嵐のあと 1




ふわりふわりと眠りから覚醒の間を彷徨っていた意識が、ふっと現実に引き戻される
うっすらと目を開けて二三度瞬きをすると、揺蕩う意識がだんだんと一つに纏まる

ここは……
見慣れない高い天井をぼうっと見上げてゆるゆると首を横に向けると、額からするりと何かが
滑り落ちる
なんだろうと思って体を起こそうとして……ずきんとした痛みが腰から背中を貫いた

その衝撃で一気に覚醒する

そのまま起こしかけた体を再び大きなベッドに沈めて、ようやく一護は今の状況を理解した

昨日ここで初めて市丸に抱かれたのだ

まったくの初心者だった一護は、途中から…というかほぼ初めから、もう何が何だか訳が分から
ないくらい…、いっそ見事なまでに理性が吹き飛んでいた
とりあえず市丸にしがみついて声を上げまくった事は覚えている

うっわぁ………マジか…俺…………

昨夜の自分の痴態が断片的に甦り、思わず枕に突っ伏したくなった
が、仰向けに寝た状態で枕に突っ伏すには寝返りを打たねばならず……
それは今の状況では永久に不可能だと思い知る
激しい腰の痛みに加えて、体全体がものすごくだるい
正直手を動かすのでさえおっくうだ

一体何をどうしたらここまでになるのか………
いくら初心者で程度が分からないとはいえ、昨夜のあれは相当に激しい部類だったんだろうなと
思い返す
まったく、「優しくする」とか言っておいて、初っぱなからガンガン飛ばしてんじゃねーよあの狐!
と、頭の中で悪態をついて、ようやくここにその原因が居ないことに気がついた

きょろっと視線を移して部屋を探るが、どうやらこの部屋にはいないようだ
だとしたらリビングかと思い、市丸を呼ぶために一護は声を上げた

「───ギ……ン………」

──うわっ──………声………

ガラガラにも程がある
その自分の声を聞いた途端、かぁああああっと全身が熱くなる

すげ…恥ずかし………っ……

とりあえず目を瞑って恥ずかしさをやり過ごそうとぎゅっと目を閉じた時、寝室の扉が開く
カチリという音を拾った

「……一護ちゃん…?」
音もせず、するりと入ってきた市丸は、ベッドサイドまで来ると、目を閉じた一護を覗き込んで
そろりと声をかける
「ん」
そのまま目を瞑って返事を寄越す一護の額に市丸がそろりと手を触れる
「なんや…目ぇ覚めとったん…?」
「ん」
そろりと瞳を上げれば、そこには労るように微笑んだ市丸の顔があった

───うわ……ダレだこれ───

こんな愛情溢れて優し気な市丸の顔は初めてだ
多分本人ですら、自分が今どんな顔をしているか分かってないだろう
「…どない?一護ちゃん熱出してたんよ…?」
ああ…なんてことだ…声まで甘い
いつもの声にさらに艶がかかって、はんなりとした喋り方がさらに甘さに拍車をかけている
もう…やばいってお前…その顔も…声も
それとも、一護の目と耳の方がどうかしたんだろうか
肌を重ねるということは、こうもすべてが違ってみえるのだろうか

「一護ちゃん?」
ベッドサイドに腰を下ろして市丸が一護を覗き込む
「んんん」
先程の自分の声がまだショックな一護は唇を引き結んでなんとか目だけで会話しようとした
その様子に具合が悪いのかと市丸の柳眉が寄せられる
「もう、熱は下がっとるみたいやね ごめんな 体だるいやろ?どっか痛いとこある?」
「んー」
痛い所といえば、ほぼ全身だ!と文句の一つも言いたいのだけど、今一番なんとかしたいのは
この声だ
とりあえず嫌でも声に出さないと要求は通らないと決心し口を開こうとした一護に
「あ、ちょお待っててな」
と市丸はするりと部屋の片隅に何かを取りにゆく
「ごめんな気ぃつかんと とりあえず先にお水飲み」
「……ん」
ナイトテーブルにミネラルウォーターを置き、一護の背に手を入れてゆっくりと起こし、
ヘッドに立てかけた枕に一護をそっと寄りかからせた
「飲める?ボクが飲ませたろか?」
再びベッドに腰を下ろした市丸は、だんだんといつもの市丸に戻りつつあった
それでもいつもの市丸を知る人間が見たら、砂を吐きそうなくらい雰囲気が甘い
「んんんー」
一護はとりあえず動く目と首とで自分で飲むことを訴えた
だが、
「そっかわかったわ 待ってな」
とペットボトルから一口水を含みうまく逃げることのできない一護に口移しで流し込んだ

こくんと喉が鳴り、冷たい水が降りてゆくのを感じて、一護はようやく酷く喉がひりついていたの
だと実感する
もっと…という間もなく、近づいてきた市丸に、今度は一護から口を寄せた
水を移し終わって市丸が離れる間際唇がぺろりと舐められる
「……ギ…ン」
「おはようさん一護ちゃん てかすごい声やねぇ」
咎めるためとっさに出た声は、起き抜けよりましなものの、やはりすごい掠れ方をしていた
「水…自分で…のむ」
一度聞かれてしまえば、あとは同じと一護は開き直って要求を口にだす
それに抵抗するかと思いきや、市丸は存外にあっさりと一護にペットボトルを渡した

「……なに…?」
一気に飲み干したあと、さっきから一護の顔をにこにこと見ている市丸に眉間の皺を深める
「んーいや、ゆうべの一護ちゃん可愛かったなぁ〜って思て」
そう言った市丸の顔がにこにこからへらへらに変わる
「……ばっ…!だっ…大体なあ、優しくするって言っといて、なんだよコレ!」
と思いっきり文句を言えば
「そんなこと言うたかて、止まらんかったんやもん」
「止めろ!大人なら!」
「………努力はしてみるけど……たぶん無理や これからも」
と、市丸がいっそ清々しいくらいにきっぱり言い切った
「それにな、一護ちゃんかて、『もっとぉ』言うてなかなか離してくれへんし、
『嫌』言うからじゃあやめる?って聞いても可愛く『やだ』って言わはるし…
それに、ボクのもん欲しい言うて…」
「ああああ!もう、いいっ…ゲホッゲホゲホ」
「ああ、あかん」
いっそ楽しげに詳細をペラペラ喋りだす市丸に声を上げたせいで激しく咳き込んだ一護の背中を
大声を出させた本人が優しくさする
咳込むと、背中から腰にかけてがズキズキと痛む
「うう〜〜」
ほとんど涙目になりながら一護が市丸に抗議の目を向けると、眉をハの字に下げて甲斐甲斐しく
背中をさする市丸と目が合った
「ああ、痛いなぁ せや、一護ちゃんちょっと動くよ?」
「ん」
壊れ物を扱うようにそっと、でも力強く一護を支えながら、市丸が一護を俯せにする
「大丈夫?体制辛ない?」
「うん…大丈夫」
「そか、じゃあ失礼して」
そう言って一護の背に手を添えた市丸に、まさかまたヤル気じゃ…と抗議しようとすると、
背中の一点に軽く圧がかかった
「?」
「マッサージや あんま強ぉやるとまた痛なるから軽くやけどな 普段使わん筋肉使てるから
体中ぎしぎしやろ?」
そう言いながら市丸は的確に凝り固まった筋肉を解してゆく
やけに手慣れていてうまいなぁと思いながら、一護は体の力を抜いた

「どや?きもちええ?」
「うん…」
「ここは?」
「…んっ…もう少し下…」
「ここ?」
「うん……あっ…そこっ……」
「痛いん?きもちええん?」
「……ん…きもち…い……………」
「んじゃここは?」
「────────」
「一護ちゃん?」
「───…………」
「ああ、なんや今のセックスん最中みたいやったなぁ 思い出したんやろ一護ちゃん」

「───ギンっ!」
一護が抗議の声を上げると市丸はくすくすと笑い出す
「ごめんごめん 堪忍して」
「もう…てめーは……」
「やってなあ…こうやって一護ちゃんに触れとるとたまらんようになるんよ…」
そろりと背中に手を這わしながら市丸が言う
「……え…って…ギン、ごめん、さすがに今は無理!」
思わず首を捻り市丸を見上げて抗議する一護に、市丸が苦笑を漏らす
「わかっとる 心配せんでええ さすがのボクもそこまで鬼畜やあらへんよ」
一護の背を優しくさすりながら言う市丸に、本当にこれ以上やられては堪らないと
眉を寄せて聞いてみる
「……ほんとに……?」
「なんや、疑りぶかいなぁ そんなん言うなら遠慮のう犯すで?」
にぃーっと口裂女よろしく口角をつりあげて笑う市丸に、思わず一護がヒッと悲鳴を漏らせば
人の悪い笑みでにやにや笑う
思いが通じ合ったとはいえ、今一真意のわからないその笑みに、一護の血の気が
ざあーーーっと引く
「いいいやっ!ごめん!お前に限って、そそそそんなキチクなことするわけないよな!
ははははは」
全身冷や汗に塗れて、引きつった笑いを浮かべながら、言葉と裏腹に体が逃げる一護に、
市丸は一瞬無表情になり……にやぁ…と悪魔の笑みを浮かべる
その様子に、やばい!ヤられる……!と一護は顔を引き攣らせた

ヤる!犯られる!こいつはヤるといったら、絶対にヤる!
ああ、そうだよ 俺昨日全部やるとか言っちまったもんな
つーコトはこいつの気分次第に、どうあつかわれても文句言えない…んだよな…
でも、いくら俺のことやるっつーても流石にそれは嫌かも……

「ホンマ信用ないんやね、ボク」
ふう、やれやれ こんなに愛してるのにヒドイわ一護ちゃん
そう言いながら市丸はふうっとため息を吐くと一護の頭をぽんぽんと叩く
「ギン……」
「そんなコトするわけないやろ それくらいボクにでもわかっとるから、なんも心配せんでええよ」
ふっと性悪狐の笑みを引っ込めて、市丸の表情に苦笑が滲む
「……ギン…?」
「あんな、一護ちゃん なんか誤解しとるようやから言うとくわ」
まるで聞き分けのない子供に諭すように、市丸は呆然とした一護の髪を緩く梳きながら
視線を合わせる
「ボクが一護の全部を欲しい言うんはほんまや 
そやけど…それは別に一護の人格を否定するわけやないんやで?」
「………」
「一護がどう思っとるんか知らんけど、ボクはな、ホンマに一護の事愛しとるんよ
その髪も顔も体も勝ち気な性格も…一護の純粋な魂も全部……
せやから、一護を傷付ける事だけはしとうないねん
一護はそのままでおって そのままの一護でボクの側におって 
ボクはな、極道やし、どうしようもない悪人やから、一護からしたら受け入れられん事やって
これからも一杯する思うわ」
「ギン……」
訥々と語り始める市丸に、恐らくこれは彼がずっと言いたかったことなのではないかと一護は思う
饒舌なようでいて、真実だけは決して語ろうとしない男の本音

「せやけど…もうこれは変えられへんのや… 
一護がどんなに嫌言うても…ボクはやらなあかんことがあるし、その為なら手段は選ばへん 
…やから…一護がボクの事愛する言うんなら、そんなボクをまるごと受け入れて欲しいんや 
たぶんこれから先は一護には想像もつかん世界が待っとる
ボクが一護を全部くれ言うたんは、なにも感情だけの問題やないんよ
たとえこの先もし、一護がなにか自分でしたい、やりたいいう事があっても、状況によってボクは
それを許してはあげられへん 今までみたいに会いたいいう時に人と会うたり、行きたい思う所に
行ったりでけへんのや なんでかわかるか?」
ゆるゆると市丸が愛しそうに…そしてどこか悲しげに一護の髪を梳く
その彼と視線を合わせ一護はゆっくり頷く
「……うん…わかる…… わかってると…思う…」
それは……常に死と隣合わせだということ
市丸のいう世界がどんなものかは具体的に知らなくても、一般的な知識だけでもやはりそこには
死の影が付きまとう
そして───これからは、そこが自分の日常になるのだ

「一護は一護のままでおってええ ボクには嫌なことは嫌言うてええし、ボクはなにも一護をボクの
人形にする気はないんよ そのままの一護がボクは愛しいんやから何も変わらんでええ
ただ……ボクとおる限り、一生一護には自由な生活は望めん それはだけは…諦めて欲しいんや」
形のよい柳眉を寄せる市丸の表情はどこか悲しげで
それを見ながら一護は、だるさの残る腕をあげて市丸の頬にそっと手を伸ばす
「……わかってるよ…ギン 」
そっとすべらかな頬に手をすべらせて、まるで睦言のようにうっとりした表情で一護は言う
「わかってる……ただ…俺には何が良くて何が悪いかなんて判断なんてつかねえから…
たぶんお前にとって我が侭にしか聞こえねえ事もいっぱい言うと思う」

ゴメンな……?

その一護の言葉に市丸の目が見開かれる
「一護……」
苦しそうに、心底苦しそうに市丸が一護の背を抱きしめる
「愛しとる……愛しとる……一護……」
ふいに、体を抱き起こされてそのまま強い力で抱きしめられる
「うん…俺も……」
うっとりと…その言葉を聞きながら一護は思う

たとえ……、その手が血に塗れていても……自分は一遍の躊躇もなくその腕に抱かれるだろう
その腕に抱かれて、あられもない嬌声をあげて……
ただ、この目の前の男を愛しいと感じるだろう

きっと……誰に何を言われても……この男を愛するのをやめられないのだろう
この子供みたいに我が侭で残酷な……自分の唯一愛する男のことを

抱きしめられた腕のぬくもりを感じながら一護はゆっくりと目を閉じた



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※初夜の翌日
砂吐きそうに甘いです市丸さん