
自室のベッドの上で、目の前の綺麗にラッピングされた箱を見ながら、一護はいつもより更に
眉間の皺を濃くしていた。
「いや…ぜってー柄じゃねぇ…!」
胡座をかいたまま上半身を折りたたむようにつっぷした口から情けなさそうな声が漏れる。
いっそこのまま捨ててしまおうか。
いや…でも流石にそれは勿体ないから…せめて自分で食おう。うん、そうしよう。
そんな事を考え続けて2時間あまり。
いい加減部屋を出ないとマズイ時間に差し掛かっていた。
「一護ォ〜。いー加減覚悟決めちまえよ〜」
「うっるっせー!コンッ!」
背後から呆れたようなコンの声が響く。
いくら自分で押し込んだとはいえ、ノー天気な容貌のライオンのぬいぐるみに説教めいた事を言われたく
なんかない。
散々悩んで、決心して。漸く完成したのに、いざとなるとまた悩む。
確かに女々しいとは思うけれど…。
──そんな事、俺だって分かってんだよッ!!!
「ったく、いつまでたっても女の腐ったみたいに…。いーじゃねぇか。喜んでもらえるのは確実なんだしさー。
大体両思いなのにぜーたくなんだよ!俺なんて姉さんに貰えるかどうかもわかんねぇのに……」
「だからッ!っるっせーつってんだろーがッッッ!!」
一護の神経を逆撫でするようなコンの言葉を最後まで聞かずに、一護はコンの体を容赦なく窓の外に
放り投げた。
分かってる。これを渡せば、絶対喜ぶだろうと言うことは。
一体どこから仕入れてくる知識なのか、瀞霊廷の死神達は見た目と反して現世行事に結構詳しい。
そして…。今現在一護の尤も側にいる死神である一護の恋人も、口では言わずとも『それ』を期待して
いると言うことは、一護にもヒシヒシと伝わってきていた。
現世の日本に於ける男子最大の行事──。
2月14日。バレンタインデー。
女の子から男の子へ。年に一度、大々的に告白できるチャンスの日。
そして、思いを伝え合っている恋人同士にとってもその日はやっぱり特別な日。
でも……。
「つーか、それ女子の行事だしッ!!!」
一護は男。そして、今現在、一護が好きで…ただ一人だと思っている恋人も、同じ男──。
そんな事付き合う前も、付き合い始めてからも十分に分かってはいるけれど。
今更男同士だという事に拘りがある訳じゃない。
好きになったのが『彼』で、それ以外には考えられなかったから。
そして、行事ごとなんて何も拘りなんてないように見せていながら、案外ベタな事にも喜ぶ事を知って
いたから。
だから、こうやって彼を喜ばせようと用意なんてしてみたけれど…。
「ぜってー絵面的にヘンだって……」
いざとなると、柄じゃないとか自分に似合わないとか…そんな言葉ばかり頭の中をグルグル回って…。
ベッドに座り込んだ姿勢のまま、一護は目の前の箱をじっと睨み付けていた。
綺麗にラッピング"された"と言っても、そのラッピングをしたのは他でもない一護自身だ。
そして、その中身であるチョコも、実は一護の手作りだった。
ネットで彼が好みそうなレシピを調べて、家族にばれないように夜中のキッチンでコソコソと作り…。
味も、見た目も「これならイケル!」と思った自信作。
…そこまではよかったのだ。そこまでは。
その勢いのままだったら、きっと普通に渡せていたと思うのに……。
チョコが出来上がったのは昨日。
そして、いざ今日になって、無事出来上がった安心感と共に、盛り上がっていた気分が一旦落ち着いた
所で、ハッと我に返ったのだ。
───柄じゃねぇ……、と。
「ああああーーッッ!もうッ!」
ここでグダグダ悩んでいても埒が開かない。
かなりな距離を飛ばされたはずのコンが、「なにすんだよ〜」と窓からひょっこり顔を出したのを切っ掛けに、
一護は死神化すると自分の体にコンを押し込んで、窓枠を蹴った。
「お邪魔しまーす…」
隊首室の大きな扉からひょこっと顔を出して、一護がそうっと声を掛ける。
「一護くん、いらっしゃい」
「こんちは、イヅルさん。ごめんな、仕事中に。──おう…」
軽くイヅルに詫びながら、一護の姿にヒラヒラと手を振る市丸に、若干ぶっきらぼうに答える。
大分マシになったとはいえ、駄々漏れの霊圧は姿は見えずとも一護の居場所を雄弁に物語る。
一護自身もそれが分かってはいるのだが、やはり仕事中はなるべく邪魔はしたくない…という考えの元、
一護の掛ける声は毎回小さい。
正直あまり意味はないけれど、小さいながらもそういった一護の気遣いを市丸は可愛いなぁと思っていた。
「そんなトコ立っとらんと、こっちおいで」
市丸がそう言って手招くと、コクっと頷いてトコトコと近付いてくる。
それを合図にイヅルが暇を告げた。
「それじゃあ、今日はこれで。後は宜しくお願いします」
「んー、ご苦労さん」
そう言って出て行くイヅルに一護が首を傾げた。
「え?…なんで?まだ…」
「ああ、今日はええねや。この所残業続きやったから、今日は早仕舞いさしたんよ」
「残業って…それお前のせいじゃねぇの?」
「失礼やなぁ。ボクかてやる時はちゃんとやってるで。隊長やもん」
笑いながらそう言う市丸に、一護は訝しそうにふーんと口を尖らせながらも、それ以上の憎まれ口は叩か
なかった。
その様子に市丸が「あれ?」と思う。
普段ならもう一言二言はあるはずなのに…。
どこか落ち着きなくソワソワした感の一護に、市丸は気づかれぬよう笑みを落とすと、さっと机の上を片付
けた。
「あ…あのさ、ギン…」
「ほんならボクらも帰ろか。もうボク腹ぺこや〜。…なに?」
「あ…いや…」
一護の言葉に被るように言って、改めて聞き返してきた市丸に思わず口ごもる。
それに僅かに眉を上げたものの、市丸はそのまま一護の手を引いて楽しそうに家路を辿り始めた。
──困った。
市丸に腕を引かれながら一護の頭はその言葉で一杯になる。
意を決して、直前まで置いていこうと思ったチョコを持ってきたはいいものの…。
完全に手渡すタイミングを失ってしまった。
ここへ来る道すがら、一番自然に…照れずに渡せるのは仕事が終わった直後だと、散々考えた結果の
あのタイミングだったのに。
市丸と恋人関係になって約半年。
周りからそう見られる事も、そして自分自身の中でも、漸く慣れてはきたけれど。
特別意識していない時は普通にして居られるのに、市丸と二人だけの空間で、殊更それを意識するような
事があると、どうしても照れが先にたってしまう。
市丸の家に泊まる事も…そういうコトにも大分慣れたけれど…。
でも、自然と市丸からリードされムードに流されるという形でないと、一護からはとても恋人としての自分
なんか恥ずかしくて出せやしない。
そういう一護の事を市丸は『可愛い』と言って容認してくれてはいるけれど。
これが市丸でなければ、正直見限られていても不思議じゃないと自分で思うくらい、一護の態度は普通の
恋人同士とはほど遠いものだった。
市丸の家に帰り着いて、手際よく夕飯の支度をする市丸を手伝いながら、一護の頭の中は渡しそびれた
チョコの事で一杯になっていた。
次なるタイミングは夕飯が終わった後だと新たに決心したのに。
現世の話や、今の瀞霊廷事情など、毒にも害にもならないような他愛ない話で夕飯を終えた後、市丸は
一護に「先お風呂浴びといで」と言ってさっさと後片付けに立ってしまった。
じゃあ次は市丸が風呂に入る前に、さくっと渡してしまおう!と目論むが、これも一護と入れ替わるように
さっさと風呂に行かれてしまった。
「あー…もう…っ。どうしろっつーんだよ…」
この先の展開など目に見えている。
ここ尸魂界にはTVなどない。他の死神がどうしているのかは知らないが、市丸は一護が居る時は、
食事・風呂と一通りすませた後は大体晩酌しながら一護を引き寄せてコトに及ぶ事がほとんどだ。
そういうムードの方が考えようによっては最適なのだろうけど、市丸の作り出す空間は甘くてそれに身を
預けるように一護自身溶けていくから…そこで「ちょっと待って」は絶対無理だと今までを思い出しながら
一護は思う。
かと言ってそういうコトが先に待ちかまえている今の状況で渡すなんて…まるで自分から誘ってるみたい
じゃねぇか!と一護は一人首を振る。
早くどうするか決めないと、市丸が戻ってきてしまう。
そして結局。何も決められないまま、今一護の目の前で、市丸はいつものようにのんびりと風呂上がりの
晩酌を楽しんでいた。
「どないしたの?」
「え…。は!?なんもねぇけどっ!?」
もう、どーすんだよ、俺!とその事ばかりが頭を巡っていた一護に、市丸が首を傾げる。
その声に、びっくーと身体を強張らせいっそ不自然な程の勢いでそう言った一護に市丸の目が見開かれた。
「…どないしたん…。なんか今日の一護ちゃんおかしいで?」
「んな事ねぇよっ!いや…なんか…今日、暑くねぇ?」
「今日は結構冷え込んどるはずやけど…」
現世の方が寒いんかな…と市丸が窓の外に視線を向ける。
本当にどうしよう…と一護がキュっと唇を噛みしめた時、市丸の甘い声が鼓膜を打った。
「一護ちゃん…こっちおいで」
一護に視線を向けて、誘うように手を伸ばす。
正直、一護はこの市丸の「おいで」に弱かった。
無理強いする台詞ではないのに…どこか有無を言わさない声。
甘く誘いを掛けるその声に、ふらりと誘われた辺りから、一護は全ての抵抗を奪われてしまう。
その声に誘われるように、市丸の腕に抱き留められた一護は、結局渡す切っ掛けを失ったチョコの事は
この際きっぱりと諦めた。
「一護…」
市丸の甘い声が耳朶を掠める。
それにそっと目を閉じた一護の耳に、市丸のクスリと笑う声が響いた。
「…なに…?」
「ん?今日の一護ちゃん、ちょっとヘンやなぁ思うて」
「別に…いつも通りだし」
自分でもおかしい事は分かってはいたけれど。
そう答えた一護に、市丸がチョイチョイと持参した鞄を指さす。
「あの中、何が入ってるん」
「…は?」
「やっていつもは手ぶらで来るやん。なに、宿題でも入っとるの?」
「あ…。ああ、そう!なんか一杯宿題出ててっ。コンだと任せておけねぇからっ!」
言い訳のようにそう言う一護に、市丸がふうんと生返事を返して、片手で鞄を引き寄せた。
「ちょ…!ギン!」
「え〜。やって、現世でどんな事習うてるか気になるやん」
「ならなくていい!」
「一護」
思いっきり叫んだ一護の目の前で、市丸の青い瞳が優しい甘さで笑う。
「ボクに…なんか渡すもん…ある?」
「え…」
「今日が何の日かボクかて知ってるし、一護の態度見てたら一目瞭然や。ボクに…渡そう思うて持って
きてくれたんやろ?」
促すような市丸の台詞に、一瞬言葉を失う。
そして、固まったままの一護の額にそっとキスを落とすと市丸がそのまま一護の身体を抱きしめた。
「なんや、ちゃうの?ボク一護から貰えるもんや思うて期待しとったのになぁ」
「え…あ…。その…」
「本命から貰えんやなんて悲し過ぎるわ…。ま、しゃぁない。やったら来年はちゃんと用意してるんやで?」
「え……。違っ…!違う!あるからっ!」
市丸の言葉に乗せられるように思わずそう叫んで腕を振りほどいた一護に、市丸がにっこりと笑った。
「あ…あの…」
「ん?」
「鞄の中に…」
「これ?」
そう言って目の前で一護の鞄をユラユラ揺らす市丸の手から、それを奪い取ると、一護は決心するように
一度深く深呼吸する。
そして、中から小さな紙袋を取り出すと、それ毎市丸に差しだした。
「これ…」
「うん」
「バレンタインの…チョコ…」
恥ずかしそうに俯いたまま差し出す一護に、ああ、本当にこの子は可愛いと市丸がほくそ笑む。
余程照れくさかったのだろう。耳まで真っ赤にしている一護に、これ以上の意地悪は可哀想かなと思う。
一護が市丸の為に用意していた事など、市丸はとっくに分かっていた。
照れ屋の一護が、渡すタイミングを見計らって四苦八苦しているのも、もちろん知っていた。
好きな子ほど虐めたい…という程子供な訳ではないけど、こうして困っている一護は殊更可愛くて、悪い
癖だとわかっていてもついつい悪戯心が沸いてしまう。
但し、その引き際をちゃんと心得ていないと後でとんでもない事になるのは重々承知している。
「開けてもええやろか」
知らず零れる笑みを乗せてそう言うと、相変わらず真っ赤になったまま一護がコクリと頷いた。
「うわぁ…。丸っこぅて可愛えチョコやなぁ」
四角い箱の中、綺麗に仕切られたスペースに球体のチョコが可愛く鎮座している。
表面がゴツゴツしたもの、ココアが振りかけられた柔らかそうなもの…。見た目が微妙に違う数種類の
チョコが箱の中に綺麗に収まっている。
「食うてもええ?」
そう聞くと、俯いていた一護がパッと顔を上げた。
「うん…。それ、さ。少しラム酒効かせてるから…。あ、ラムって現世の西洋の酒なんだけど…。
ギン飲むのは日本酒だけど…洋酒も平気かなって…。ギンあんまり甘すぎるの苦手だろ?だから
平気なように作ったんだけど……」
モゴモゴと口に出す一護に、小さく丸まった一塊を口に含んだ市丸が、口腔で溶ける甘さと鼻に抜ける
香りに舌鼓を打ちながらそっと一護を引き寄せる。
「これ、一護ちゃんが作ってくれたん?」
そう問いかけると、市丸の目の前でオレンジの髪がそっと上下に揺れた。
「市販のって…買うの恥ずかしいし…。なんか味気ないなって思って…」
「嬉しいで、一護…。ホンマ嬉しい。──ありがとな」
「うん…」
小さく頷いた後、市丸の胸に顔を埋めてしまった一護の頤を、そっと持ち上げて市丸が優しくその唇に
キスを落とす。
「お裾分けや」
「ん…」
あやすように絡められた舌から、チョコの甘さとほんのりと香る洋酒の匂いが一護に伝わってくる。
いつもよりもずっと甘い市丸の口付け。
それが、今口に含んだチョコのせいなのか、それとも別の甘さなのか…。
それとも、今こうして市丸といるからなのだろうかと、一護は熱で溶かされたチョコレートのように
とろんとした頭でぼんやりと考えていた。
end
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