こうして市丸とここにいるのだ。 いくら感謝してもし足りないし、そして何も返す事ができずに結局辞める事になって、仕方ないと思いながらも、その事に関して一護はやはりどこか悔いが残っていた。 そんな一護の様子を京楽は感心しながら見つめていた。 外見は今時のちょっと醒めた様なクールな感じを与えるけれど、それに反してこの子の中身は擦れた所がまったくない。自身も水商売の世界に関わって長い京楽は、水関係からヤクザの情婦になる人間などそれこそ山のように見てきていた。 だが、一護はそんな今まで自分が見てきた人間とは根本が違う。 恐らく、市丸の素性を知りそれでも…と受け入れた時、この子は相当の覚悟の元に彼の隣に立つ事を選んだのだろう。 「いやぁ…。そう言われると、参るねぇ…。ギンちゃん…ホントいい子見つけたよ…」 「そうですやろ?今時こんな子どこ探しても居らしまへんで。ボクが惚れたん分かりますやろ」 そう言って自慢げに鼻を鳴らす市丸に、恥ずかしさに居たたまれなくなった一護は頬を真っ赤に染め上げた。 「ばかっ!何言ってんだよ!?」 そしていつもの調子で市丸の頭をスパーンと叩く。 その様子に、先程から話に加わる事が出来ずに遠巻きに様子を伺っていたこの場の人間が「ヒッ」と短い悲鳴を漏らした。 一瞬のうちに、しんっと静まりかえった店内。 『あの』市丸の頭を叩くだなんて、考えただけでも恐ろしい。 そんな事をしようものなら、確実に指だけではなく、首が飛ぶ。 未だかつてあり得ない光景に言葉もなく固まる周囲の様子に、一護はキョトンとした顔で大きく目を見開いた。 ───ヤバイ───。 いや、市丸に対しての行為自体はいつもの事なので、特別反省も何もないのだが、さすがに家と同じ じゃマズかったか、と思う。 これでも市丸は、ここに居る人間から一目も二目も置かれている立場なのだ。 流石に体面ってものがあるだろう。特に、面子を重んじる『極道』という世界ならば。 まずい、どうしよう…と固まったまま頭を巡らせる一護に、いつも通りの市丸のノンビリとした声が届いてきた。 「あ〜、あたた…。もう、一護ちゃん酷いわぁ〜」 「え…、ご…ごめん、ギン…」 さすさすと頭を撫でながら言う市丸に、一護が慌てて顔を覗き込む。 普段なら絶対にこんな事で謝ったりはしないけれど、さすがに状況を考えなかった自分が今は悪い。 そう思って慌てる一護の手を取って、市丸が落ち着かせるようにのほんとした声を出した。 「もう、乱暴なんやから。こうやってボクの頭叩けるの世界中で一護ちゃんだけやで」 「え…あ…」 「ほら、そんなビックリして目ぇ見開いとると、目ん玉零れてまうよ?なんや、どないしたん?いつも通りで構わへんで?」 ぎゅっと一護の手を握って市丸が笑う。その様子に漸く一護の中が落ち着いてきた。 「そんな緊張せんと。ここ居るんは全員身内なんやから、なんも心配せんでええんよ」 「…うん…」 市丸の言葉に一護がこっくりと頷く。 あまり意識しないようにしていたが、自分でも知らないうちにやはりかなり緊張していたらしい。 市丸の手から伝わる温かさに、ふうと肩の力が抜けていくのを感じる。 それを微笑みながら見ていた市丸の眉が、ふとピクリと上がった。 「ほう…。お前にそんな顔が出来るなんて意外だな」 背後から聞こえる美声に振り向くと、その壮年の男が一護に視線を向けて鷹揚に微笑んだ。 「煩いで、オッサン。ボクの笑顔は一護ちゃん限定やから見んといてくれます?減ってまうやろ」 「見たくて見てるんじゃないよ、ギン。ほら、彼がビックリしているだろう?──はじめまして一護さん。 藍染組組長、藍染惚右介です。この度はおめでとうございます。一家では三代目の教育指南も兼ねてます。以後お見知りおきを」 そう言って藍染が一護にきっちり頭を垂れる。 それに一護は慌てたように首を振った。 「え、あのっ!そんな堅苦しくしないで下さい。なんか落ち着かなくって…。もっと普通に喋って下さい。俺もそうしたいし…」 「それがご希望なら、遠慮無く。──それでいいかい?一護くん」 面を上げた藍染がそう言って笑う。それにほっとした笑みを浮かべて一護が頷いた。 「うん。その方が楽。よろしく、藍染さん」 そう言ってにっこりと笑うとすかさず市丸が口を挟んだ。 「一護ちゃん。こんな人によろしくなんかせんでええ。このオッサンはな、優しそうな顔してるけど一番根性が悪いんや。絶対、気ぃ許したらアカンよ」 「まったく…。いつまでたっても変わらないなお前は…」 呆れたように肩を竦める藍染に、市丸がふんっと返す。 「アンタに対する態度は、未来永劫変わらへんわ」 「そういう所も含めて指南を仰せつかっているんだがね、私は。強情な所は子供の頃からちっとも変わってない」 「そりゃアンタの力不足とちゃいますのん」 にっこりと笑いながら毒を吐きまくる市丸を不思議そうに一護が見上げる。 それに気づいて「ん?」と返すと一護はそのまま藍染を振り向いて無邪気に問いかけた。 「なあ、藍染さん。教育指南って昔っから?」 「ああ、そうだよ。ギンが子供の頃からの教育係でね。…聞きたいかい?」 「うん、聞きたい」 子供の頃の市丸という話に、一護が目をキラキラさせながら食いつく。 それに市丸が慌てて一護の手を引いた。 「一護ちゃん!そんなの聞かんでええ!どうせ録な事しか言わへんのやから、このオッサン」 「お前が録な事しかしてねぇからだろ?」 一護の鋭い突っ込みに、市丸がグッと詰まる。 それに面白そうに眉を上げた藍染が、珍しく助け船を出した。 「まあその話は追々ね。それより主役がこんな所で立ち話もなんだろう。そろそろ移動しないか」 「自分から話振っといてなんやの…。ほらな、根性悪いやろ?」 口を尖らせてそういう市丸に一護が笑う。 一護の前だと子供っぽい所もある市丸だが、こんな風に人前でそういう所を見せる事なんて市丸の家ではせいぜいがイヅルが居る時くらいだ。 市丸を取り巻く人間関係。自分の知らなかった市丸を知る人達。 その中で、笑い話す市丸の姿。それを考えるとなんだか少し楽しくなってくる。 さすがに全部の緊張が解れた訳ではないけれど──。 でも、最初に感じていた怖さを伴った緊張が、今一護の中からふうっと抜けていくのを感じていた。 「でも浮竹さんって極道に見えないよな…」 ボックス席に移動しようとカウンターを離れてすぐ、一護はそう言って市丸を見上げた。 「まあ、一見はな…。でもあの人筋金入りの極道やで。体弱いからあんまり表には出ぇへんけど、 浮竹組言うたら東では知らんもんおらんくらいやし、持っとるシマも広いしな。それに、ああ見えて うちの一家の最高幹部なんよ」 「へえ…」 それって何がどうなってるんだ?と一護が眉を顰めると、一緒に移動していた藍染が説明を始めた。 「そうだな、まず市丸一家という大きな組織があって、その中に含まれるのがそれぞれの組なんだ。 一家は総長を頂点として最高幹部、その下に幹部と続く。まあ、会社の役職みたいなものだね。 幹部クラスが抱える組にはまたその下に小さな組があったりする。浮竹組はその中でも結構多くの 組を抱えている所でね」 「へえ…そうなんだ…。じゃあ、藍染さんは?」 「私は一家では幹部に席を置いているよ。教育指南という肩書きは…まあ、分かりやすく言うと学校の係みたいなものだよ。幹部はそれぞれその係が割り振られているんだ。浮竹組長は一家の事務局長 だしね」 「そうそう、分かりやすく言うとそういう事や。学校の保健体育委員みたいなもんや」 「そんな係なんてねえよ!」 得意げに口を挟んだ市丸の台詞に一護が吹き出す。 保健委員も体育委員もあるが、保健体育委員ってなんだかちょっとヨコシマな感じに聞こえる。 そう言って笑う一護に、市丸がムッと口を尖らせた。 「そうなん?ボク学校なんか行ってへんからよう分からんわ」 その言葉に、そう言えばそんな事言ってたなと思い出す。 幼い頃から頭脳明晰だった市丸は、十歳くらいで既に大学に入れる程の天才児だったらしい。 その為飛び級のない日本の教育制度では、学校に行く事もままならなかったのだとイヅルは言っていた。その時の教育係がこの藍染だったのだなと思う。 今日は市丸に止められたけれど、機会があったらその頃の話も聞いてみたいなと隣の市丸を見上げながら思った。 移動しながら次々に掛けられる声に足を止めて挨拶を交わしていた一護に、その光景が飛び込んできた。 「ちょっと待って…」 そう言って一護が今視界に映ったボックス席へと足を運ぶ。 そこには十二、三才くらいの少年が座り、グラスを傾けていた。 そこに足早に近付き、口に運ぼうとしていたグラスをひょいっと取り上げる。 「こら!ガキが酒なんか飲むんじゃねぇ!」 そう言ってグラスに鼻を近づけるとやっぱり思っていた通りアルコールの匂いがする。 この場に居るという事は誰かの子弟なのだろうが、いくら極道の子供だからといってこんな小さい内から飲酒を放置するなんて…と一護は顔を顰めた。 「……あ…?」 眉間に皺を深く刻んだまま子供を見下ろす一護を、その子が見上げる。 大きな碧色の瞳で一護を睨むように見上げる子供は、子供とはいえ結構迫力がある。 が、それで怯むような性格は一護もしてはいない。 「ガキの頃からこんなモン飲んでると大きくなれねえぞ?何でこんなトコに一人でいるんだ。 保護者はどうした?ほら、あっちに食い物あるから一緒行こうぜ」 そう言って手を差しだした一護に、その子供の肩がフルフルと震える。 そして、背後に居る市丸にキツイ視線を向けた。 「…おい…市丸……」 「ん?」 応える背後の市丸から忍び笑いのような声が漏れる。なんだ知り合の子か?と思い市丸を振り返ると、案の定口に手を当ててクスクスと笑っていた。 おまけに後ろの藍染も可笑しそうに笑ってこの様子を見ている。 何だ?と首を傾げていると、その子供から地を這うような声が発せられた。 「…てめぇ…、連れてくんならせめてトップの顔と名前くらいは叩き込んで連れて来い!」 「あ〜、そりゃすいませんなぁ。昨日急遽連れてくんの決まったから、そんな時間無かったんですわ。 ──日番谷組長」 「…は…?」 市丸の言葉に、一護が目を見開く。 「煩え。どうせわざと言わなかったんだろう、テメェは。おい、藍染!テメェも笑い過ぎだ!」 今にも吹き出さんばかりの藍染に鋭い声が飛ぶ。 「いや…。一護くんもやるなぁと思ってね。君が子供みたいに叱られてる姿なんて、滅多に見れるもの じゃないから…つい…」 「…は…?え…?」 その遣り取りに目を白黒させる一護に、市丸が笑いをかみ殺しながら言った。 「あんな、一護ちゃん。彼──日番谷組長は年若いんやけど立派な組長さんなんや。まだ中学生やけど頭ん中身はそこらの大人以上なんやで。一昨年、組長の親父さんが亡うなってそのまま跡目継が はったんよ」 「はい…?」 市丸の言葉を確認するように声を出す一護に藍染が補足する。 「そういう事だよ一護くん。それに、日番谷くんは未来の一家の幹部候補だしね。先代の日番谷組長は一家の最高幹部だった方でね。日番谷くん自身は若いからその席は外れたけど、一家の代替わりの 時点での最高幹部候補筆頭に上げられてる一家にとっては重要人物なんだよ」 「筆頭はテメェだろう、藍染。…そういう事だ、一護。これからよろしくな」 そう声を掛けられて一護は日番谷に視線を移すと、それでも尚言い募った。 「ああ…よろしく。でも!組長だからって酒飲んでいいかは別問題だからな!?」 その一護に日番谷が面白そうに笑った。 「テメェ、イイ根性してるじゃねえか。気に入ったぜ一護。改めて、日番谷冬獅郎だ。市丸は我が侭で大変だろう?何かあったらすぐ俺んとこ来な」 そう言ってニヤリと口の端を上げる日番谷に市丸が面白く無さそうに言う。 「なんやの、何かあったらて。大体『一護』やのうて『一護さん』くらい言いや。ボクの連れ合いやで?」 「何言ってんだ。こんな右も左も分かんねえ世界でいきなり傅かれるなんざ、一護の方が恐縮しちまうだろうが。大体お前はまだ『三代目候補』であって『三代目』じゃねえ。俺に敬って欲しけりゃ跡目継いでからにしろ。いつまでたっても継ぐの継がねえのとフラフラしてる奴に傅く気はねえよ」 「…これやし…」 日番谷の言葉に肩を竦める市丸に一護がくすりと笑みを零す。 こんな風に真正面から市丸に物を言える人間が側に居る事に少し安堵する。どんな組織であっても周りにイエスマンばかりが居る所ほど崩壊は早い。結果、上の人間が我が侭になり独裁的になるからだ。 確かに年はまだ若いけれど、日番谷のような人間は市丸にとって必要だと思う。 そしてきっと、市丸自身もそれが分かっているんだろう。 ──なんだ、ちゃんとやってんじゃん 我が侭放題にみえるけれど、やっぱりちゃんと考えてるんだなと少し嬉しくなる。 少しずつでも今まで自分が見てこなかった市丸の側面が見えてくる。 それだけでもここに来てよかったと一護は思っていた。 日番谷がいたボックスに取り敢えず腰を落ち着けてしばらく談笑していると、ふいに日番谷が市丸に話を向けた。 「…そういえば吉良はどうした」 「ああ、来てるで。乱菊押さえてもろうてたんやけど、そろそろ来るやろ。──なんや」 「そうか…。更木も来てるんだよな…?」 考え込むように言う日番谷に藍染が的を射たというように頷いた。 「…あの件か…」 「ああ…。こんな席で悪いけどな。俺らが一堂に集まるなんて滅多にないだろう。 少し話ときたいんだが…いいか?市丸」 「しゃあないなあ…」 ふうっとため息を落としながら市丸がゆるく頷くと、フロアに視線を投げる。 「取り敢えずイヅルが戻ってきてからやな。一緒に聞かした方が説明省けてええし。…ああ、来よった」 その言葉と共にイヅルが乱菊を連れて姿を現した。 「もー!何なのよアンタは。せっかくあたしが色々考えてたのに!」 開口早々市丸に文句を言う乱菊を無視して、市丸がイヅルに視線を投げる。 「ご苦労さんやったな。これからちょっと話詰めるからお前は浮竹さん呼んできてくれへんか。乱菊、 お前は更木連れて来ぃ」 そう言ってテキパキ指示を出す市丸に、イヅルが頷いて直ぐさま踵を返す。それに乱菊もブツブツ言いながらも続く。 その後ろ姿を見送りながら、一護が市丸に伺うように言った。 「あのさ…。俺、居ない方がよくない?」 その言葉に市丸の眉がへなりと下がる。 「ん〜、せやなぁ…。ごめんな、ちょっと仕事の話せなアカンねん」 「分かった。じゃあ俺席外すよ。どこかその辺適当にいるからさ」 市丸の言葉に素直に頷いて一護が席を立とうとする。 その背後にぬっとした影が差した。 「ああ?何だ、せっかく気分良く飲んでたってのに。…なんだ、このオレンジのガキは」 背後から響く重低音に一瞬ビクっと身体が竦む。だが、昔から「オレンジ」と散々絡まれてきた一護にとってその言葉は一種の挑発に近いもので。この場に居る人間がどういう種類の人間かなど一瞬頭から抜け落ちた一護は、振り返りざまに叫んでいた。 「ああ!?なんだよ、オレンジって!」 「あん?なんだ、テメェ…。俺とやるってのか?」 のっそりと立つ巨体から一護を見下ろして恐ろしい風貌の男が一護を睨む。 腹辺りまで開けられたシャツの下から覘く肌にも、顔にも深く刻まれた無数の古傷。 なんだそのパンクな頭は!?と笑う事すらできない男の鋭い眼光。 最もヤバイ相手に啖呵を切ったと、一護は一瞬喉を詰まらせる。 だが、ここで怖れをなして謝るという選択肢は悲しいかな一護の中にはなかった。 「俺は『オレンジ』じゃなくって、黒崎一護って名前があんだよ。失礼な言い方すんな!」 「…おもしれぇな、ガキ。俺に睨まれてまーだ向かってくる根性があんのか。 そういう奴は嫌いじゃないぜ。おい、腕っ節に自信あんだったら向かってきな」 「ああ!?だから、ガキとか言うな!」 「あ〜、はいはい。落ち着いて座り、一護。更木の組長さんもやめてや。今日の主役ボコボコにする気ですか?」 そう言って市丸が立ったままの一護の腕を引いて再び座らせる。 「だって、ギン!こいつが…」 「わかったから。更木組長、勘弁したって。この子ボクの連れ合いや。一護言いますのや、可愛いですやろ?」 「へえ…こいつか…。面白そうなガキじゃねえかよ。おい、市丸、俺にちょっと貸せ」 「やーですよ。ったく喧嘩上等なんもいい加減にして欲しいわ。一護に手ぇ出さんとって下さい。 一護ちゃん、この人な更木組の組長さんや。見ての通りこわーい人やから、無闇に近付いたらアカン」 一護の短気を諫めるように言う市丸に一護が口ごもる。 「だって…」 別に喧嘩を吹っ掛けようとした訳じゃなかったけれど、それでもあんな言い方をされればカチンとくる。 せっかく、少しは礼儀正しく大人しくしていようと思っていた化けの皮を自分で剥いだ事に対する気まずさも相まって、引っ込みが付かなくなった一護に市丸がポンポンと頭を撫でる。 「一護ちゃんも気ぃ収めえ。お祝いの席でそんな事したらアカン」 「うん…ごめん…」 市丸の言葉に今の状況を思い出して一護がしゅんと項垂れる。 その耳に楽しそうな笑い声が振ってきた。 「なんだ、結構気が強いんだなぁ一護くんは。更木に向かっていく子なんて久しぶりに見たよ」 「浮竹…」 「浮竹さん…。これ以上煽らんといて下さい」 あははと笑い声を立ててそう言う浮竹に日番谷が呆れたようにため息を落とし、市丸が眉を顰める。 そこに乱菊の甲高い声が響いた。 「そうよ!一護も更木さんもいい加減にしなさいよね。あたしの店潰す気?いいこと?この店の中で暴れて一つでも物壊したら遠慮無く請求書叩き付けるわよ、もちろん慰謝料も含めてね」 その言葉に流石の更木も「う…」と詰まる。この乱菊から慰謝料を吹っ掛けられたらとんでもない事になるだろうというのは一護にも想像がつく。しかも、更木のバツの悪そうな顔からして、過去に経験があるのかもしれない。 「まあええわ。これで終いや、ええな二人とも」 「うん…」 「チッ。せっかく久しぶりに楽しめると思ったのによ…。まあいい、気に入ったぜ一護。今度うちの道場に来い。思う存分やり合ってやる」 「いいよ…もう…」 そう言って楽しそうに言う更木に気勢を削がれた一護はがっくりと肩を落とす。 さっきの勢いなら兎も角、改めてこの男とやり合う気などまったくない。…というか御免だ。 「で、何だい?なにかあったのか?」 取り敢えずこの場が収まった所で浮竹が口を開く。 「ああ、せやった。乱菊、悪いけど一護ちゃん向こうに連れてったって」 「なに?仕事の話でもするの?じゃあ上のVIPルーム使いなさいよ。その方が気兼ねなくていいでしょ」 「そうそう。一護ちゃんの事は僕がついてるから心配しなくていいよ」 浮竹の後ろから、ひょいっと顔を覗かせてそう言う京楽に、市丸がにっこりと笑い返した。 「いや、ええです。返って心配やから、京楽さんも是非参加してもらいましょか」 「ええーー!?僕関係ないじゃない!」 「こんだけ長い事組関係の事に首突っ込んどいて今更なに言うてんのです? 浮竹さん、京楽さん強制連行や」 「ええ〜」 「観念しろ京楽。俺もお前が一護くんといるのは色んな意味で心配だよ」 長年の友人からそうばっさり切り捨てられた京楽がヤレヤレと肩を落とす。それに乱菊がはーいと元気よく手を挙げた。 「じゃああたしが付きっきりでいるわよ」 「いや、俺別に一人でいいし…」 別に子供じゃないんだから、一人で居られない訳じゃない。 市丸も十分過保護だが、何だかこの場の人間もそれに追随しているような気がするのは自分の思い過ごしだろうか。 「うちの若いもんに相手させてりゃいいだろうが」 さっきまで一護とやり合う気満々だった更木までもがそう言い出す。 その言葉に市丸は一瞬イヅルと目を見交わせて頷いた。 「そうして貰えますやろか。あの子らやと一護ちゃんも気楽やろうし。んじゃあ乱菊連れてったって。 一護ちゃんごめんな、すぐ戻るし」 「だから、俺は餓鬼じゃねぇってーーーー」 その台詞が言い終わらないうちに、乱菊から手を取られて引き摺るように連れて行かれる一護に市丸が「イイ子でいるんやで〜」とヒラヒラと手を振っていた。 「…もう…どんだけ過保護なんだよあいつ…」 ブツブツとそう零す一護に乱菊が笑う。 「そう言わないの。あんた一応今日の主役なんだから、一人に出来る訳ないでしょう?ま、心配しなさんな。更木組長はあんなだけど組員の子はいい奴ばっかりよ。まあ、喧嘩上等なのは同じだけどね。 年も近いから話も合うんじゃないかしら」 「いや…これ以上喧嘩上等はたくさん…」 「あはは。誰彼構わず吹っ掛けてくるのは組長くらいよ。一護あんた空手かなにかやってたんでしょう? あの組剣術の道場持ってるから気質は合うと思うわよ」 乱菊の言葉に一護はキョトっと首を傾げる。 「よく知ってるな。中学までやってたんだ。高校入って辞めちまったけど…」 でもその話はしたことはなかった筈だと疑問に思う一護に、あっさりと乱菊から答えが返ってきた。 「昨日の喧嘩よ。動きいいなぁって思ったから。あたしも武道ちょっと囓った事あるから分かるのよね」 「へぇ…」 続く、意外…と言う言葉は意識して飲み込む。それにすかさず乱菊が突っ込んだ。 「なによ、意外とか言うんでしょ。あたしだって極道一家の端くれに居たんだから護身用よ。ま、今じゃあボディガード買って出てくれる人間なんて一杯いるから、あたしは何にもしないんだけどね〜」 そう言ってカラカラと笑いながら乱菊が奥のボックス席へと一護の腕を引いていった。 「はーい、飲んでる?」 「乱菊さん」 声を掛けられて真っ先に振り返ったのは見事なスキンヘッドの男だった。 うっわぁ、ツルツル。と声に出さずに思う。 そのスキンヘッドは乱菊の横に立つ一護を上から下まで見回して、鋭い視線を投げてきた。 それを真正面に見返しながら、十分誰彼構わずだよ…と心の中で呟く。 「誰だ、おめぇ」 ボソリと呟いた男に一護が口を開くより早く、乱菊が呆れたように言った。 「あんた達、飲んでばっかりで周りなんか見てなかったんでしょう。この子よ、今日の主役。 ギンのお相手」 「はぁ!?こいつが!?」 そう言って指を差してきた男の手を一護がパンっと払う。 「黒崎一護だ。はじめまして。意外なのは分かるけど指差さないでくれるかな。あんまりいい気持ちしないんで」 敬語くらい使うべきだったかなと思いながら、もう今更か…と開き直る。 きっと市丸といる以上、この先ずっと付き合っていく人間には間違いないのだから、いずれきっと地が出てくる。 それに、心情的に指差された人間に下手に出るのもなんとなく癪にさわる。 …こういう所が俺って短気なんだよな… と自分の性格を若干反省してみるが、もう口に出した言葉は引っ込まない。 相手が目上だろうと下だろうと、ちゃんとした礼を尽くされればそれに返すし、それなりの態度を取られればやっぱりそれなりの受け答えしかできない。それは相手がヤクザだろうがなんだろうが同じ事だ。 そう思って一護の言葉に眉を顰めているスキンヘッドの男を見返していると、その隣のオカッパ頭をした優男が吹き出した。 「あはは。この勝負一角の負け!さすがは市丸組長が選んだだけあるね」 そう言って笑う男に一角と呼ばれたスキンヘッドがチッと舌を鳴らした。 「ヤクザに向かって啖呵切るなんざいい根性してるじゃねぇかよ」 そう言って再び一護を睨んだその目には、どこか面白そうな光が宿っていた。 「でしょう?一護怒ると結構怖いわよ〜。あのギン相手に力業でいくんだから」 「ちょっと、乱菊さん!」 「そりゃすげぇや」 ピュゥと口笛を吹いて感心したように目を見開く一角に、一護はガリガリと頭を掻く。 「そうじゃねぇって。あん時は頭に血が昇ってたから…」 言い訳のようにそう言う一護に、一角が面白そうに笑う。 「頭に血が昇ったからってあの人に向かってく奴なんか誰もいねぇよ。ヘタしたら殺されちまうわ」 「さっきも更木組長にも啖呵切ってたしね〜」 「ウソだろ…」 「あっはっは!何その単細胞!!!」 「もう!乱菊さん、黙っててくれよっ!」 いっそ面白そうにベラベラと一護の所業をバラしだす乱菊に、一護が叫ぶ。 その様子に周りに居た人間も笑いだし、場が一気に和やかな雰囲気に包まれた。 「おーし、いいぜ、そういう奴は大歓迎だ!まあ座れよ。俺は斑目一角。一の字同士仲良くしようぜ」 一角に手招かれて一護もようやく笑みを零すと一角の隣に腰を下ろす。 「よろしく。あ、俺の事は普通に"一護"でいいから」 ヘタしたらまた「さん」付けや「様」付けで呼ばれかねないと一護が先に言う。 市丸の相手だという理由だけで付けられる敬称にはやはりどうしても馴染めない。 先程日番谷から普通に呼び捨てられてホッとしたのも事実だ。 市丸には立場があるけれど、自分は単にその恋人だというだけで彼らの上に立っている訳じゃない。 極道だ組長だと言っても普通に人間同士として話したいだけだ。 そう思って日番谷の事を「冬獅郎」と呼び捨てていたら、「日番谷組長だ」と諫められた。 が、一護は気にせず呼び捨てる事に決めた。だって組長と言ったって年下だし。 「おう。ま、正直お前の立場からいくとそれも微妙だけどな…。まあいいか、そら飲め、一護!」 「いや、俺まだ未成年だし…」 「俺の酌が飲めねぇってのか」 「飲めねぇよ!」 すかさず突っ込んだ一護に周りから笑いが起きる。 その様子に乱菊が一護の肩をポンポンと叩いて「ジュース持ってきてあげるわよ」と笑いながら去っていった。 結局、ウーロン茶とオレンジジュースを大きなデキャンタに並々と持ってきてもらったものの、何杯かに こっそりと酒を混ぜられて、計らずとも一護は強制的に飲酒する羽目になった。 それでも元々アルコールに強いタチだったのか、あまり顔色も気分も変わらずにすんでいる。 更木の連中も酒が進むにつれ遠慮が無くなったのか、初めは「一護」と呼び捨てる事に躊躇していた 人間も、今では昔からいる仲間のように気安く一護に接してくれていた。 「えー、じゃあその店って京楽さんの店だったの」 「うん。さっき初めて知ってビックリしたんだけどさ」 いつの間にか話題は市丸との馴れ初めになっている。 こういう話って女子がしたがるんじゃあ…とも思ったが、初対面の人間同士共通する話題が多い訳じゃない。 元々市丸の相手のお披露目会なので、行き着く話題がそこなのは仕方ないだろう。 「ふうん…、じゃあ高校卒業したばっかりでお水やってたんだ」 「お水っていうか…どっちかってーと雑用の方が気楽でよかったんだけどさ」 いつの間にか隣に移動してきたオカッパの男──弓親が話題を引っ張っている。 「でも、珍しいね。今時の子って大学行く方が多いじゃない」 「ああ、俺親居ないからさ。本気で行こうと思えば手はない訳じゃなかったけど、特にこれ勉強したいってのなかったし、取り敢えず行くには金掛かるから勿体ねぇし。まあ、どうしても行きたきゃそん時考え りゃいいって思ってさ」 「それが正解かもな。親がいりゃあ脛囓れるんだろうけど、俺らみたいに親無しじゃあ自力で生きてくしかねぇからな」 一護の言葉に一角が頷く。 「…じゃあ一角も親居ねぇのか?」 「ああ。俺だけじゃなくて弓親もな。俺と弓親と…あともう一人いるんだけど、そいつと…同じ孤児院出でな。まあ事故や病気で亡くしたり捨てられたり…色々だ。んでグレまくってどうしようも無くなった時目ぇ掛けてくれたのがウチの組長だったんだよ」 「そうそう。あの人あんなナリしてるけど、そういうの放って置けないタチなんだよね。面倒見いいんだよ意外と。……そういえば遅いね、ウチの穀潰し」 「ホントだな。何やってんだ、あいつは」 へぇ…意外…と思っていた一護を挟んで一角と弓親がブツブツと文句を言う。 「どうせまたゼミだのなんだのじゃないの?ったく、誰のお陰で大学まで行けるんだか分かってのかね」 「まったく…、絶対来いってあれ程言ったのによ…」 「最近生意気なんだよ。今度一回シメてやろう」 そう言って弓親が携帯でメールを打ち始める。それを横目で見ながら一護が首を傾げた。 「ああ、さっき話してたもう一人の奴だ。今大学通っててな。お前と年近いから話合うんじゃねぇか?」 「へえ…。珍しいんじゃねぇの?この世界で大学行ってるって」 ちょっと偏見かなと思いながらも素直に聞いてみる。 それに一角が、だよな…と頷いた。 「経営勉強したいんだと。ほら、俺らは高校もまともに行ってねぇから、経済がどうのってなるともうサッパリだからな。まあアイツなりにウチの組の役に立ちてぇんだろ。ウチにはそういうのが明るい奴が いねぇからずっと貧乏なままだしな」 「ホント…早く役に立ってくれって思うよ。いいかい、一護。ヤクザでブイブイ言わせてるのなんて一部だけなんだからね!」 メールを打ち終わった弓親が話に加わって、そこから更木組がどんなに貧乏なのかと話が一気に貧乏自慢になった。 それを聞きながら、今時の極道事情も大変なんだなと思う。 そう言えば市丸も確か飛び級でアメリカの大学で学位を取ったと聞く。 まあ経済ヤクザという言葉だってある事だし、それなりに経済にも明るくないと今は組として立ち行かないのかも知れない。 「まあ、あいつ僕等のうちじゃあ一番頭良かったからねぇ。うちの組って腕は立つのは多いんだけど、 それ以外はからっきしってタイプばっかりだからさ。一人くらいそういうのが居ないと、組長に任せて たんじゃぁその内潰れちゃうよ。ま、今の所は一角が頑張ってるけどね」 「ホントやってらんねぇわ…。帳簿見る度頭抱える生活のどこが極道だってんだ…」 「ふうん…。大変なんだな…色々…」 こうして話を聞くと、極道も色々なんだなと思う。 どうやら話を聞く限り更木組というのは昔気質の『渡世人』という言葉が当てはまるような感じがする。 喧嘩上等で血の気は多いけれど、一本気でどこか温かい。 市丸は一護が人を信用し過ぎると言うけれど、一護だって馬鹿ではない。 確かに彼らは極道で、人の道を外れた世界に居るけれど、でも人間的に信用できるかどうかはそれとは別問題だと思う。きっと彼らにだって、一護に見せていない血なまぐさい部分だってあるのだろう。 それでも、一角も弓親もこの場に居る更木の組員達も、一護は好感を持っていた。 「でもあいつが頭イイってのはなんか詐欺くせえんだよな。てか、実際バカだろ、あいつ」 「そうそう。勉強はできるけど、バカ。性格的な、おバカ」 酒が入っているせいか、貧乏話からぐるりとループして話題が極道大学生の話に戻る。 「なに、性格的なバカって」 きょとんとして聞き返す一護に弓親が可笑しそうに眉を上げる。 「だって、あいつの高校時代の話聞いたら、吹き出すよ、マジで」 「違いない!大体5年も高校行く奴ってなんだよ」 「5年?」 「そう、もう、聞くも涙語るも涙の大馬鹿者っ!」 ふうん、留年かぁ…と思う。まあ人には言えない事情って奴か…?と勝手に解釈する。 「あ、違う、違う。それがさぁ、好きな子の為に留年までしたって言うんだから」 「へえ…」 「んっと、ありえねぇだろ?その子の側に居たいからって、わざわざ留年までするかよ、普通。 結局あれ、なんもできずに終わったんだろ?」 「そう!告白すらしてないってさ。だから、勉強はできるけど、バカなんだ」 と、その話を聞いているうちに、なんだか似たような話もあるもんだなと独りごちる。 「なに?どうかした?」 「あ、いや。俺のダチの事思い出して」 「ダチ?」 「うん。似たような奴っているんだなぁって。あ、でも俺のダチは単に単位足りなくて留年しただけなんだけどさ。俺が一年だった時は三年だったのに、三年になっても三年だったんだ。結局、最後同級で卒業したんだよ」 「なにそれーーーー!」 その話に弓親がゲラゲラと笑う。どうやら酒が入ると笑い上戸になるらしい。 「ま、世の中似たような人間っているって事だよな」 そう、そのくせ大学はストレートで入ったのは、一種の詐欺だと思う。 聞けば聞くほどよく似てはいるけれど、でも好きな子がいたから留年したという話も聞いた事はないし、何より彼は普通の堅気の人間だ。 確かに、全身思いっきりタトゥ入りまくりだったけど…。 そう思ってそう言えば最近連絡してなかったな…と思い出す。 この所、自分の環境の変化に付いていくのが精一杯で、正直…忘れていた。 最後に連絡したのは確か、引っ越す直前くらいで、それも『引っ越す』という簡単なメール連絡だけだった気がする。 久しぶりに会いたいなと思う。だが…、さすがにまだ今の状況を話す勇気はない。 何かにつけ口を出したがる性格だから、極道と付き合っているなんて知れた日には、絶対に何か言われるのは目に見えている。 それを考えるとさすがに気が重いな…と思った。 一護自身が極道に染まった訳ではないけれど、向こうからしてみたらそれでも同じ事だろう。 今までちゃんと意識した事はなかったが、これが極道と堅気との溝なのかと少し寂しく思った。 と、自分の思いに沈んでいた一護の横で、弓親が立ち上がって大声で叫んでいた。 「もー!遅いっ!こっちこっち」 そう言って手招く。 それに答えた声は──。 「そう言わないで下さいよ。これでもゼミ抜けて来たんスから」 「なーにがゼミ、だよ。偉そうに言うんじゃないよ!」 「偉そうって、何がっすか!?そんな事で一々拗ねないで下さいよ…。──…え…?」 絶対に、何処かで聞き覚えのある声。 そして、その声が、詰まったように止まる。 「──…一、護……?」 背後から聞こえる聞き慣れた声。それも…自分の名前を…。 「…え…」 それに、一護が振り返ろうとした瞬間、隣の一角からその声が発せられた。 「なんだ…?知り合いか…?──恋次」 「───れ……」 ギギギ…と、音がしそうなくらい、ぎこちなく振り返る。 いや、絶対、そんな事がある訳がない。 さっきの話題に出た極道大学生──。 そして、久しぶりに会いたいと思った高校時代の親友──。 それが……。 「…恋……次…?」 「一護……?」 振り返った先で、バッチリと視線が合う。 「「──な……、なんでお前がここに居るんだよっっっっ!!!???」」 ───同一人物かっっ!! お互い、指差したまま固まってしまった二人の周囲もまた、その様子を呆然と見つめていた。 [NEXT] |
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