
「──うそ…だろ…」
指差したまま呆然と固まった一護は、カラカラに乾いた口で漸くそれだけ呟いた。
ありえない。どうして恋次がここに居るのか。
一護の高校時代からの親友──悪友の阿散井恋次。
確かに見た目は極道みたいな奴だと思っていた。
でも、──本当に極道だったなんて。
騙されたというよりも、信じられないというよりも、呆然と「うっそぉ…」という感じに近い。
つまり、頭が真っ白になる感覚だ。
正直、市丸が極道だと聞かされたよりも、受けたショックは大きいかもしれない。
一護が高校に入学した早々、思っていた通りこの髪のせいで派手に絡まれた。
最初は無視していたけれど、それが結局相手を益々煽る結果となり、仕方なく最後は拳で語り合い?のいつもの状態になった時、当時三年に在籍していた恋次が助太刀に入ったのだ。
さすがにあの時は十対一という卑怯にもほどがある状態だったので、全員一発KOは厳しいかな…と
一護も何発かのパンチを食らう覚悟はしていた。
結局、恋次の手助けもあったお陰か、早々に決着が付き、それ以来口では煩く言うものの、本格的に
絡んで来ることはなくなった。
そして、当の助太刀に来た恋次は、自分も赤い髪と見た目で散々絡まれたから…という何とも美しい
理由で加勢に来たという最初の印象も忘れるくらい、寄ると触ると喧嘩ばかりしていた。
それでも、学年は違えども気は合ったし、一護も恋次に対して先輩などとは一度も思えずに、いつしか本人達も周りからも「親友」だと言われるような付き合いになった。
そして──一護が二年に進級が決まった頃、卒業するはずだった恋次から、「留年した」との報告を受けたのだ。
そこまでバカだとは思っていなかったけれど、実際いくつかの単位を落としたらしく、出席日数も相まって恋次はもう一度三年をやり直す事になったのだ。
そしてさらに、次の年──。再び留年した恋次に、さすがに一護は呆れ返った。
だが本人は落ち込む処かどこか楽しそうで、しかもクラスまで同じというあり得ない状況になり。
それでも気心の知れた友人と一緒なのはやはり一護も楽しくて。
結局、2つ上の恋次と高校三年間を丸々過ごしたのだ。
が───。
今ここで聞いた話を総合してみると、恋次は幼少の頃からずっと更木組で育っていたという事になる。
もちろん、恋次の両親が既に亡く、孤児同然で育ったという話は本人から聞いてはいた。
一護もその頃既に両親を亡くしていた為、似たような境遇なんだなとぼんやり思っていた。
だから、ヘタに同情されるよりも、同じく両親のない恋次は付き合っていて楽だった。
だが、恋次があの時点から、将来的に極道への道を進むと決めていた事など、一護はまったく知らなかった。
自分のやりたい事が見つからず、その為に取り敢えず大学に入るというのは無駄に思えて一護が進学を辞めた時、しっかりと自分が学びたい事を見つけてその為に進学するという恋次が少し羨ましく、頼もしく見えたものだ。
それが、最終的には組の為にという思惑があっただなんて、恋次はもちろん一言も言わなかったし、
一護には知りようもなかった。
確かに、言えないのは分かるけれど……。
でも───。
「お前…極道だったのか……」
呆然と呟いた一護の台詞に、同じように固まっていた恋次の眉がピクリと動いた。
「ああ?…おい…、俺の事よりも…、お前…。お前こそ、何でここに居るんだよ!?」
漸く頭が働き出したのか、恋次がいつもの調子でがなり立てる。
ほとんど詰問口調のそれに、対する一護の眉間に深い皺が刻まれた。
「はぁ!?…ってか、俺が先に聞いてるんだっつーの!
俺が居るのは…まあ、その、深い訳があんだよっ」
答えになっていない一護の台詞に、恋次の機嫌が急下降する。
「あぁ!?なんだ、その言い方は!?てめー、俺の知らないうちに何勝手に極道になんかなってん
だよ!?ここはな、てめーみたいなお子様が来る所じゃねえんだ。夜のバイトやってたと思ったら、
もうコレかよ!?んっと油断も隙もねえな、テメェはっ」
「なんだよ、ソレ!極道のお前が言うな!お前が居て俺の方がビビッたわっ!!」
「うるせぇ、もういい。とっとと帰るぞ、一護。話は帰ってからじっくり聞いてやる!」
「いや、帰らねーしっ!話聞いてやるって、どこまで上から目線なんだよテメェは。何様だ!?
恋次のクセに!」
「ちょっと、落ち着きなって二人共!恋次、連れて帰るのはヤバイからっ!」
周囲の目も気にせず、ガンガン言い合う二人に、このままじゃマズイと弓親が口を挟む。
それに恋次は不機嫌を隠すことなく弓親に向き直った。
「弓親さん、すいません、コイツ高校時代のダチなんスよ。んっとに、この世界の事とか何も知らない
ずぶの素人なんス。で、俺コイツ送っていきますんで、今日はこれで失礼します。
…あ、そうだ、一護誰が連れて来たのか知ってます?」
弓親に口を挟ませる事もせずに、言いたいことだけを言う恋次に、一護がウンザリと顔を顰める。
こうなった恋次は絶対梃子でも引かない。そして、人の言う事に耳を貸さない。
ったく面倒臭ぇ…と一護が口を開く。
「おい、人の話聞け!帰らねぇっつってんだろ!俺は俺で、ここに居る理由がちゃんとあんだよ」
怒鳴り合っても埒があかないと、なるべく冷静に言葉にしたのに。
「テメェは黙ってろ!」
そう思いっきり怒鳴って恋次が一護の手を掴んで外へと連れだそうとした。
「…ちょ…っ!だから…っ、あーもう、人の話聞け、このバカ恋次っ!!」
ソファの背もたれを挟んでの攻防に、隣に座っていた一角と弓親がどうしようと顔を見合わせる。
この分じゃあ一護と市丸の関係を恋次は知らないに違いない。
一向に話を聞こうとしない恋次に、一護もどう言ったらいいのか考えあぐねているように見える。
だが、頼みの綱の市丸他組長達は、VIPルームに行ったまままだ戻ってきてはいない。
そして、一際ぐいっと手を引かれてバランスを崩し背もたれに上半身を乗り上げて俯き姿勢になった
一護が、一発パンチでもお見舞いしようかと考えた所で、ふと引かれていた手の動きが止まった。
「はい。ちょっと落ち着こか。阿散井くん、その手離しや」
「…ギン…」
はんなりとしたその声に思わず顔を上げると、市丸が恋次の腕を掴んでいつものように涼しい笑みを浮かべていた。
「……っ」
だが、表情はいつもと変わらず飄々としてはいるが、その手に込められた力は凄まじいらしく、あの恋次が掴まれた腕に微動だに出来ずに、痛みに眉を顰めていた。
「…市丸…組長……」
「うん。取り敢えず、その手離し、阿散井くん。ボクの一護ちゃん勝手に連れ帰られたら困んねん」
「え……」
市丸の言葉に、離す気があったのかなかったのか、恋次の力が抜ける。
そこを素早く一護は腕を引いて、恋次の手を振り払う。
その一護の様子を恋次は呆然とした顔で凝視していた。
「大丈夫か?一護ちゃん。手ぇ痛ない?」
「あ…、うん。平気…」
この場の状況をものともせずにまず一護の身体を気遣う市丸に、一護はぼんやりと頷き返す。
それを確認した市丸が、ようやく思い出したように恋次に視線を移した。
「悪いけどなぁ、一護ちゃんだけ先帰す訳いかんのや。今日の会合なんの日か知っとる?
阿散井くん?」
「え…、あ…。すいません、聞いてます!この度は…おめでとうございます市丸組長。
…祝いの席で騒ぎを起こしてしまって申し訳ありませんっ!」
市丸の言葉に、恋次が恐縮したように頭を垂れた。
極道の世界で、たとえ略式であろうとも祝宴に水を差されるというのは面子に関わる。
つまり、それだけで、人によっては制裁が加えられてもおかしくない状況だ。
特に今日は、次期三代目の市丸の祝宴──しかも、組長クラスを集めての『お披露目』の会なのだ。
さすがにその事実に思い当たって、恋次の顔が青ざめる。
そして、次に吐いた台詞は、状況を知っているこの場の誰もが絶句するものだった。
「本当に申し訳ありません!この騒ぎの責任は、すべて俺にあります!俺の事はお好きになさって
下さい!ですが、こいつ──一護だけは勘弁してやって下さいっ!」
そう言って恋次は腰をほとんど直角と言っていいほど折り曲げた。
その言葉に、周囲の人間はぽかんと口を開いたまま、言葉を無くす。
笑っていいのか、諫めたらいいのか…。取り敢えずその口を塞いで外に引き摺り出した方がいっそ得策かも知れない…と、一角と弓親が頭を抱える。
だが、それを見下ろしたまま微動だにしない市丸の様子に、この場の誰もが──一護でさえ、口を開く事ができなかった。
「見上げた根性やなぁ、阿散井?ボクの祝宴で大騒ぎしといて、ただ詫び入れたらすむ思うてんの」
ニィっと口角を吊り上げて不穏な笑みを浮かべながら言う市丸に、真意の見えない周囲が固まる。
元々本気なのかどうなのかその言動だけでは分からないのが市丸の怖い所だ。
次の瞬間、冗談だと言われるのか、それとも、本当に処罰を望んでいるのか。それが分からずに凍り付く組員達を余所に、組長クラスは口を挟む事もせずに遠巻きにじっと様子を伺っていた。
が、それに一護が思わず口を挟んだ。
「おい、──ギン!」
「一護ちゃんは黙っときぃ。なあ、阿散井、顔上げぇ。『お披露目』ん席で一護ちゃん連れ出すやなんて、どういう了見や」
「市丸組長!あの…一護は…もしかして、市丸組長がお連れになったんですか…?」
「うん。せや」
当然だというように頷く市丸に、恋次の暴走は益々加速していく。
「──お願いです、市丸組長っ!確かに、一護は腕っ節は立つし、頭も悪くないです。それに…素直でイイ奴です。…ですがっ、コイツは極道の世界の事はなんにも知りません!コイツは泥水なんか飲めるような奴じゃないんです。お願いです、一護を──堅気の世界に戻してやって下さい!」
そう言ってまた、深々と腰を折る。
この場の状況を知らない恋次が、勘違いとはいえ自分の為に組織のトップに頭を下げてくれるというのは、友人としては嬉しいのだけれど…。
確かに、ちゃんと話していなかった自分が悪いのだろうけど、今この場で何と言ったら収まるんだ!?と一護は頭を抱えた。
いや、正直に言えばいいのだろうが、こんな大勢の騒動の前で…と思うとやっぱり躊躇してしまう。
できればもっと落ち着いた状況で、ゆっくり話たかったのに…。
腰を折ったままの恋次の前で、市丸はじっとそれを見下ろしたまま沈黙が流れる。
次に市丸が何を言い出すのか、周囲の人間もじっとその言葉を待っている。
特に──一角と弓親、更木組の人間は顔を青ざめさせている。
ここはやっぱり自分が口を開くしかないだろうと一護は市丸に視線を移した。
「──ギン」
「ん?」
「お前、まさか本気で何かしようとか思ってないよな…?」
流石に、騒ぎを大きくしたのは恋次だとはいえ、発端は自分だ。
それに、自分の恋人が親友を罰する図など、冗談にも程がある。
「一護ちゃんは黙っときぃ。これはケジメの問題や」
「ギンッ!」
「お前は黙ってろッ!!つーか、何市丸組長呼び捨ててんだよ…。少しは立場考えてモノを言えっ!」
頭を垂れたまま、恋次が一護に怒鳴る。
それに、一護の何かがぶつっと切れた。
「……あー…もう…。一番煩ぇのはお前だ、恋次っ!!話ややこしくなるから、ちったぁ黙ってろッ!!」
「てめ…っ!俺らが何したか分かってんのか!?俺が一人で咎受けりゃあ済むんだよっ!
少しは大人しく…」
一護の怒声に、反射的に振り向いて一護に向かって言う恋次に、切れた一護が叫ぶ。
「もーーーーーーッ!!うるっせーーーーーッ!いいか、俺とギンに立場なんかねぇんだよッ!
コイツは俺のコイビトなの!カレシなんだっつーんだ!分かったら黙れ、バカ恋次ッ!!!」
「……あ…?」
「あ?じゃ、ねえよ!誰のお披露目って『俺』のだ、バーーカ!!」
勢いに任せて叫ぶ一護に、恋次の顔にハッキリ『理解不能』の文字が浮かぶ。
そのまま恐る恐る市丸に視線を移すと、恋次の視線の先で市丸がこっくりと頷いた。
「せや、一護ちゃんな、今日の主役やねん。やから勝手に連れて帰られたら困んねや。君が一護ちゃんの事『友達として』大事にしてるんは分かったけど、一護はもうボクのもんやの。
その為の『お披露目会』なんよ、今日」
「え…っと…」
噛んで含めるように…そして、しっかりと牽制をも含んで言う市丸の言葉に恋次がキョトっと首を傾げる。
そして、漸くその言葉を理解すると、今度は一護に向かって吠えた。
「ばッ……、ほんっとーーーに、何やってんだ、テメェはっっっ!!!
ちょっと目ぇ離した隙に…極道なんかと付き合ってんじゃねぇっ!!!!」
その言葉に、一護が零れ落ちそうなくらい目を見開いた。
恐らく、きっと本気ではなかったろうが、一護の言葉で市丸は恋次に向けた矛を一旦収めかけたのだ。
たぶん、怖がらせておいて、チクチクと厭味を放つくらいで済ませるつもりだったのだ。きっと。
だが──、今恋次が言った言葉は、周囲の人間を皆凍り付かせるくらいの暴言だった。
一護基準で出た一言だったのだろうが、結果それは市丸を…そして、極道であるこの場に居る者全てを貶めるような言葉だった。
しん、と再び静まりかえった店内。その中で、唯一怒りに任せた恋次だけが、その言葉の持つ重要な
意味に気がついていない。
本当に……コイツ、バカだ。
そう思うと同時に、一護の中にも激しい怒りが沸き起こる。
青ざめた周囲を余所に、市丸は相変わらず涼しい顔をしている。
たぶん、恋次が噛み付いた所で、別に気にしてもいなければ当然堪えてもいない。
でも───。
「……テメェ…いい加減にしろよな…」
ボソリと、地を這うような低い声で一護が呟く。
そして、次の瞬間、有無を言わさず恋次の頬に右ストレートを叩き込んだ。
その衝撃で恋次の身体が吹っ飛ぶ。
そしてそのままソファを乗り越えて、床に転がった恋次の前に仁王立ちすると、一護は恋次を怒鳴り
つけた。
「ちったぁ頭冷やせ!恋次、お前今、自分が何言ったか分かってんのか!?」
「え…」
一護の迫力に呆然と一護を見上げる恋次を見下ろして、一護が続ける。
「テメーが俺の事を思って極道なんかと付き合うなって言ってんのは、俺だって分かる。
でもな、恋次、そのお前が今吐いた『極道なんか』にテメェは含まれてねぇのかよ!?確かに、極道の世界は汚ぇ事もするだろうよ。それに堅気の人間が関わるなって言うのも分かるさ。でも、お前はそれを承知でこの世界で生きて行こうとしたんじゃねぇのかよ!?
テメェが決めたテメェの道をなんで蔑むような台詞を吐けるんだテメェはっ!ここに居るみんなは、全部
それを承知で、泥水飲む覚悟でこの世界に居るんだ!ギンの事だけじゃない…。お前は、自分の事も…そしてここに居る奴らの事も…全部貶めるような台詞を吐いたんだよっ!確かに俺はこの世界の事はまだ何にも知らねぇけど、俺だってコイツと一緒に生きてく覚悟ぐらい決めてんだ!テメェの身勝手な思いで、ここに居る全員貶める言葉吐くんじゃねぇっっっ!!」
ゼイゼイと肩で息をしながら一気に言い立てる。
これで分からなければ、金輪際コイツと縁を切る、と一護は思っていた。
恋次の気持ちも分かる。昔から、喧嘩ばかりしていたけど、でも誰よりも恋次は一護の側に居て、本当に一護の事を思ってくれている大事な親友だった。
だからこそ、その親友が、この極道の世界に塗れる事に抵抗があるのだろうと言う事も嫌と言うほどよく分かる。
でも…、恋次が言った言葉は、決して、この場で言ってはいけない言葉だった。
堅気と極道とを隔てるものは、目に見えないけれど、深い。
だからこそ、一旦その場所に身を置く事を決めた者は、それ相応の覚悟を持ってしているのだと一護は信じている。
市丸の家に入るまで、ただただ怖い…決して自分が関わる事のない世界だと思ってきた。
そしてそれが堅気の…一般の人間の認識である事も、もちろん一護には分かっている。
けれど、日々市丸組の人間と過ごす内に彼らの中にある、一本の筋のようなものを一護は見たのだ。
当然、常識では…法では許されざる事も彼らはしている。
そして、それが正しい事なのだとは今でも思えない。
でも、この世界に身を置く事がどれ程の覚悟がいる事なのかは、一護にも朧気ながらも分かっている
つもりだ。
そして、それを承知でこの世界に居るはずの恋次が、彼らを『極道』だと切り捨てる。
そんな事は絶対に許せない。
そして──引いてはそれは、恋次自身を貶めている事にも繋がるのだ。
荒い息を吐きながら、一気に言い終えた一護はそのままじっと恋次の双眸を見つめる。
そして、ふぅっと一つ長い息を吐くと、そのまま視線をぐるりと周りに向けて深々と頭を垂れた。
「なんか、白けさせちまってすいません。恋次が言ったのは…単に俺の事だけを思って言った言葉
です。だから、許せねぇと思う人も居るだろうけど、どうか勘弁してやって下さい。
んで…、杯交わした訳でもねぇ俺が、分かったような事言って本当にすいません。ギンも…、恋次の
事は水に流してくんねぇかな…。こんな奴でも、恋次は俺にとってはやっぱ掛け替えのないダチだし、
お前から制裁受ける恋次なんて…俺は見たくねぇんだ…。だから、許してやってくれ、──たのむ」
それだけ言って、一護はフロアを後にする。
様子を伺うように黙り込んだ人混みを抜けて一護はバックヤードにあるロッカールームの扉を開けると、中のソファに力なく座り込んだ。
──やっちまった……
いくら飲み会ついでだとは言っても、口々に祝いの言葉を掛けてくれた彼らに本当に申し訳ないと思う。
自分のお披露目会だなんて、照れくさくて勘弁と思っていたし、自分から参加すると言っておきながら
少々ビビッていたのも事実だ。
でも、そんな一護の胸の内を分かってくれていたかのように、皆温かく一護を迎えてくれた。
その席を、ぶち壊したのは自分だ。
まさか恋次が来るだなんて思ってもみなかったから、ある意味不可抗力と言えばそうなのだろうけど、
でも自分が最初に恋次に話していれば、きっとこんな状況だって防げたのだ。
別に猫を被っていたつもりはないけど、それでもこんな風にキレて怒鳴るなんて事するつもりなんて
なかったのに。
あの場に残してきた市丸には本当に悪いと思うけれど、きっと彼の事だから今頃ちゃんとフォローは
してくれているだろう。
「……帰ろ……」
流石にもう、あの中に戻る元気も勇気もない。
そう思ってため息を吐いた一護の耳に、軽いノックの音が聞こえた。
「一護、入るで」
そう言って市丸が一護の返事も聞かずにするりと姿を現した。
「…ギン…」
「大丈夫?」
力なく市丸を見上げる一護の隣にすとんと腰を下ろして、市丸が一護の髪を梳いた。
「…ごめんな、ギン。場ぶち壊して…」
しゅんと項垂れる一護に、市丸がくすりと笑う。そして力強く首を振った。
「なんも心配せんでええよ。平気や。もうみんないつも通り飲んどるから」
「…恋次は…?」
「大丈夫や。大体この場の主役はボクと一護ちゃんやで?その二人がなんもする気あらへんのやから他が手ぇ出す訳ないやろ?」
「そっか…。──ごめん、俺大人しくしてるつもりだったんだけどさ…。こんなんがお前の相手なんて
みんなにバレちまった。悪いな、ギン…」
そう言って力なく笑う一護を市丸が抱き寄せる。
「アホ言いなや。ボクら誰や思うてんの?これくらいで動揺するような可愛いタマやあらへんよ。
むしろボクにとっては自慢やな」
「──バカ…」
「ホンマやって」
そう言って市丸が一護の髪に口づける。
「それに、大人しくしとるってもう今更やろ。日番谷くんにも更木の組長にも立派に啖呵切ってたやん」
揶揄うように言う市丸の言葉に、一護はゆるく首を振る。
「それとこれとは話が違うだろ…。せっかくの席白けさせちまったし…。でも、あの一言だけは絶対に
許せなかったんだ、俺」
「うん。分かっとる。さすがにあの後、阿散井くんも堪えとったみたいやしな。一護ちゃんが言うて返って良かった思うで。でないと他のモンがキレたらそれこそ制裁もんや」
「そっか…」
市丸の言葉に少しほっとする。そして、ふと思い当たったように一護が顔を上げた。
「なあ…もしかしてギン…知ってたのか…?」
その一護の問いかけに、市丸が苦笑を零しながら頷いた。
「うん。ごめんな。全部知っておった。一護ちゃんと阿散井くんが親友や言う事も、阿散井くんが更木に居るいう事も…。黙っててごめんな」
「もしかして、それで今日俺が来る事止めてた…?」
昨日頑なに一護の参加を拒んでいた市丸の様子を思い返す。
それにも市丸はそうだと言うように笑った。
「ここんとこ一護ちゃん急に環境変わって大変やったやろ。実際阿散井くんにどこまで話してるかは
分からへんかったけど、たぶん何も話してへんのやろなぁ思てな。もう少し時期見た方がええかな思うたんよ。別に一護ちゃんをずっと誰にも会わせんつもりで居った訳とちゃうんや」
「そっか…」
その言葉に、一護は市丸の胸に顔を擦りつける。
そうとは知らずに昨日は結構言いたい放題言ったよな…と一護はすまなく思う。
市丸の優しさは深すぎて、状況が何も見えていない一護にはそれが分かりにくい。
たぶん今までも自分が知らないだけで、こうした気遣いを一杯受けていたのだろう。
そして、市丸自身もそれが表に出る事を嫌っている節がある。
こんな風に誰よりも酷く優しいのに…その優しさを市丸は見せたがらない。
「ありがとな…ギン…」
「お礼言われる事なんてしてへんよ」
ほら、また。
優しいと思われる事に慣れていないこの男は、そう言って感謝の気持ちすら、するっと躱してしまう。
そんな所が、酷く愛しいと思った。
「俺…ギンが好きだよ…」
市丸の胸に顔を埋めて、うっとりと目を閉じる。
酷く器用で、そして不器用な市丸。
誰よりも、何よりも──愛しい。
「なんやの…急に」
一護の告白に市丸の声が甘みを帯びる。
「一護……」
一護の額を、頬を滑るようにそっと降りてくる唇に一護は抵抗する事もなく口付けを受ける。
頤を上げられて貪るように深くなる口付けを受けながら、一護は背に回した手で、ぎゅっと市丸のスーツを掴んだ。
そして、ゆっくりとソファに倒されたその時。
「ちょっとぉ、入るわよ!?」
その言葉と共にドアを開けた乱菊が、その場に仁王立ちしていた。
「…なにやってんの、あんた達」
「うゎ…っ、乱菊さんっ!?」
「…邪魔や。見て分からんか」
一護を組み敷いたまま、市丸が低い声で言う。
それに乱菊がふんっと返した。
「主役二人が場放っぽらかして何やってんのかと思えば…。所構わずサカってんじゃないわよ」
「え…、いや、違うって!」
焦りまくる一護を余所に、市丸がチッと舌打ちする。
それをまるっと無視して、乱菊が一護に視線を向けた。
「一護、いいから戻りなさいよ。みんなあんたの事待ってるわよ」
「え…、でも…」
渋々と身体を起こした市丸の下から漸く抜け出て、一護は乱菊の言葉にきゅっと唇を噛む。
それに乱菊の目が優しげに笑った。
「何言ってんのよ。…みんなね、あんたの言葉に感動してんのよ。もう、一護コール酷いんだから
早く戻ってらっしゃいな。ギン、あんたも、一護呼びに来たんでしょう?サカッてないでさっさと連れて
来なさいよ」
乱菊の言葉に真っ赤になりながら、一護が市丸を伺うように見上げる。
それに市丸は、乱菊の言葉を後押しするように頷いた。
「ホンマや。あんな、一護。ボクら極道は自分が汚い事はみんなよう知ってんねや。やから、汚い言われても悪者言われても、それが当たり前やと思うてる。みぃんなそう言われる事覚悟してこの世界に居るんよ。でもな、その一方でこうも思うてんねや、それが何や、ってな。ボクらはな、もうそんな事で一々
傷ついたり目くじら立てたりそんな事せぇへんようになってしもてるんよ。
やからな、一護が阿散井くんに、極道貶めるような台詞吐くな言うてくれたのはみんなホンマに嬉しかった思うで。ボクら普段そんな風に言われる事なんかあれへんから」
「ギン…」
「どんな悪人でもな、自分の居る場所の事悪う言われるんは、ホンマは面白くないんよ。一護もこの世界の事全部肯定してる訳やあらへんやろうけど、それでもその一護からそう言われるんは、中のもんから言われるよりずっと価値ある言葉やと思うで」
「そんな大層な事言った訳じゃねえよ俺…」
「それでええねや。大層な事言おう思うて言うた言葉やないから、余計なんよ」
そう言って市丸が一護の髪に手を滑らせた。
その手の心地よさにうっとりと流されそうになって、一護はハッと思いとどまる。
それを振り払うように一護は、半ば忘れかけていた恋次の事を問いかけた。
「乱菊さん…、恋次は…?」
「ああ、大丈夫よ。今は一角と弓親に制裁と称して散々飲まされてるわ。早く戻ってあげないと泡吹いて倒れるわよ」
自業自得と言えばそれまでだが、さすがに自分まで見捨てたら可哀想かと思う。
バカには違いないけれど、それでも精一杯一護の事を思ってした事には変わりない。
それに…、好きな子がいたから留年したという新事実をこの際だから聞き出してやろうかとも思う。
「ギン」
促すようにそう言うと、市丸は仕方ないというように肩を竦めた。
「…しゃぁない、戻ろ。みんながあんまり一護連れて来ぃ言うてるから、こんまま連れて帰ろ思うたん
に…。ホンマお前は疫病神か、乱菊」
「うるさいわよ。じゃあ、さっさと戻って来なさいよね。いいこと?あたしの店でこれ以上不埒なマネ
したら、そのままその映像売りつけるわよ?うちの防犯カメラは高いだけあって、結構鮮明なんだから。修正無しの素人ものホモAVなんてマニアには高く売れるでしょうね〜」
おほほほほ、と高笑いしながら乱菊がこの場を後にする。
それに、一護がもの凄い勢いで市丸を振りかぶる。
「まさか…それも知ってたとか…言わねぇよな…?」
疑うような眼差しで市丸を見上げる一護に、市丸がしれっと言い放つ。
「もちろん、知らへんで、そんな事」
「…てめーー!知ってやがったなッ!!」
にっこり笑ってそう言う市丸に、絶対ウソだと確信して、一護はそのまま市丸の頭を思いっきり叩いた。
end
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