天上の華 4




「一護ちゃん 今日はドコ行きたい?」
市丸の運転する2シーターに乗り込み発進と同時にまずそう聞かれた

「んー、特に何処ってないなぁ」
助手席の窓から外を眺めながら一護はぼんやりと答える

外見から派手に遊んでそうに見える一護だが、その実あまり遊び回った経験がない
特にインドアな訳ではないが、せいぜいが友人たちと食事やゲーセンやカラオケに行く程度だ
成り行き上夜の仕事はしているが、未成年のため飲み歩く事もしない
まあ、大学に行った友人などは、すでに合コンだの飲み会だので少しずつ夜の街をおぼえて
いるようだが

「んじゃあ、まずは腹ごしらえや こないだ見つけたんやけど美味しいとこあるんよ
こぢんまりしてて雰囲気もええから一護ちゃん連れてきたい思てたんよ」
「ん、まかせる」
「よっしゃ じゃあレッツゴーや」
なんだよレッツゴーって
とツッコミながら、一護は隣の市丸を見る

こうしてもう何度一緒に出かけたかわからない
最初の出会いがかなり強烈だった為、次に会った時の豹変ぶりに『ダレだこいつ』と思ってしまった
飄々とした態度で、人を食ったような笑みを浮かべているくせに、まるで子供のように甘えてくる
人目なんかおかまいなしで『一護ちゃん 一護ちゃん』と懐きまくり、3日と置かずに店に通いつめる市丸とのやりとりは、今ではすっかり店の名物となってしまった
『まるで漫才を見ているようだ』との一護にとっては不名誉な言葉と共に

でも、おかげであれ程向いてないと思っていたバイトも、今では楽しくなっていた
そうなると自然と笑う事も増えてくる
口が悪いのも、市丸との数々のやりとりであっさりバレ、今ではそれが一護の個性となって
よほどの客では無い限り容認されるようになった
それでも、一応一般常識程度には基本敬語を使っている

この横の狐以外は

不思議な男だと思う

まるで抜き身の刀剣のようだったのに、今ではすっかりその刀は鞘におさまり
その片鱗すら見ることがない
こうして二人で話していると、あの時の出来事が嘘のように思える

けれど───

一護には分かっていた

あの時の彼が、本来の彼の本質なのだろうと
いくら今鞘に収まっていたとしても───刀は刀だということを


二人で他愛もないことを話しながら連れてこられた店は市丸のお墨付きだけあって、
料理も雰囲気も抜群だった
少人数相手なのか、さほど広い訳ではない店内で一つ一つのテーブルの間隔が開いており、
その間を衝立でしっかり区切られて居るため、まるで個室のような気楽さがある
料理もカジュアルなフレンチが売りらしく、箸で食べるようになっており、
ナイフとフォークを使い慣れない一護もこれならとリラックスして食事を楽しむことができた

まったく人に気を遣わないようでいて、こういうポイントはきっちり押さえてくる

さらさらした銀の髪にバランスのとれた長身
加えて狐顔とはいえ、冴え冴えとした端正な顔とくればモテない訳がない

なのに、仕事が忙しくて嫌だといいながら、休みのほとんどを一護の為に使う市丸に
正直一護は疑問を感じていた
なぜ、俺なんだろう…と
それでも二人で居る時間が楽しくて、一護はなかなかその疑問を口に出せずにいた
口に出してしまったらなにかが変わってしまうような気がして

美味しくフルコースをいただいて、食後のコーヒーを飲んでいると外はすっかり夜の帳がおりていた

「この後どうする?」
こうして市丸は必ず一護の意見を聞く
「ん ギンにまかせる」
それに対する、一護の答えは毎回同じ
なぜなら特に行きたい所などないからだ
こうやって他愛なく話しているのが居心地がよくて、場所など何処でもいいと思ってしまう
そんな一護に市丸は、適当に、でも一護が楽しめそうな場所をチョイスして連れて行ってくれる

だが、今日はそれに対する市丸の答えがまるで違っていた
「…一護ちゃんの意見聞いとるの」
いつものおちゃらけた様子は微塵もなく、僅かに固い声

「え?」
その様子に一瞬、何を言われたのか分からずに一護は反射的に聞き返した
「一護ちゃんはどうしたいん?」
「え、俺?」
「そう、一護ちゃん」
そう言う市丸の顔は、いつもの笑みではなくて
めったに見ることのない、アイスブルーの瞳を開いてじっと射すくめるように一護を見据えていた

「なんで…」
いつもとは違う市丸の様子に一護は困惑する
「なんでって、自分がどうしたいか聞いとるの」
有無を言わせない強い口調
たった今まで笑いあっていたことが嘘に思えてくる
いつもと変わらない受け答えだったのに──
なぜ今日に限ってこんな風に詰問口調になるのだろうと考えを巡らせる一護に、
市丸は一つふうっと大きく息を吐いた

「やったら帰る?」
「え?」
市丸の口から出てきたのは予想外の答え
めずらしく市丸が翌日の仕事がない為、いつもより遅くなっても大丈夫だと話していたから
今日はゆっくりできるなと思っていたのだ

「わかった、帰ろ」
「ちょ…待って…っ」
そう言ってそのまま席を立ちそうな市丸をあわてて引き留める
「なんで?どうしたいか言わなボクわからへんやん」
「ちょ…だから!なんでそこで帰るなんて言葉が出るんだよ!」
思いの外大きくなった声に市丸の眉が寄る
それに気づき、一つ深呼吸すると一護は小さくゴメンと呟いた

「で?」
「で…って」
一護の言葉に居住まいを正した市丸に改めて聞かれて、一護は言葉に詰まった
確かに市丸といるのは楽しい
もっと一緒にいたいとも思う
けれど、それはいつも市丸から与えられるばかりで、今まで自分から誘った事もなければ
引き留めたことすらないのだ
元々あまり我が侭を言い慣れない一護にとって、こんな風に詰問されるとどうしていいか
わからなくなってしまう
「話ないんならこれで帰るけど」
だが、普段は察しが良く、一護の考えを先回りするような言動を取る市丸が、なぜか今日
ばかりは、言葉にするまでは許してくれそうになかった
たぶん、今口にしなければ、本当に市丸はこのまま帰る気なのだろう
「───…嫌だ…」
きゅっと唇を噛み、絞り出すように口にする
このまま、帰りたくなかった
このまま帰ってしまったら、なぜかもう二度とこんな風に会えないような気がしていた
「嫌なん?」
「嫌だ」
市丸から問われて、そのまま反芻する
「一護ちゃん、嫌だけじゃ分からへんよ」
一護の様子に、とげとげしい雰囲気を少し和らげて市丸が言う
「もっかいだけ聞いたげる どうしたいん?これから」
「ギンと…」
「ボクと?」
「まだ…一緒にいたい」
自分の顔の温度が上がる
恐らく赤面しているだろうことが分かって一護は思わず下をむいた
「一護ちゃん 顔あげて」
「─────」
「上げへんかったら帰るよ」
「!ずりっ!」
その言葉に反射的に顔をあげると、市丸はわかっていたようにいつもの人を食ったような笑みを
浮かべていた
「〜〜〜〜ギ…ンっ!」
「んふふ やってそうでも言わんと一護ちゃん顔上げへんのやもん」
「もん とか言うな気持ち悪い」
「おや、いつもの調子が戻ってきたやん」
「うるせえよ…」
ようやく見慣れた市丸の笑みに、一護は内心安堵し、次の瞬間揶揄われたばつの悪さに思わず
悪態を付いた


「…なあ、一護ちゃん、ボクと一緒におりたい?」
ぼんやりと窓の外を見ながら市丸が問いかける
「ギン…?」
「おりたい?おりたくない?」
改めて聞かれて、一護は何度も聞くなという様に眉間の皺を深くする
だが、やたらと今日言葉を求める市丸に、一護は渋々ながらもちゃんと答える
「居たいっつってんだろ…」
「やったらボクん家くる?」
「え?…ギンの…家…?」
思いもかけない市丸の台詞に、一護の目が見開かれた

当たり前の事だが、もちろん市丸にも家がある
でも、いつもふらりと現れてふらりと消えていく市丸に生活感はまるでなくて
そういえば何処に住んでいるかなど、話した事がないのを思い出す
「嫌?」
一護の沈黙を否と取ったのか、市丸が聞いてくる
「違う 嫌とかじゃなくて…その…お前にも家があるんだなあってビックリしてた」
あまりにも正直な一護の答えに一瞬目を見開いた市丸は次の瞬間吹き出すように笑い出した
「なにそれ ひどいわー一護ちゃん ボクかておうちくらいあるよ」
「あ…いや そうじゃなくて…その、お前生活感とかまるでないから…」
「まあええわ 生活感がない言うことは洗礼されとるっちゅー一護ちゃんなりの褒め言葉と
取っといたるわ」
「いや、そこまで褒めてないし」
そこは冷静にツッコんでおく
それになお笑いながら、じゃあいきましょかと市丸が腰をあげた


うわーーー
なんだコレ

その部屋に入るなり一護の頭の中はその二つの単語でいっぱいになった

いや、正確にはマンションに着いた時点で、だ
都心の閑静な住宅街にそびえ立つマンションは、もはや億ションといったほうが
正しいかも知れない
地下の駐車場に車を止めて、直通のエレベーターで一気に最上階まで登る
そして着いた最上階はまるまる一フロアが住居となっていた

そして、部屋に入ったら入ったで、どこのセレブだというような広いリビング
いったい何部屋あるんだろうとか、自分の部屋がいくつ入るんだろうとか
ついつい庶民的にな考えが沸いてくる
しかし、そのシンプルだけれど豪華な部屋はなぜか何処か寒々しかった
まるで、モデルルームをそのまま見ているような錯覚に陥る

「どうしたん?ぼーっとして とりあえずこっちおいで」
そう言って市丸はリビングのソファに一護を促す
「ああ…うん」
まだ半分惚けた頭でふらふらとソファに近づき腰を下ろす
「今飲みもん用意してくるから、ちょぉ待っとってな」
そういってキッチンに消えた市丸の背を目で追う
わずかな水音とカチャカチャと食器のなる音

だよな…住んでないわけないよな…

その音でようやくここが市丸の住居なのだと理解する

しばらくしてトレイに二人分のティーセットなどをのせて戻ってきた市丸を、一護は
ぼうっと見つめていた

「一護ちゃん?」
その声でようやく我に返り、自分が座ったままだと言うことを思い出す
「あ、悪ぃ 俺もなんか手伝うから」
「ああ、ええよ一護ちゃんは座っておって あともっかい行けば終わりやから」
「悪い」
「なに言うてんの 一護ちゃんは大事なお客様やろ 持てなすのはホストの仕事や」
そう言って再びキッチンに消えてゆく
そうして戻ってきた市丸が、お茶請けにと出された高級感あふれる皿一杯のチョコレートを
テーブルにおいたところで蒸らし終わった紅茶を注ぎ、ようやく人心地が付いた

「ほら、食べ 一護ちゃんチョコ好き言うてたから用意してたんよ」
「おう!じゃあありがたく…」
そう言って一口サイズのチョコを口に含んだ時点で、何かがおかしいことに気がついた
口の中で蕩ける生クリームを含んだチョコレート
そして、当然の知識でそれが日持ちなどしないことを一護も知っている
「おい…」
「ん?なん?」
優雅に紅茶を飲みながら、適度な距離をあけて隣に座った市丸が一護を見る
「ちょっと聞いていいか?」
「ええよ 答えられることは全部答えたるし」
「用意してた…って、それ俺が来ること前提だよな?」

あー、それかぁ
そう呟いて市丸は一護から目をそらす
「まあ…そうやね…」
「ってことはもしかして今日ここに連れて来る予定だった…?」
「まあ…そうとも言うね…」
目をそらしたまましれっと言う市丸に一護の怒声があがる
「──ギン!てめー最初っから帰る気なんかなかったんじゃねえか!!」
さんざん、さんざん恥ずかしい思いをして一緒にいたいとまで言ったというのに
やっぱりこいつは人をたぶらかす狐だった!
「一護ちゃんが言わへんかったら、本気で帰るつもりやったよ」
さらりと、市丸が答えた

「え…」
「やって、いつもボクが一護ちゃん連れまわしとるみたいやん たまには一護ちゃんの口から
ちゃんと聞きたい思て」
「聞くって…なにを」
「ボクとおりたいかどうか」

飄々と語る口調に誤魔化されそうになるけれど、正直市丸の言っていることはかなり際どい
一護には経験はないが、もし男女ならこれはうまく口説かれてるのではなかろうかと思う

いや、それはありえねぇ
だって俺、男だし

そう思いながら一護は今思ったままを口にだす
「なんかソレ口説かれてるみてえ」
「そうやよ」
「そっか」
「うん」

なんだそうか…と吐こうとした息が途中で止まる

「へ…?」
状況がよく飲み込めずに間抜けな声を出しながら、市丸を凝視する
「ん?」
「今…なんて言った…?」

「なにが?」
胡散臭い笑みを浮かべながら市丸が質問を質問で返す
すっかり固まった一護に、軽く笑うと手に持っていたティーカップをテーブルの上の
ソーサーに戻した
その一連の所作をみながら、ああ、やっぱりコイツは動きが優雅だと思う

「一護ちゃん」
改めて向き直った市丸がうっすらと開いたアイスブルーの瞳で一護を見つめる

「あかんよそんな顔したら」
するりと市丸の手が一護の頬をすべる
「そんな顔って…」
言われている意味がよく飲み込めなくて一護は首をかしげる
「心許なそうな…でもうっとりとしとるような… そんな顔で人のことみるもんやない」
「うっとり…って」
「あんな、一護ちゃん 惚けてもうて聞こえんかったんならもう一度言うわ」

「ボク今一護ちゃん口説いてんで?」
そこでようやく一護に先程のやりとりが反芻される

「嘘…」
「嘘やない 今までちゃんと言わんかったボクも悪いけど…一護ちゃんかてボクの気持ち
気づいてたやろ?」
「お前の…気持ち…?」
「そうや」
「そんなの…」
知らないと、そう言おうとして一護は言葉に詰まった

知っていたのか?自分は
確かに、友人ではない
学生の時の悪友たちと市丸との関係は全然違う
年の離れた兄弟?
それも違うと思う
でもただの店の客と従業員というには親しすぎる
でも…

自分の勤める店に3日と置かずに通ってくる市丸
でも、忙しいときはぱったりと寄りつかなくなって
しばらくするとまた当たり前の様にそこに居る不思議な男

いつの間にか店以外でも会うようになり、どちらからともなく次の予定を確かめる
まるで……一緒にいることが当たり前のように

なぜだろうと思わないでもなかった
なぜコイツは一緒に居るのだろうと
この関係に付ける名前がみつからない
聞けば良かったのかも知れない 冗談のように
お前にとって俺はなんなのかと
でも、じゃあ…俺にとってのギンは……?


「俺…」
「ん?」
「ギンのこと…なにも…知らない…」
「ボクの…なにを?」
「どこに住んでるのとか…それは今知ったけど…仕事…なにしてるかとか…
普段の…俺と会ってない時のお前がどうしてるのか…とか…」
改めて、そう思う
いつの間にか一緒に居ることが当たり前になっていた
あまりにそれが自然過ぎて、今まで気にしたことなどなかった
いや、本当は知りたかったのに、聞けなかったのだ
「知りたい…?」
「…知りたい」
知りたいと、思う
この目の前の男の事を全部
それは…興味本位でもなんでもなくて……
「なんで?」
「なんでって…」
「ダメや」
言いよどむ一護に市丸が膠もなく返す
「ギン!」
「さっきの答えがまだやろ?質問は順番に、や 一護」

一護、と…市丸が初めて呼び捨てた
ドクンと鼓動が波打つ
未だ添えられた手の低い体温を異常なまでに意識する

「答え?一護」
めったに見ることのできない氷河の色をした瞳
貼り付けたような笑みを消した市丸の顔は逆らうことを許さない
目を逸らすことも 嘘を吐くことも 逃げることも

ああ…これは……
これがコイツの本当の顔

「一護」
答えを促すように市丸が一護の名を呼ぶ
もう、ごまかせない
 
こくんと喉をならして唾液を飲み込む
口のなかがからからに乾いて声が出にくい
「………って…た」
「ん?」
「…し…って…た…」

知っていた 分かっていたギンが自分を好きな事を
そして………

「そうやな… で、一護は?」
そんな事はとうに分かっていたというように市丸が促す
「俺…は…」

もう、ダメだ
どうしようもなく惹かれる この男に───

「お…れも…」
「俺も…やのうて、ちゃんと言うんよ一護」
「……す…き…ギンが…ギンのことが……好き…だ…」
ふっと市丸が笑みをこぼす
それはいつもの見慣れた笑みではなく、妙に男くさくて
「ボクも一護が好きや…愛しとる…一護」
そう言って近づいてくる瞳を見ていられずに一護が目を閉じた時
唇が、重なった



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