天上の華 3 ─幕間─







東京武蔵野にある広大な敷地に広がる純然たる日本家屋
ここに、市丸率いる極道一家「市丸組」が居を構えていた

だが、屋敷の広さに比べて、出入りしている人間は決して多くはない
ここに入ることを許された人間は、市丸自身が選び抜いた精鋭のみに限られていた
その他の人間は、たとえ舎弟だろうと出入りすることは許されない

そんな静寂を伴った屋敷の数少ない洋室のソファに、市丸がだらんと寝ころんでいた

あまりにだらしない主の様子を気にするでもなく、イヅルは日々の報告を終えた後
おもむろに切り出した

「最近ご機嫌ですね」
「んー」
イヅルの言葉に伸びをしながら市丸が返事とも付かない声を発する
「なにか良いことでもあったんですか?」
そう聞くイヅルに市丸が気の抜けた返事を返した
「んー まあなぁ」
何かを考えるようにぽりぽりと指で頬を掻く
「ちょっと気になってる子おんねん」

「そうですか…はっ!?」
その言葉に、イヅルは一旦頷きかけ、次の瞬間思いっきり目を見開いた

気になってる…気になってる子と言ったか!?
来る者は拒まず、去る者は追わずのこの男が!?
抱くだけ抱いて飽きれば捨てる
そんなことを繰り返してきたこの男が他人に興味をもつことがあるなんて
なんだそれは
天変地異の前触れか!?

「もしかして、この所外出が増えたのはそのせいですか?」
心の中で思いっきり失礼な事を考えた事などおくびにも出さずに、恐る恐る尋ねると、
市丸は不機嫌そうに口を尖らせる
「別に増えとる訳やない」
現状をまったく無視したその市丸の言いぐさにイヅルが思わず声を上げた
「何言ってんですか!あれ程一人での行動はやめて下さいと言ってるのに
昼も夜も人の目を盗んでふらふら出歩いてるのは何処の誰ですか!」
そのたびに何かあったら…と胃がキリキリしていると言うのに

「なんやバレとったんか」
そんなイヅルの心中を知ってか知らずか市丸がしれっと返した
「当たり前です!」
その飄々とした言いぐさにイヅルの米神に青筋が立つ
「そしたらこれからは堂々と行こ」
「…勘弁してください…」
イヅルの肩が力なく落ちる
まったくもう…結局何を言ってもしたいようにしかしないのだこの男は
仕方なく、イヅルはさっさと聞くべき事を聞きにかかった

「で、どうするおつもりですか?」
「んーまぁ…なぁ…」
それに曖昧な返事を返しながら、市丸は自分に思いを馳せる


どうするも何も
答えなど決まっている

強引に抱こうと思えばいつでも抱ける
そこに一遍の躊躇も呵責もない
その瞳に自分以外を映すことなど決して許さない

けれど、今それをしないのは一護から堕ちて来て欲しいからだ

最初の出会いのせいで、恐らく一護は市丸が何者か薄々感づいてはいるのだろう
それでも、その瞳を逸らす事無く真っ直ぐに自分を見、笑いかける一護にしばらくは
このままでもいいかとも思っていた

最初の出会いから早数ヶ月
自分にしては十分に時間を掛けたと思う

初めは警戒を露わにしていた一護だったが、さすがに市丸自身に慣れたのか、
最近ではプライベートも共に過ごす時間が多くなった

そして、過ごす時間が多くなればなるほど、お互いの存在に慣れてくる

一護が序々に自分に惹かれていることは分かっていた
そして、それに一護自身気がつきはじめていることも

自分はそれを待っているのだ
焦らず、でもそれとなく堕とす愉しみ───
こんなに気分が高揚することなど、初めてではないかと思う

「市丸様?」
ふっと笑み零す市丸に、イヅルが怪訝そうに問いかける
「まぁ、ちょう待ちイヅル 今丁度楽しい時なんやから」
「楽しいって…まるで恋愛してるみたいですよ?」
「そうや」
何気ない自分の一言に返された市丸のその言葉にイヅルは目を見張った

本気なのだこの人は
誰にも、何も執着を持たなかった主が…
市丸の性質は有名だ
人でも物でも飽きればすぐに捨てる
そこに一遍の躊躇もない
興味本位に可愛がることはしても、愛情をかけることはない
それはまるで子供が玩具を欲しがる様に似ている
そうやって捨てられた数々のものに対して、どれだけ自分がフォローしてきたことか

でも、幼少のころから市丸の側付きとして彼に長年接してきたイヅルは知っている
この人が一度手に入れると決めてしまえば、どんな手段も厭わないことを
そして、一度執着してしまえば怖ろしいほどの独占欲を見せることも
ただ…、今までそれが表にでなかったのは、単に心を動かされるものがなかっただけなのだと
その怖ろしいまでの愛情を向けられる相手に同情を禁じ得ないとイヅルは深くため息を吐いた

「正直…あなたにそんな感情があるとは思いませんでした…」
いや、正しくはその感情を向ける相手がいた事に…だ

「うん…そうやね ボクも自分でビックリしてるわ」
イヅルの真意を読み取ったのか、それとも言葉通り受け取ったのか
市丸は自分の感情が動かされていることにあきれたようにため息を落とす
それを横目で見ながら、ならば…とイヅルも意を決する

「では…、本気ならばなおさらです …調べてよろしいですね?」

さくっと切り込んだ
恐らく、近い将来その相手はこの男のものになるだろう
娶るにしても囲うにしても、この市丸の家に入ることには変わりない
誰よりも人の裏を見抜くことに長けた男が謀られるなど微塵も思わないが
だからと言って有耶無耶していい問題でもない
市丸自身もそれがわかっているのか、そのことについて異は唱えなかった

「まぁしゃあない 楽しかってんけど、そろそろ潮時か…そろそろボクも本腰あげるか」
「本腰…って…えっ!?」
市丸の言葉にイヅルがこれ以上ないほど目を丸くする

「なんや えっ!て」
「まさか…まだお手を出されてないんですか!?」
驚きと共に声を上げれば、市丸が大げさに手を口元に当てて仰け反った
「うわっ! こいつ聞きにくいこと平気でいいよる」
「嘘…で…しょう…?」
呆然と零せば、市丸は不機嫌を露わにぼそりと呟く

「なんやの人のこと鬼畜みたいに」
「鬼畜じゃないことがありましたか」
「ヒドイ!イヅル!」
わざとらしく、よよ…っと泣き崩れる真似をする市丸を一瞥して、イヅルは冷たい声を出す
「何が非道いですか それを言うなら今までご自分がされた事を猛反してから言ってください」
「しゃあないやん ボク極道やもん」
ふんっと拗ねたようにそっぽを向かれるがまったく可愛くない
「開き直りましたね?」
「ふん 多かれ少なかれ極道はみぃんな鬼畜や お前かてそうやろイヅル」
にぃっといつもの食えない笑みを浮かべて市丸が言う
それにイヅルはそっけなく返した
「あなた程じゃありません」
「こいつ程度の問題に置き換えよった」
呆れたように言う市丸に、イヅルは内心の疑問をぶつける

「でも…、あなたが今まで手を出さないなんてそのお相手は一体どこの深窓の令嬢なんですか」
「うわーいややイヅル 純粋なんが全部深窓の令嬢やなんてどんだけ古い知識やの」
きしょいわー今時深窓の令嬢のほうがよっぽど擦れてるやん

「あーはいはい分かりました 純粋ねえ…それで手を出せなかったんですか今まで」
ぎゃあぎゃあと騒ぎ出す市丸をさっくり無視して、イヅルが尚も尋ねると、市丸は何か
思案するように顔を歪めた
「んー、そういう事でもないんやけどなぁ」
そこで、イヅルはふと気になることを聞いてみる
「もしかして…まだ…知らないんですか?」
「…どうやろ…薄々は気づいてんのとちゃう?」
つまり話してない訳ですねと言外に視線を送れば、それを見越したように市丸は肩をすくめた

背負しょっているものを見られるのがそんなにお嫌ですか…?」

わからないでもない
体の関係になれば相手が堅気の人間ではないことは一目瞭然だ
自らの背に散る極道の証
イヅルとて堅気の人間と関係したことは皆無ではない
特に相手が極道だと知らないのであれば、本気であればある程タイミングが難しいのもよくわかる
この男に限ってまさかとは思うが、相手を大事にするあまりこのまま手を離すことも…

「いや、そうやのうて…まだ見せる訳にはいかへんのや」
イヅルの考えを読んだように市丸が口を開く

「まだ…?ですか?」
「…そうや」

でも、まあそろそろやんなぁ

そう呟く市丸の顔は相変わらず読めない笑みが浮かんでいた



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