![]() カコーンとのん気に鹿威しの音が鳴る。 天気の良い昼下がり。 まるでどこかの寺の日本庭園を思わせるような中庭に面した縁側に座り、行儀悪く足をぶらぶらさせながら 一護はぼんやりと空を見上げ誰ともなく呟いた。 「………暇………」 この市丸の家に入って一ヶ月。 今現在一護は世間的に言えば、よくて(?)ニート、悪く言えば引きこもり状態だった。 別に好きでこうしている訳ではない。 その原因は、一護のたった一人の恋人である市丸ギンだ。 なんというか…とにかく一言で言えば過保護なのだ。それも過剰過ぎるほどに。 現市丸組の組長。そして、将来的には巨大組織の三代目を襲名する身の市丸と恋人になった一護は 目の届く所に居て欲しいという市丸の願い通りにこの『市丸組』の屋敷に入る事になった。 初めは極道一家に住むという事でかなり緊張していたし、正直勘弁して欲しいとも思っていた一護だったが 市丸の側近であるイヅルが、とにかく大歓迎ムードであれこれと世話を焼いてくれたお陰もあって、今では 随分とここでの生活にも慣れてきた。 心配していた組の人間も市丸やイヅルに言い含められているからなのか、一護には決して怖い顔は見せない。しかも、元々自分で望んだ訳ではないが、『ケンカ上等の超ヤンキー』というレッテルを貼られていた一護には基本一本気な性格の人間は付き合っていて楽なのもあり…向こうもそれがわかるのか、今では皆からかなり可愛がられているような状態だった。 そうして最初の緊張がほぐれてきた今、ふっと気づくと日がな一日まったくやることが無い。 家に居るならせめて家事でも…と思った一護だったが、この家には長年市丸家に使えてきた専属の使用人が何人か居て、それぞれが仕事として家の事は全て行っている。これまで一人暮らしが長かった一護は、それでも始めの頃はなるべく負担を掛けないようにと色々手を出していたのだが、ある時イヅルから「あの人達は それを仕事として誇りを持ってやっているんだから、手出ししたら返って失礼にあたるよ」と、それとなく諭されてからはそれも出来なくなってしまった。 特別アウトドア派でもないが今まで自力で生きてきた一護にとって、何もせずに家に居ろというのはどうしても抵抗がある。しかも女性ならともかく(いや偏見があるわけではないが)一応健全な魂をもつ男性である一護が、ただ養われるだけというのも居心地が悪い。さすがに自分の使う部屋の掃除くらいは自分でするが、それも毎日やっていれば半時もかからずに終わってしまう。 結果、日がな一日やる事もなくぼぅっと過ごす羽目になる。 たかだか一月で早くも煮詰まりそうだった。 今日市丸は、用事があるからと午前中に出かけていった。 帰ると一目散に一護の所へ駆け寄って来るので、今居ないということはまだ帰ってきていないのだろう。 そう思いながら、あまりの暇さに屋敷のなかをぶらつく事にする。 この市丸家の敷地は驚くほど広い。現代に於いては珍しいこの日本家屋は平屋建てとはいえ、一体何部屋 あるんだと言うくらい部屋数が多い。コの字型に作られたこの家屋は、中心となる母屋が横に、左右には奥に向かってそれぞれの居住スペースとなる離れがある。尤も離れとは言っても特に独立している訳ではなく、母屋から廊下を通して自由に行き来できるので、実際の所離れと言うにはいささか語弊がある。その右側の『離れ』が市丸と一護の居住スペースに当たり、中庭を挟んで左側がイヅル以下この家に住む舎弟の部屋が割り当てられている。 その中庭を望む各部屋にはぐるりと渡された縁側が続き、それを通して他の部屋へと行く事が可能な作りに なっている。完全にプライバシーが確立されていないのはこの家が古い日本建築所以なのだろう。 それでも揉め事もなく生活できているというのは、個々がそれぞれに他人の生活圏内を犯さない気配りがあるからなのだと一護は思う。決してなあなあにはならずそういった線引きがきちんと成されているこの家の人間のあり方に、一護は人知れず好感を抱いていた。 家の中央に渡された磨き抜かれた廊下を歩き、暇に任せてあちこちの部屋を覗きながら一護はこの家の生活スペースである母屋へと足を運ぶ。 と──、数少ない洋室のリビングあたりから、聞き慣れた声を拾った。 あれ…?帰ってんのか…? ふっと気がゆるんだせいか、ノックもなしにドアを開けた途端、───飛び込んできたその声と光景に一護は呆然と固まった。 「ねえ!だから、あたしとあんたの仲じゃない、ギン!」 「ああっもう!乱菊!少し離れぇ!」 年季の入った豪奢なソファの上で絡み合う金と銀。 恋人である市丸の上にのし掛かっているのは、いっそゴージャスともいえる美女。 いや…本当に美女なのか確かめる余裕すらないのだが、その印象だけでも相当な部類に入ると思わせる女性──。それが、今まさに事が起こりそうなほど密着している。 しかも、下に居る市丸は、言葉こそは拒絶を吐いてはいるが、別段はねのけるでもなく好きにさせている。 正直、一護にはそっちの方がショックが大きかった。 と、次の瞬間、市丸の目が一護を捕らえ、いつもうすく閉じられている瞳が呆然と見開かれた。 その目に、我に返ったのは一護の方が早かった。 「わりいっ!ジャマしたっ!」 そう言ってバンっと扉を閉めて、一護はその場から脱兎のごとく駆けだした。 一瞬遅れて、市丸も我に返る。 そうして… 「ちょっ…!一護ちゃんっ!!」 慌てて起き上がろうとするが、上から全体重を乗せて押さえつける美女に視線を向ける。 「ちょっと!はよ離れえっ!乱菊!!」 その市丸の剣幕をものともせずに、その乱菊と呼ばれた金髪美女はのんびりとした声を出した。 「あらら」 「あらら、やあらへんっ!お前…一護ちゃんが誤解してもうたやないか!」 「誤解って…。ふーん、じゃあ、あの子なんだ」 相変わらず市丸の上からどこうともせず、のんびりと言う乱菊に、とうとう市丸が本気で切れはじめた。 「どき、乱菊」 「ああ、はいはい」 そう言って乱菊はするりとしなやかな猫のように市丸の上から降りる。 その瞬間、脱兎のごとく飛び出した市丸の後ろ姿に、くすりと笑みを漏らすと乱菊は今ふたりが向かった方向へとのんびりと歩き出した。 なんだアレ、なんだアレ…。──なんだ、アレはっっっ!!!!! 先程の光景が一護の頭の中をぐるぐると回る。 このまま部屋に帰ったら勢い余って物を破壊しそうな程一護の怒りは怒髪天を突いていた。 思わず縁側から中庭に飛び出てようやく庭の中程で立ち止まり、ゼイゼイと息を吐く。 さんざん甘い言葉を並べておいて…しかも、人の人生をくれとまで言っておきながら、僅か一月で堂々と別の相手を連れ込むとは! この際、自分の方が浮気なのか相手がそうなのかは置いといて、せめてどこか余所でやってくれと思う。 どこからどう見ても似合いの二人───。 自分もそうだが、市丸も基本はノーマルに異性が恋愛対象だったはずだ。 男とか女とか、そんな事を飛び越えて互いの存在に惹かれたと思っていたのに……。 ──手に入れたと思ったとたんにコレかよっ!!! 相手の浮気にどっしりと構えて居られる程市丸との付き合いは長くもなければ、心が広い訳でもない。 ましてや、浮気などではなく、本当に市丸の心変わりだったとしたら……。 悔しくて情けなくて……悲しくて───。ぐっちゃぐちゃになった感情で胸が苦しい。 思わず込み上げる涙で視界が歪み、頭までガンガンと痛む。 「……っ。ざっけんなっ……っ!」 足下に視線を落としたまま、思わず悪態を付いた一護にようやく追いついた市丸が声を上げた。 「一護ちゃん!」 そのまま手を伸ばし一護の腕を掴もうとした市丸の手を一護は思いっきり振り払った。 「触んなっ!」 そのまま体をくるりと捻ってその勢いのまま市丸に回し蹴りを食らわせる。 が、間一髪それを避けた市丸が驚いて声を上げた。 「なにすんのっ!危ないやろ」 「うるせーーーっ!!大人しく蹴られろっ!」 「もう…っ。ちょっと、一護ちゃん落ち着き!」 怒鳴りながら次々を手刀と蹴りを繰り出す一護をひょいひょいと避けながら市丸が宥める。 「これが落ち着いていられるかっ!!」 こんな時までも飄々とした態度で一護を諫めようとする市丸に、一護の怒りが一気に頂点に達した。 「ひゃあ…。また派手なケンカだわね〜」 その様子に遅れてこの場に辿り着いた乱菊は目を輝かせて見物モードに入り、騒ぎを聞きつけて駆けつけたイヅルは面白そうに零す乱菊に真っ青になりながら訴えた。 「ちょ…、市丸様っ!!一護くんっ!!もう…乱菊さんも見てないで止めて下さい!!」 「え〜、だってあのギンが慌てふためいてるなんて見物じゃない。それにあの子、いい動きしてるわ〜。 空手かなにかやってたみたいね」 「だから!そんな呑気な事言ってる場合じゃ…」 大体元の原因はどうせあんたでしょうが!とイヅルは喉まで出かかった台詞を何とか理性で押しとどめる。 そんな事をこの場の勢いで口に出そうものなら、後で何を言われるかわかったものではない。 イヅルにとって乱菊は手に負えなさ加減から言えば市丸と双璧を成すのだ。 一護の怒鳴る台詞から、何を誤解しているかは明らかだ。 ……だからさっさと話しておけとあれ程口を酸っぱくして言ったのに……。 相変わらず自分の事に関しては口が重い市丸の性質が完全に裏目に出たとイヅルはそっとため息を吐いた。 「こんの、浮気モンがっっ!!」 「やからっ!浮気やない言うてるやろっ!」 「浮気じゃねーなら何だってんだよっ!!よくまあヌケヌケと……っ!」 益々ヒートアップする一護は日頃のストレスも相まってなのか、完全に殴り合いのケンカモードに入っている。 しかも、相手が市丸という事もあって、繰り出される技が妙に切れがいい。 対する市丸も、最初はただ躱すだけだったのが、完全に本気モードに入った一護の拳を避けるのにガードしていただけの手が、話すら聞こうとしない一護に苛立ったのか何回かに一度は手刀をたたき落とす動きに変わっている。一護の事をそれこそ目に入れても痛くないというくらいに溺愛してはいるが、市丸は元来気の長い方ではない。 このままだと、本当に殴り合いのケンカになってしまうとイヅルは頭を痛める。 市丸の強さは半端ではないが、一護だとて結構強いだろうという事は動きでわかる。 しかも怒りに任せている分、たぶん一護の方が容赦がない。 市丸が一護を抑えるまで恐らくかすり傷ではきかないだろう事は容易に想像が付いてしまう。 どうせ一護が怪我でもすれば、自分の事は棚に上げて、止めに入らなかったイヅルにネチネチ言うのは目に見えている。だが、痴話喧嘩…というよりも格闘に近いこの状況を一体誰が止められるというのだろう。 いっそのこと水でも持ってきて二人にぶっかけようかとまで思う。(犬か!) その時。 バッシャーーーーーーー。 頭を抱えるイヅルを余所に、まさにたった今イヅルが考えた事を行動に移した人間がいた。 「うわっっ!!」 「わっっぷっ!!」 「はーい、そこまで〜」 いつの間に移動していたのか、ホースの口を押さえて二人に思いっきり水を掛けながら乱菊がにこやかに言い放った。 「乱菊っ!!やめ…っ!アホかお前はっ!!」 「え〜、だってこうでもしないと止まらないじゃない」 未だホースを市丸に向けたまま乱菊がしれっと言う。 思いっきり水を掛けられた一護は、ただ呆然とその場に立ちつくしている。 その一護に、乱菊は漸く蛇口を捻って水を止めるとにっこりと笑いかけた。 「あんたが噂の『一護ちゃん』ね。よろしく、あたしは松本乱菊よ。乱菊さんでいいからね」 「あ…はあ…。黒崎一護です…」 事の展開に呆然としたまま、一護はぺこりと頭を下げる。 市丸の浮気に怒髪天をついたものの、元来一護は年上の女性には弱い。 幼い頃に母を亡くしているせいなのか、どうしても母の面影と重なってどうも強気には出れないのだ。 しかも…浮気相手とはいえ、こうも堂々と挨拶されてしまうと、基本礼儀正しい一護はやはりきちんとした礼は尽くさなければと思ってしまう。 その一護の様子に乱菊がぷっと吹き出し、次の瞬間大口を開けてゲラゲラと笑い出した。 「ちょ…、もうっ!ギンっ!いいわ、この子最高!あんた良い子見つけたわね〜」 「え…、はっ!?」 いきなり笑われて流石に一護もなんだというように眉間に皺を寄せる。 「つーか、乱菊!お前が余計なことするから一護ちゃん誤解してもうたんやろ! ホンマ昔っから録な事せんなお前は…」 「何言ってんのよ。誤解されるのは、あんたの日頃の行いのせいでしょ? ああ、一護、言っとくけどあたしこんなのシュミじゃないから。頼まれたってゴメンだし」 「はあ…」 「何が頼まれたってや。しかもお前やとほとんど近親相姦やろ。冗談もたいがいにしや。 それにボクかてこんなオバハン趣味やないし」 濡れた髪を掻き上げながら市丸が吐き捨てるように言う。その言葉に乱菊の米神がピクリと引き攣った。 「……なんですって…?もう一度言ってみなさいよ、ギン」 矛先が今度は市丸VS乱菊となりそうな所に、二人の遣り取りを呆然と見ていた一護が漸く我に返る。 「え…ちょっと待って。あの…乱菊…さん?」 「ん?」 「えっと…その、じゃあギンとは…」 その言葉を市丸が引き取って軽く肩を竦める。 「…やから、さっきから浮気なんかやないて言うてるやろ。あんな一護ちゃん、紹介しとくわ。 コイツはボクのオバサンや」 「は?」 「ギン、あんた一辺殺されたいみたいね…。もう少し言い方ってもんがあるでしょう? あのね、一護、あたしとコイツは親戚なの。で…まあ年は同い年なんだけど、等親は上。 簡単に言えば叔母に当たるのよ。まあ正式にはもうちょっと複雑なんだけど…。だからコイツとあたしが…なんて、死んでも無理なの。血縁的にも心情的にも、イ・ヤ・なの。わかった?」 「え…親戚……?」 その言葉に一護は思わず市丸を振り仰ぐと、市丸はそうだというように軽く頷いた。 「あんな…さっきのんはこいつが一護ちゃんに会わせえて煩かったから『嫌や』言うてたんや。そしたら写メくらいあるやろ言うて人の携帯見ようとしてな。慌てて取り上げて隠したら何考えとんのか馬乗りなって取ろうとしよるし…。やから親戚言うのもそうやけど、一護ちゃんが心配しとるような事やないんよ」 そう説明する市丸に今度は乱菊の方を伺い見ると、乱菊も同じようにこっくりと頷く。 「だって、せっかく会いに来たのに会わせないとか言うんだものコイツ。だったら写メくらい見せなさいよって言っても隠すしさ。どんだけケチなのって感じでしょ」 「え…じゃあ…ホントに……」 そこで漸く一護は自分の勘違いなのだと気づく。 そして、怒りが覚めた途端に自分の行動を思い出して一気に顔を赤くした。 「ご……。ごめん!ギン!」 急いで隣に居る市丸に謝る。 確かに怒りのボルテージが上がりきっていたとはいえ、市丸の話などまるっきり聞かなかった。 いや、でもあんな所を見せられたら誰だって…とは思うが、この場合勝手に勘違いして勝手に怒りまくった自分が多分一番悪いだろうと一護は思う。穴があったら入りたいとは今まさにこの事をいうのではなかろうか。 「まあ、ええよ…。確かにこんなんが上乗ってたら誤解もするしな…。ああ、せや一護ちゃんこれからは気ィ付けなな。コイツ誰彼かまわずベタベタ引っ付きよんねん。油断してると一護ちゃんにも引っ付いてくるからしっかりガードするんよ」 やれやれと肩を竦める市丸に一護は居たたまれない思いでもう一度ゴメンと小さく呟くと、市丸はなぜか機嫌良さそうにニヤニヤ笑う。 「でも、一護ちゃんのヤキモチ見れてちょっと特した気分やな」 「な…っ!バカ言ってんじゃねえよっ!」 取り敢えず濡れた服を着替えようと屋敷に向かって歩き出した市丸の背にガスッと容赦なく蹴りを入れて、一護は顔を真っ赤にしたまま屋敷に向かって走り去った。 思いっきり背中を蹴られて思わず蹲った市丸を尻目に乱菊は「ばっかじゃないの」と鼻で笑ってさっさと屋敷へと歩を進める。その後ろ姿を苦虫を噛み潰したような顔で見送る市丸が蹲ったままぼそりと零した。 「あいつ…。ほんまシメたろか…」 「──自業自得です」 それに、長年連れ添った側近は容赦ない台詞を浴びせて主人を置いたままさっさと母屋へと帰っていった。 「えーっと、じゃあ乱菊さんとギンって叔母と甥になるんです?」 濡れた服を着替えて軽く髪を乾かした後、乱菊からリビングでお茶にしようと誘われた一護は、改めて乱菊に謝罪した後でそう切り出した。 「んー、話せば複雑なんだけど…。まあ、でもあんたも市丸の家の一員になる訳だしね」 乱菊自らが手みやげとして持ってきた紅茶に口を付けながらそう言うと、一護は飲んでいた紅茶を喉に詰まらせて激しく咳き込んだ。 「ゴホッ!え…い…一員って…。ゲホッ」 「ちょっとぉ、大丈夫?だってアイツすっかりそのつもりよ?あんたは違うの?」 「あ…いや…。まあ…」 家に入るだとか、家族になるだとか…。そう言えばいずれ籍も…とは言われた気がする。 だが、そういう書類上の事は兎も角、市丸といる限りこの先市丸の家とはずっと係わっていく事は確かだ。 ただ…さすがにまだ堂々とそれを言い切るにはさすがに照れがある。 ほんのりと顔を赤くしてうつむく一護を微笑ましく思いながら、乱菊はこれ以上突っ込んだら可哀想かなと思う。 市丸本人は兎も角、あの『市丸』への忠義が誰よりも厚いイヅルが主の恋人…しかも男を手放しで迎え入れたとくれば乱菊でなくても興味が沸くというものだろう。 一体どんな子だろうと見に来てみれば、思いの外しっかりした男の子らしい男の子で、しかも素直で可愛いときた。 しかも…全く以て理解不能だが、どうやら市丸だけではなくて一護も市丸の事が本当に好きらしい。 それは先程の激しい痴話喧嘩でしっかり見せつけられた。 「ほんっと、勿体ないわよねぇ…」 あの狐には…。 ぼそりと呟けば、一護がきょとんとした顔をする。 それになんでもないと言うように首を振って、乱菊は喉を湿らせて口火を切った。 「ん、じゃあ話すわね。えーっと、その前に市丸の家の事どこまで知ってるの?」 「どこまで…って…。いや実はほとんど何も…」 「マジで!? もう、あいつ何やってんのよ!まあ、あたしの口からになるけど…まあいっか。 聞きたいでしょう?」 「うん」 乱菊から改めて問われて、そう言えばほとんど何も知らなかったのだと改めて思う。 というよりも…正直自分の環境の変化に慣れるのが精一杯で、そういう事に頭が回らなかったのだ。 「えっとね、まず市丸一家ってのは今はお爺様…ギンにとっては曾祖父になるんだけどその方が頂点なのね。 で、曾お爺様が二代目。大正生まれでかなりなお年だけど未だに矍鑠として凄い元気なの。…あれは当分生きるわね」 そう切り出した乱菊に、一護の頭に疑問が過ぎる。 「え…?ちょっと待って、乱菊さん」 「ん?」 「なんでだ…?ギンって三代目継ぐって俺聞いたんだけど…」 その一護の疑問に、乱菊が一瞬目を見張り頭を抱えた。 「あー…。あいつそんな事も話してないんだ…。そっかぁ…うん…」 「なんか…不味かったのか…?」 乱菊の様子に心配そうに一護が眉を寄せる。その一護をちらっと見て、乱菊はふうっと息を吐くと居住まいを正した。 「…不味くはないんだけどね…。詳しい事はいずれギンが話すと思うわ。まあ簡単に言うとギンの祖父は普通の堅気の人間になっちゃって、その息子…ギンの父親はね、もう亡くなってるのよ」 「え?そうなの?」 「うん…。で、あたしはというとギンの曾お爺様の妾の孫って訳。まあ妾って言っても本妻が亡くなってから随分経ってからの話だし…。私が生まれた時にはもう亡くなってたから会ったことはないんだけど、どうも昔堅気の気っ風のいい姉御肌の人だったみたいよ。後妻なんて芸者の自分には勿体ないって、籍入れるの断固拒んだ人だったらしいし…。だから、籍は入れてなくても実質は後妻みたいなものよね。うちの母も一応妾腹なんだけど、市丸の家にはしょっ中出入りしてたしね。かく言う私も小さい頃は本家でギンと吉良と一緒に育ったのよ。だから兄妹みたいなもんなの」 「そうなんだ…。って、イヅルさんも?」 「うん。元々吉良の父親ってのは市丸の幹部でね。それが…幼い吉良残して車の事故で亡くなったのよ。 奥様も一緒にね…。だから、お爺様がギンの側付きにって名目で吉良を引き取ったの。だからあいつお爺様への忠義半端なく強いわよ。まあ…ある意味子供の頃から将来決められちゃったから…可哀想といえば可哀想なんだけどね。ま、それは本人納得づくだし、どうしても嫌だったらさすがのお爺様でも無理強いはしないだろうしね」 「そっか…」 乱菊の口から語られるそれぞれの背景。 普通の一般家庭で育った一護にはどこか別世界のように聞こえる市丸の生い立ち。 けれど、今目の前にいる乱菊も、イヅルも、そして市丸も…それこそが現実の世界なのだ。 「乱菊さんは、今何してるんだ?」 それこそ、"極道の妻をやってます"と言われれば素直に頷けるような人だと一護は思う。 『豪放磊落』という言葉は彼女の為にあると言っても過言ではないと思わせる。 気っ風の良さと姉御肌──彼女の祖母を指して乱菊自身が言った言葉だが、おそらく乱菊はその気質をその祖母からそっくり受け継いでいるのだろう。 出会ってからまだ僅かな時間しか経っていないけれど、一護はこの目の前の女性のサバサバした性格が酷く心地良いと感じていた。 「ああ、あたしはねお水よ。銀座と…あと何件か店持ってるの。これでも結構やり手で有名なのよ〜」 からからと笑いながら言う乱菊に、思わず一護にも笑みが零れる。 確かに乱菊の程の容姿と性格ならば夜の世界では間違いなく成功するだろうと思わせた。 「なにがやり手や。男手玉に取ってやりたい放題やってるだけやろ」 「──ギン」 一風呂浴びたのかタオルで髪を拭きながら市丸が顔を出すなり乱菊に向かって言い放ち、するりと一護の隣に腰を下ろす。 その言い方に一護はさっき水を掛けられた事と、浮気を疑われた事をしっかり根に持ってるよコイツと思う。 だがそんな市丸に慣れているのか、乱菊は全く気にする様子もなくズバズバと切り返した。 「なにが手玉よ。そんなの取られる方が悪いんでしょ。まあ仕方ないわよね〜、あたしのこの美貌だもの。 落ちない男の方がおかしいのよ」 「あーあ、乱菊なんぞに落ちるアホはホンマ見る目ないわ。まあ今の内にしっかり稼いどき? って言うか見た目がまともなうちにさっさと嫁いかんとホンマ貰い手なくなるで」 「あんたに言われたくないわよ」 「残念でしたぁ。ボクはもう一護ちゃんおるからええねん」 そう言って市丸は見せつけるように隣に座る一護をぎゅうっと抱きしめた。 「ホントあんたっていつまでたっても口だけは達者よね」 「そんなん乱菊に言われたないわ。口が達者なんは誰の事や言うねん」 「あんたでしょ」 「お前の事や」 放っておいたらいつまでも続きそうな口げんかに一護はヤレヤレと肩を竦める。 兄妹同様に育ったと言うが、毎日毎日この遣り取りを間近で見ていたイヅルに思わず同情してしまう。 「てか乱菊、結局お前何しに来たんや」 さっさと帰れと言わんばかりの市丸の様子を無視して乱菊はからりと返す。 「何しに…って。…あんたが可愛い可愛い恋人を家に入れたっていうからわざわざ見に来たんじゃない。 …って、ああっ!」 いきなり大声を張り上げた乱菊に、市丸が思わず抱きしめていた手を離して二人共に目を剥く。 「そうよ!忘れてた!明日の会合、場所うちの店になったって言いに来たのよ。あんた来るのよね?」 「…なんやホンマに集まるんかいな…」 その台詞に心底嫌そうに市丸がため息を落とした。 「だってあんたこっち来てからまともにみんなと顔合わせてないでしょう?久しぶりに集まるくらいいいじゃない」 「個別には顔合わせとる。それに…最近は当局も厳しいし、大がかりなことしたないんや」 「それにしても一回くらいみんな揃った方がいいでしょう?そうだ!一護、あんた明日ヒマよね!?」 いきなり話題を振られて一護は思わずコクコクと頷く。 ヒマと言えばそれはもう毎日ヒマを持て余している所だ。 「じゃあ、明日あんたも来なさいよ。てかさ、この際一護のお披露目にしたらいいじゃない」 「は!?」 「冗談やないっ!!!」 乱菊の一言に一護はぽかんと口を開け、市丸は思わず大声を上げる。 「何言うてんねや!あんな悪の巣窟にこんな可愛い一護ちゃん連れていけるかっ!アホ言いなや、乱菊!」 「悪の…巣窟って…」 市丸のあまりの剣幕に一護は呆然と零す。 まあ確かに極道の会合なんてそう言われればそうなんだろうけど…。 その頂点に居るのは他でもない市丸だ。 「諸悪の根源が何言ってんのよ」 市丸の言葉に、一護が呑み込んだ言葉を乱菊が遠慮なくすっぱりと返す。 「大体ねえ、あんたがいくら隠しときたくてもこれから先ずーっと一護を閉じこめて置く訳にはいかないでしょう? どうせいつかお披露目しなきゃいけないんだし、…いい機会じゃないの」 「…それくらいボクかて考えてるわ…」 痛いところを突かれたように市丸がムっと頬杖を付く。 その様子を横目でちらりと見て、一護はひとつこくりと喉を鳴らした。 「乱菊さん」 「ん?なあに?」 「その…明日の会合って…どんなの…?」 「一護ちゃん」 恐る恐る聞く一護に市丸は咎めるような声を出す。それを意に介さず乱菊は一護に向かって話し出した。 「ああ…『会合』って言っても単なる飲み会よ。元々うちの一家に縁が深い所のトップが集まっての…まあ親睦会みたいなものね。本当はこういうの労いの意味も込めてギンが音頭とらなきゃなんないんだけど、こいつこういうの面倒臭がってやんないのよ。で、この前何人かがうちの店に来た時にそういう話になって…。 だから、別に何も気負う必要なんてないのよ。みんな身内みたいなもんだし、集まるのって若手が主だしね」 「乱菊」 誘いを掛けるような乱菊の言葉に市丸が顔を顰める。それに一護は「そっか…」と呟くと何かを思案するようにじっと下を向いた。 「なあ…ギン」 しばらく黙り込んだ一護が漸く顔を上げて隣に座る市丸に声を掛けた。 「ん?」 「俺…行っちゃダメかな…?」 「は?何言うてんの!? あかん、ダメや。絶対アカンでっ!」 思いの外強い言葉で返されて、一護の機嫌が一気に下降する。 「…なんでだよ…。俺は一歩も外出ちゃいけねえとでも言うのかよ…!?」 そう言いながら一護の眉間の皺がどんどん深くなる。 この一月あまり。 思えば一護はまともに外出さえしていない。 食事だの買い物だのと出かける事はあるが、それには必ずと言って良いほど市丸が一緒だ。 まあ…それについては、二人で出かける事自体一護自身が嬉しいので構わないのだが…。 近くのコンビニにすらまともに行った事がない生活ってどうよ!?とさすがに思う。 市丸からの厳命なのか、ちょっとそこまでのつもりで外に出ようとしても、必ず誰かしら止めに入る。 おまけに欲しいものがあれば代わりに行くと言われれば一護も大人しく引き下がらずを得ない。 尤も日用品にはまったく不自由してはいないし、『好きに使っていい』と、思わず遠慮するほどの現金もカードも持たされている。 だが、一人での行動が許されない生活は確実に一護にストレスを与えていた。 ここ最近の煮詰まりがだんだんと苛立ちに変わる。 大体、極道の集まりを『悪の巣窟』と言うが、その悪の巣窟の世界に一護を引き込んだのはどこの誰だ。 もうこの際誰に会っても今更だと思うのに。 「一歩も出るなとか言うてる訳やあらへんやろ。…前にも言うたけど、一護ちゃんにはボクの仕事には一切関わらせん言うたよな?…外行きたいんならボクやイヅルが連れてったるから、あんなトコ行かんでええ」 一護の気持ちなどお構いなしにばっさりと斬って捨てる市丸に一護が低い声を出した。 「…ダレが仕事に関わりたいなんて言ったよ…。俺はお前の人間関係にも関わるなって事か!?」 「そんな事言うてへんやろ」 だんだんと険悪になる二人の様子に見かねたように乱菊が口を挟む。 「ちょっと…あんた達、いいかげんに…」 それに市丸は強い口調でぴしゃりと言う。 「乱菊は黙っとき」 「…ごめん、乱菊さん。ちょっと二人で話させてくれ」 「……わかったわよ…」 一護の言葉にさすがにこれ以上は口を挟むべきではないと判断した乱菊は、仕方ないと言うように一つため息を落とすと心配そうに二人を見ながらその場を後にした。 「……ギン、お前俺をこの家に閉じ込めたいのか…?」 乱菊が出ていくのを見送りながら、パタリと扉が閉まった途端に一護は改めて市丸に向き直るとそう切り出した。 「…そうやない…。…まあ…せやな…。多少そんなトコあんのは認めるわ」 深くため息を吐きながら市丸が零す。そして、一護の瞳をじっと見つめながら言い含めるように言葉を発した。 「あんな一護ちゃん。ボクは一護ちゃんが大事なんよ。…正直言うとな、今までボクの周りって堅気の人間て居った事ないんや。まあ手ぇ出す事がなかったとは言わんけど…どれもこれもどっか片足突っ込んでる様な人間ばっかりやったし、こんな風にボクの生活圏内に入れた事なんてないしな。…一護ちゃんが今の状況に煮詰まってるんはボクかて分かってる。せやけど、言うたやろ?ボクは一護ちゃんの事全力で護るて」 「…だから、いつも目の届く所において家から出さないってか?誰にも会わせないって言うのか?」 市丸の言葉に一護は眉間の皺を濃くしたまま言う。 護るというのはそんな事ではないと思う。 確かに一護を取り巻く状況が今までとは180度違っているのは一護だとて理解している。 ほんの少しでも油断すれば、即、死に直結するような世界に身を置く市丸にしてみれば、この過剰とも言える反応も仕方ない部分はあるのだろう。市丸の気持ちを受け入れた時に、ある程度自由が制限されるのは覚悟していた。 だが…、このまま市丸の家に閉じこめられた状態で日々を過ごすのは限界があると思う。 極道の世界に極力一護を関わらせたくないという市丸の気持ちも分からないではないが、既に一護もどっぷり首まで浸かっている状態なのだ。 この先市丸と共に生きていくのならば、市丸の周りにすら関われないというのは納得がいかない。 このまま誰にも関わらず、ただこの家の中で市丸の帰りだけを待つような生活など無理がくるのは明白だ。 それが…もしかすると決定的な亀裂になるかも知れない事を果たして市丸は分かっているのだろうか。 「……お前が俺の事大事に思ってくれてるのは俺もよく分かってるよ…。でもな、ギン。俺はもうお前と一緒に生きるって決めてるんだ。…俺はお前の仕事に関わるつもりはねぇ。お前が裏の…極道としての顔を俺に見せたくないってのもよく分かってるつもりだ。でもさ…。さっき乱菊さんからも言われたけど、俺はもう市丸の家の人間なんだ。それはお前自身が望んだ事だろう?ギン。だったら…お前を取り巻く環境を知る権利は俺にだってある」 なるべく感情を押さえるように言う一護の言葉を、市丸は口を挟む事をせずじっと聞いていた。 確かに、一護の言う事は正しい。それは市丸にも十分分かっている。 どんなに市丸が一護を閉じこめておきたくても、一護は人形などではない。 れっきとした人格を持つ一人の人間だ。 この先自分の周りの環境に関わらせずに生きていく事は不可能なのだと市丸自身も思っている。 一護自身が望むと望まぬとに拘わらず、いずれきちんと周りにも示しを付けなければならない事も重々承知している。乱菊が言うように、明日の会合はそのいい機会なのだろう。 それでも…。今回ここまで市丸が頑なに拒むのには訳があった。 だが、今それを一護に告げる訳にはいかない。───いかないのだが……。 ……しゃあないわ……。 ふうっと市丸は内心ため息を落とす。 出来ればもう少しだけ先延ばしにしたかったのだが、ここで頑なに拒んで肝心の一護との仲を拗らせるよりはいいか、と思う。どの道いずれは分かる事だ。もうこの際遅かれ早かれ双方の耳には入るだろう。 「……分かった。ええよ。明日は一護ちゃんのお披露目にしよ」 諦めたようにそう零す市丸に一護は思わず目を見開きブンブンと首を振る。 「え…。いや、お披露目って…。そんな大げさにしなくても……」 「ええんや。乱菊も言うてた通り、いずれ正式にみんなには紹介せんとマズイ思てたしな。…明日集まる面子はな、一家にとって重要な人間ばかりなんや。特に若手は、ボクの代には欠かせん者達なんよ。一護ちゃんは何か誤解してるようやけど、ボクは別にボク以外の人間に関わるな言うてる訳やないんや…。ただ…そいつらと一護ちゃん会わすんにボク自身まだ決心つかんだけやってん。…ごめんな」 「ギン……」 市丸の言葉に一護の中の張り詰めていた何かがふぅっと抜ける。 この家に来てから市丸はずっと一護を大事に大切に──それこそまるで壊れ物を扱うかのように接していた。 その市丸の態度が一護にはどこか不安を与えていたのだ。 自分の一切に関わらせない様な市丸の態度。『市丸』の人間だと言いながらもどこか距離を置いたような市丸に一護はずっと自分でも自覚できない寂しさを感じていた。 「……極道ってさ…大きな家族なんだよな…?」 ぽつりと零す一護の台詞に市丸は僅かに苦笑すると一護の髪に手を伸ばし、その髪をゆっくりと梳く。 「…どこでそんな事覚えたん。まあ…そうやな。極道の世界では"血よりも杯"いうくらいやしな。ボクみたいに極道の家に生まれ育ったもんはともかく、他はみぃんな親兄弟捨ててこの世界に入ってくるもんがほとんどや。そいつらに杯言う絆与えて血ぃの繋がらん親子になるんは『組』いう名の新しい家族を与えるのと同じ事になるんよ」 「うん……」 「まあ…正直言うて、ボク自身はあんまりそう言う事思た事ないんやけど。イヅルなんかはそんなんじゃあかん言うてしょっちゅう説教垂れるとるけどな。ただ…。三代目継ぐて決めた時からボクにはこの組守らなアカン責任があるし…。さすがにボクを慕うてくれてる子ぉらにはそんな顔見せれんけどな」 どこか自嘲するように話す市丸に一護は優しく笑う。 「まあ…お前らしいというか…。でもさ、俺はもうみんな家族だと思ってるから」 きっぱりとした口調でそう告げる一護に、市丸が一瞬驚いたように目を見張り、ふっと笑みを零した。 「まったく…。情が厚いんは一護ちゃんの美徳やね。ボクとしては若干面白んないけど」 「何言ってんだよ。俺さ、最初は緊張してたし、やっぱ知らない世界だから若干怖いのもあったけど、今はそんな事ないぜ?まあみんなも俺に気を遣ってくれてるんだろうなって思うけど、話てみるとみんないい人だし、優しいしさ。そりゃ裏の顔を俺に見せてないのは分かるけど、でも性格ってそうそう隠せるもんじゃないだろ。 俺も…ずっと家族が居なくって一人だったから、なんかでっかい家族が出来たみたいでさ。ちょっと嬉しかったりするんだ」 そう言って笑う一護に市丸はヤレヤレと呆れたように零す。 「そんなんすぐに誰でも彼でも信用したらアカンよ…。所詮みんな極道なんやで? まったく、これやから一護ちゃんは心配なんよ…」 「…その極道の組長が何言ってんだか……。一番信用ならねぇお前の恋人やってんだよ、俺は」 市丸の言葉に笑ってそう言いながら、そう言えばお披露目って何すんだ?と一護は明日の『会合』へと思いを馳せた。 「──で、結局押し切られた訳ですか」 「押し切られた訳やない…。しゃあないから連れてく事にしただけや」 同じ事でしょうが…と呆れたように言うイヅルにちらりと不満そうな目を向けて、市丸が肩を竦めた。 あれから、一護は乱菊から早速明日着る服を見立てに行こうと強引に連れられて出かけて行った。 まあ、運転手という名の護衛も付いている事だし、どうせ乱菊は自分の気の済むまであちこち連れ回るに決まっているので、市丸は大人しく家に残る事にした。連れ回される一護は大変だろうが、この所自分としか外出していなかった一護の事を考えれば久しぶりに自分以外と出かけるのはいい気分転換にもなるだろう。 それに──女の買い物は…長い。 さすがにそれに付き合うのは御免だと思う。 「まあ、しゃあない。元々こっちの言い分の方がおかしいんやし、一護の言う方がずっと筋通っとるし…。 それ言われたらもう諦めるしかあれへんやろ」 イヅルの言葉に不満気に言う市丸にイヅルも軽く頷く。 「…連れて行けない理由を話せないっていうのが一番のネックでしたね。 本当はまだ、会わせたくはないんでしょう?」 「…まあな…」 そう言ってため息を吐く市丸に、この人も変わったな…とイヅルは思う。 一護には不本意だったろうが、市丸の行動の真意を知るイヅルは一方的に責められたであろう市丸に若干の同情を禁じ得ない。 「どうしますか?明日来させないようにする事もできますけど…」 伺う様に言うイヅルに市丸は諦めたようにヒラヒラと手を振った。 「…ああ…もうええわ。どうせ明日過ぎたら嫌でも向こうの耳に入るやろうし。そうなった時の方が面どいわ。 ここんとこ急に環境変わったりしてたから、ホンマはもう少し落ち着いてからの方がええ思ったんやけど…。 乱菊のアホが余計なこと言いよるし…」 「一護くん、ショック受けますかね…」 その時の事を想像してイヅルが不安気に言う。 「さあ…どやろ。ま、遅かれ早かれいずれわかる事やしな。あーあ、それにしてもボク自分がこんなに過保護やとは思わんかったわ」 そう言っていつものようにソファにごろんと寝ころんだ市丸に呆れたようにイヅルが返す。 「──ご自分を知るいい機会だと思う事ですね。大体貴方の愛情は極端過ぎるんです。そんな事僕も乱菊さんもとっくに分かってましたけどね」 「なんやの、それ……」 「本当に、一護くんには感謝してもしたりませんよ。こんな面倒な人と添い遂げてくれるって言うんですから」 「イヅル!それが主人に向かって言う言葉かいな!」 「はいはい。まあ、今回だけは同情しますよ。──では、私はこれで。明日の『お披露目』の連絡で忙しいですから」 そう言い捨ててとっとと部屋を出て行くイヅルに、市丸はムっとしたまま一護が帰るまで不貞寝を決め込んだ。 [NEXT] |
|
※久しぶりの893シリーズ。一護ちゃん、いよいよ極妻まっしぐらです。 そして、台風の目、乱菊姐さん登場(笑) 乱菊さんはギンに恋愛感情持ってさえ持っていなければ(←ここ重要!だってギン×一だから)本当に大好きな人です。 今回ギンがちょーっと情けない感じですが、まあ言えない事が色々あるんで勘弁してやって下さい。 そして…その肝心の「会わせたくない人」とは誰の事でしょう?ふふふ。 まあ、そこまでたいした含みは無いんで単純に考えて下さい。 ちなみにイヅルが一護を「くん」づけで呼ぶのは一護たっての希望です。最初に「一護様」と言われて軽〜く引いたから。 ※7/20若干加筆しました。 |
|
![]() |