指定された店の年季の入ったドアを開けると、イヅルは薄暗い店内を見渡す
落ち着いた雰囲気の趣味の良いバーだった
学生の身分では少々敷居が高いと思われるその店は、カウンターの中に年配の男性が一人慣れた
手つきでシェーカーを振っている
おそらく、酒の味も格別なのだろうと思わせる店の佇まいだった
だが、今は、その雰囲気を味わうのも、酒の味も二の次だ
視線を巡らせると目的の人物は、そのカウンターの奥に一人座っていた
目立つ銀色の髪
迷う事無くその人物に近づいて声をかける
「…おまたせしました 市丸さん」
「ああ、イヅル 呼び出してごめんなぁ」
そう言っていつもの読めない笑みを浮かべて、市丸は手に持っていたショットグラスを掲げた
イヅルの高校からの後輩、そして、大学になった今も同じ学部の後輩である一護との連絡が取れなくなって、今日で四日目だった
普段真面目な一護は、今時の日本の学生では珍しく滅多な事では大学は休まない
何かあったのかと心配になり、何度も家や携帯に連絡を入れたのだが、家の電話も携帯も留守電に切り替わるだけで、メールを入れてもなんの返信も返ってこない
もしかして具合が悪いのかと、一人暮らしの一護のアパートまで行ってみたが、中にいる気配すらない
そして──イヅルが気になっていたのは、それと同じくして市丸も大学を休んでいるという事だった
尤も、市丸の場合は、イヅルが所属するゼミの教授と共同研究という名目で、客員教授として在籍している為正規の教授達のように毎日顔を出す必要はない
だが、聞けばしばらくは休むとの連絡が入っているという
絶対に何かあるのだと確信したのはその時だ
一護との連絡が取れなくなった前日、酔いつぶれた一護を送っていったのは市丸だった
翌日は、さすがに二日酔いだろうと軽く考えていたのが、二日、三日と経った今、それだけではないのだと
イヅルは思っていた
一護と市丸
この二人には何かある
前々から懸念していた事が恐らく間違いではないのだと思い、これで出なければ市丸に連絡しようとかけた
一護の携帯がようやく繋がったと思った時、聞こえてきたのは市丸の声だった
「それで…一護くんは…」
市丸の隣に腰を下ろしながらさっそく切り出したイヅルに、市丸は優雅にグラスを傾けながら苦笑する
「まあ、そんなに焦らんと とりあえずなんか飲み」
焦るイヅルをよそに、ことさらゆっくりとグラスを口に付ける市丸に、苦いものを感じながらもイヅルは一つ
ため息を吐いて自分を落ち着かせると同じ酒を注文した
「なんや、イヅルも結構飲めるんや これ強いで?」
頬杖をついてにやりと笑う市丸にイヅルはきつい視線を向ける
「…そんなに飲めませんよ 酒なんてなんでもいいんです、今は それより…」
「そんな事言わんと こういう所なんて学生は来る機会ないやろ?せっかくやから楽しんだらええやん」
イヅルの言葉を遮って、どうでもいい事ばかりを口にする市丸に、イヅルは苛ついた声を出した
「市丸さん!」
その様子に、市丸はひとつ肩を竦めると手に持っていたグラスを置いて視線を宙に浮かせた
「…一護くんは…市丸さんの所に居るんですね?」
ようやく話す体勢に入ったのだろうと判断して、イヅルはまず聞きたかった事から口にした
それに対して、市丸も今度ははぐらかす事もなく軽く頷く
「そうや」
短い返事の後に続く言葉はなにもない
相変わらず顔を正面に向けたまま、どこかに視線を遊ばせている
その態度に、イヅルはいいかげんにしろと喉まで出かかるが、タイミングよく運ばれてきたグラスに、ぐっと
それを呑み込んだ
気分を落ち着かせる為にグラスの酒に口を付ける
おそらく上物のスコッチなのだろうが、かなり強い酒に味など分からずイヅルは顔を顰めた
その様子を横目で見て市丸が笑う
それさえも、イヅルの神経を逆なでした
市丸という男は決して一筋縄でいくような人間ではない事はイヅルもよく分かっている
頭の回転が早い市丸は、口も上手く、油断していると聞きたいことすら聞けずにはぐらかされて終わる羽目になる
どんなに相手が激高していたとしても、独特のはんなりした口調を一切変える事もせずにのらりくらりと躱されてしまうのだ
今の時点でイヅルの苛つきはきっと手に取るようにわかっているだろうに自分から口火を切ることすらしない男に、イヅルはどう切りだそうかと頭を巡らせていた
と───
「…一護ちゃんな、しばらくボクんとこおるわ」
しばらく沈黙が続いた後、市丸がようやく口を開いた
「え?どういう事です?まさか具合でも悪いんですか!?」
その言葉にイヅルがまず心配したのは一護の体調だった
あの日、急性アル中とまではいかないが、確かに一護は飲み過ぎていた
病院に連れて行った方がいいのではないかと思うくらい、顔色は悪く、今にも倒れそうだったのだ
あのまま市丸の家で寝込んでいるのかと、そう思ったイヅルを見越したように市丸はゆるく首を振り
意味深な台詞を吐く
「まあ…体は健康やから、心配せんでもええよ ただ…今はちょっと、外には出されへんのや」
「一体なにが…」
その言葉に思わずイヅルの眉が寄せられる
「あの子なぁ… 今ちょっと心も身体もタガが外れてんねや」
「タガって…市丸さん!一体一護くんに何したんですっ!?」
どういう事だというように、市丸に詰め寄るイヅルに、市丸がくつりと笑う
「人聞き悪いなあ、イヅル」
「市丸さん!!」
市丸の様子に、思わずイヅルの声が上がった
一体、何があったというのか
タガが外れるというのが、一体どういうことなのか
外に出れない程の状況なら、何か身体に異変が起こっているとしか思えない
だが、市丸の様子はどこかその状況を楽しんでいるようにもみえるのだ
何よりもイヅルが恐いのは……この男の持つ底知れぬ怖さだった
市丸の性質は世間一般のモラルから逸脱していると思わせる節がある
目的の為ならこの男は手段は選ばないと思わせるような言動をイヅルはたびたび目にしていた
それが、もし、一護に向けられたのなら───
「ほんま、イヅルは一護ちゃんが心配なんやね」
薄ら笑いを浮かべてそう言う市丸に、イヅルは何を言っているんだというような顔を向ける
「気づいとる?今日会うた時から、イヅルボクんこと『先生』やのうて『市丸さん』言うてるよ?」
「そんなこと…どうでもいいでしょう!?」
どうしてこう関係のない事ばかり言うんだとイヅルが唇を噛むと、ふふと市丸が声を出さずに笑う
「まあ…ええけど… イヅルんなかでは個人的な話になっとるんやなぁ思て」
そして、そのまま市丸はまたぼんやりとグラスを傾けた
「──せやな…イヅルには見せたってもええよ」
そう言って市丸が楽しそうに微笑う
「見せるって…何を…です…」
得体の知れない市丸の台詞に、イヅルはこくりと唾を飲み込み絞り出すように声を出す
この男は──本当に一護に何をしたのだ!?
「まあ、お礼も兼ねてや 今まで一護ちゃんの側居ってくれた訳やしなぁ」
裏に何かを含むようなその笑みに、思わずイヅルの背に冷たいものが走った
「何を…言ってるんです」
「…なあ…イヅル ボクと会うたのいつやったか覚えてる?」
次々と繰り出される市丸の言葉は、まるでバラバラのピースを一つずつ出鱈目に差し出されて
いるようだった
一体、話がどこへ繋がっていくのか、まったく見当がつかない
だが、どんなにイヅルが聞いたとしても市丸は自分のペースでしか話すつもりがないのだ
仕方なくイヅルは聞かれた事を口にする それが、知りたかった答えに辿り着く一番の近道なのだろう
「それは…まだ、あなたがアメリカに居た頃でしょう…?確か一番初めはまだ日本に帰る前でした…よね」
市丸とイヅルが最初に会った時──
イヅルはまだジュニアハイの低学年で、市丸は若干15才の若さで大学に通っていた
父親がその大学の関係施設にいたせいで、同じ日本人の天才少年がいるとイヅルに市丸を紹介した事が
最初だった
その後、市丸は18才で学位を収めて、そのまま大学に残るか、どこかの研究施設に入るものだと
思われていたのだが…
そんな周囲の予想を裏切って、市丸は日本の大学に入りなおしたのだ
それから6年後、結局市丸は元々声がかかっていた遺伝子関係の世界的に有名な研究施設に入る為に再び渡米してきた
丁度イヅルもハイスクールの最終学年で、進むのなら遺伝子方面にしようと考えていた時で、その関係もあって市丸がアメリカに帰ってきた時には、よく相談に乗って貰っていた
「イヅル…ボクが研究してる事興味持っとったなぁ…」
どこか懐かしむように市丸が言う
それにため息を吐きながらイヅルが答えた
「ええ…僕は、あなたの論文を見て、感銘を受けたんです
将来進むんならこういう研究がしたいなって…」
人間的にはともかく、市丸のその頭脳だけはイヅルは手放しで尊敬していた
イヅル自身、周りから秀才と持て囃されたくちだったが、市丸の出した研究成果もビジョンも、どんなにイヅルが努力したところで到底追いつかないと思わせるには十分過ぎるものだった
これが──秀才と、天才と言われる人間との差なのかと唇を噛んだ事もある
「せやったな… なあ、イヅル なんでアメリカおったのに、わざわざ日本の大学に来たん?」
「それは…!あの教授のもつ研究室が僕がやりたい研究には最適だからって…」
「それ、誰に聞いた?」
「それは……あなたじゃないですか…市丸さん…」
なにを言い出すんだというようにイヅルの顔が怪訝にゆがむ
あの時、本来ならイヅルはそのままアメリカで大学に進む予定だった
だが、進路についての不安を零したイヅルに、日本行きの道を示したのは他でもない市丸だったのだ
「せやね…」
「……どういう…事…ですか…」
市丸の様子に、イヅルの頭にまさか、という考えが過ぎる
もしかして自分はこの男に踊らされていたのか?
だとしたら、一体何の為に自分を日本にやったというのだ
「ああ、心配せんでもええよ 教授があの分野では一抜けしてるんは本当や
やからボクも共同研究してるんやろ」
イヅルの考えを読んだように、市丸が笑った
その言葉をすべて鵜呑みにはできないと思いながらも安堵する自分を感じる
「なあ…そしたら、なんであの高校入ったか覚えとる?」
「…日本の…大学を受けるんなら…日本の高校に編入した方が受験対策にいいからって」
「うん、せやね で、その高校の名前…ドコで聞いた?」
「────!」
その台詞を聞いた瞬間、イヅルの中で今までの市丸の言葉が一気に繋がった
「まさか…… まさか、あなたは…一護くんと僕を引き合わせる為に…っ」
そんな事が…その為に、自分を日本へやったと言うのか!?
確かに知らなかったとはいえ、市丸と一護を繋ぐ線の間に立っていたのはイヅルだ
だが、なぜ…という疑問が沸き起こる
イヅルの人生とまではいわないが、少なくとも環境を故意にねじ曲げてまで、どうして一護に引き合わせる
必要があったというのだ
「…さすがに、ここまでうまく行くとは思てへんかったけどな」
「でも…なぜ…」
イヅルの懸念をあっさりと認める台詞を吐く市丸に、怒るよりも先に疑問をぶつける
あまりな事に頭と感情がついていかないのかも知れない
「…もう、分かってるんやろ、イヅル
ボクと一護ちゃん、ただのカテキョと教え子なんかとちゃうて」
「……やっぱり…そうだったんですね…」
さらりと言う市丸に、イヅルはやっぱりというように力なく肩を落とす
恐らく、ここからが本題なのだろう
「まあ、一護ちゃんがバレたなさそうやったからな」
「…ただの家庭教師にしては、おかしいと思ってましたよ 一護くんの態度…あれはまるで…」
「昔の男にでも会うたみたいやったやろ」
そう言って市丸がにやりと笑う
やはり…一護のあの態度はそうだったのだ
研究室で市丸が顔を出した時に、目に見えるほど固まった一護
まだ、顔すら見ていないあの状態で、声だけで顔色が変わるほど一護はこの男を意識していた
本当は、何度問い質そうかと思ったか知れない
けれど、一護の触れて欲しくない部分に果たして触れて良いのかと考えているうちにずるずると時間だけが
経っていったのだ
「…やっぱり… でも、昔って、一護くんはまだ…」
「あの子嘘吐くん昔からヘタやったしなぁ… そうや、ボクと一護ちゃんは付き合うとった
一護ちゃんがまだ中学生の時や」
「中学生…」
「なんや、アカンの?これでもボク本気で付き合うとったんやで もちろん一護ちゃんもな」
「でも…別れた…んでしょう?だって高校で会った時には、一護くん…」
そう、高校で初めて顔を合わせた一護は、まるで恋愛など奥手に見えたのだ
そしてそれは、そう見えただけではなく、実際にその言動にも表れていた
だから、イヅルも、そして一護の周囲も、高校生の男子なら平気でするような話題も一護の前では
避けていたのだ
「せやね… あの子はそう思うてたよ」
「あの子はって…」
「ボクはそんな気なんか全然なかった、言う話や」
一護が中学生の頃だと言うことは、少なくとも5年以上前の話だ
その間、市丸はずっと一護を思い続けていたと言うことなのかとイヅルは怪訝に思う
だが、今はそんな市丸の心情など聞きたい訳ではない
市丸の目的は一護なのはもう間違いがない
この二人の間に、過去なにがあったのかは知らないが、市丸は一度は別れた一護をもう一度手に入れる為にイヅルを利用したのだ
だったら、一体何を企んで、どうしようとしたのか聞く権利は自分にもあるとイヅルは市丸に改めて問うた
「……まあ、いいです…それは… けど、もしあなたが言うように僕を日本に行くように仕向けたんだとしても
僕が一護くんと仲良くなるなんて保証どこにもないじゃないですか」
「まあ、せやね 保証なんかないよ せやけど、可能性はあるやろ?」
「可能性って…」
イヅルの言葉に、市丸もこれ以上隠す気はないのか、まるでネタばらしのように話し出した
「ボクがあの子と別れた…まあ、この際別れたでええわ
別れたんは、あの子の受験が終わった後や せやから当然高校ドコ行くかは知っておった
それが結構な進学校や言うこともな なにせ、勉強見てたんはボクやし」
「だから…あの高校を薦めたんですね 意図的に…」
「まあな、せやけど結果的には悪なかったやろ? 学力的にも…受験の対策的にも
言うとくけど、ボクそこまでいいかげんなアドバイスはせえへんよ」
「ええ…それは…」
市丸の真意はともかく、それだけは確かだ
「実際、一護ちゃんの事がなくても言うことは同じやったと思うで
まあ別に言い訳や思てくれてもかまへんけど」
「いいです…それは、もう…」
力なくイヅルが答える
そんな事は、今更もうどうでもいい
「ああ、そんでなあの時点で一護ちゃん1年…イヅルは3年に編入やろ
実際に会う機会があるかどうかはともかく…ちょっとあの頃のあの子の精神状態が心配やったのは
本当なんよ ボクと別れた直後やったし、どうせ、入学早々目ぇ付けられるんは分かりきってたしな…
あの子珍しい髪してるやろ?イヅルかて金髪やし 目立つもん同士仲良うなったらええなとは思ておった」
「そうですか…」
そして、イヅルはそれにまんまと乗せられていたのだ
「それにな…」
「イヅルと仲良うなったお陰で一護ちゃん、この大学にも入りよったしな」
「え…」
続く市丸の言葉に、下を向いてため息をついていたイヅルの顔が上がる
「ボクはな、何も高校時代だけ一緒にいて欲しかった訳やないんや
イヅルはボクの研究にたぶん将来からんでくるやろうし…
あの子もな…イヅルが居ればこっちに来やすいやろ?」
「どういう事…ですか…?」
再び語られる言葉に、イヅルは信じられないものを見るような目で市丸を凝視する
「一護ちゃんな、ボクがあのラボおったん知らんかったて自分では思てるやろうけどそんなん嘘やで
本当は知ってる 忘れたふり自分でしてるだけや あそこにボクが行くいかんで相当揉めたしな…
将来的に遺伝子方面に進んだら、絶対にボクと顔あわす言う事もたぶんわかってたよ」
「…ちょっと、待ってください!…もしかして…、いや、でも、あなたがうちの大学に来る事は
今年決まった事じゃないんですか!?」
もしかして、この男は───
今回こうやって日本に来ることまで、最初から計算に入れていたというのか!?
別れた恋人を取り戻す為に、ただ、何らかの繋がりを保つためにイヅルを間に置いたのではなく、
最初から今のこの状態を計算して動いていたというのか
5年も先の未来を初めから───
「…さすが、ええカンしとるな、イヅル」
「まさか…」
呆然とするイヅルに、にぃっと、市丸が笑みを深くする
「そうや ボクは教授との共同研究はずぅっと前から誘われとったんや
それこそ、ボクがこっちの大学居るときからな」
それは…イヅルの考えをすべて肯定するもの
本当に…本当にこの男の計算通りに物事が動いていたのか
もし本当に、偶然などではなく、初めから彼が描いた青写真の通りに物事が運んでいたとしたら……
──天才だと、改めてそう思う
一護も、自分も、教授も……すべて彼の手のひらで踊らされていただけ
今までも、確かに市丸は底が知れないと思っていた
表に見せる人当たりの良さとは裏腹に、彼の性質が怖いものを含んでいると思っていた
だけど……
初めて──本当に初めて、イヅルは市丸という人間を、心底怖いと思った
「そんな…」
「あの頃はまだ学生やったけど、大学は違うても教授とは知り合いやった
ボクが向こうの大学で遺伝学の学位取ってるの知ってるやろ?
こっちでは…面白そうやから数学専攻しとったけど、どうせやるんなら教授のやってる研究の方が
面白そうやったからな やから、ボクがラボ行って、ある程度成果だしたら一緒に研究やろかって話は
前からあったんや」
「じゃあ…一護くんがうちの大学に入ったっていうのは…」
「そんなん、学生名簿なんてどうとでも手に入るやろ
イヅルと仲良うなって、少しでもこっち方面に興味持ったら、後はイヅルが誘うやろ?」
そこまで聞いてから、もう沢山だとイヅルは思う
自分の事はいい
元々興味のある分野に進み、確かに市丸の言うように良い環境にもいると思う
あの時、市丸の言葉に日本へ行くことを決めたのも自分の意志だ
ただ、市丸は示唆しただけで、決してそれは強制でも無理強いでもなかった
決めたのは、すべてイヅル一人の意志に寄るものだ
だが…一護は
一護は…知らず知らずのうちに、市丸に、そして自分に誘導されたのだ
もちろん、そこに一護の意志が無かったとは言わない
まったく別の道を進む可能性だって、もちろんあっただろう
今、市丸がこの話さえしなければ、恐らく誰もそれが市丸が既に描いていた未来だと言うことにすら
気づかなかったに違いない
けれど…それでも
この男は罠に填めたのだ
用意周到に罠を張り、一護をここまで連れてきたのだ
ただ、自分の為だけに
「あなたは… あなたって人は!一護くんを何だと思ってるんですかっ!」
その市丸の行為に、イヅルが激昂する
それをものともせずに、市丸は涼しい顔でさらりと言い放った
「…何って、なんや あの子はボクのもんや 今も昔もな」
「どうしてそんな… もし、一護くんを取り戻す為だとしても、どうしてここまでする必要があるんです!?
何も僕を使って同じ道を歩ませなくたって…他に方法はいくらでもあるでしょう!?」
そうだ 本当に取り戻したいのなら、ただ会いに来ればいいだけではないか
何も無理矢理同じ道に来させることはないだろうに
「…何言うてんねやイヅル ボクな、こう見えても一護ちゃんには結構甘いんやで?
あの子にちゃぁんと日常生活さしてやりたい思うやん ボクの助手として使い物になるくらいになれば
ボクの側で普通に生活さしてやれるやろ やけど…他の事やってたらそうはいかん
他のしがらみ全部断ち切らせて檻にでも閉じ込めとかなあかんくなるやん そんなん可哀想やろ」
薄笑いを浮かべながら言う市丸の台詞にぞっとする
完全に、常識を逸している
独占欲などという言葉などでは足りない──狂気と言える程の執着
「あなたは…」
市丸の台詞に青ざめたイヅルをそのままに、市丸はふと腕時計に目を落として、のんびりと口に出す
「ああ…イヅル、悪いけどそろそろ帰らんと 一護ちゃん目ぇ覚めるし」
「目が覚める…?どういう事です!?何をしたんですか!あなたは!!」
市丸の言葉に、まさか薬で身体の自由を奪っているのかとイヅルが噛み付く
それに軽く肩を竦めると、市丸は呆れたように言い捨てた
「そう興奮しなや ちょっと体力の限界や思うたから、一服盛っただけやで
軽い睡眠薬やから心配いらん あのままの方が倒れるわ」
「一体…今、どういう状態なんです!一護くんは…っ」
「せやから、見せたるいうたやろ …あの子の本性をな」
「本性?」
そう言えばさっき市丸は、なにかを見せると言っていた
でも…それが、一護の……本性?
「……あの子はな…ずぅっと我慢してたんや 今までずうっとな…
まあ、心配いらへんよ たぶん一週間もすれば正気に戻るやろ」
「正気…?どういう事ですか、正気って…っ!ちゃんとわかるように話して下さい!」
「ふう…じゃあ、もう少しだけな あの子は、一護ちゃんは、中学んときボクと付き合うて卒業間際に
別れたんや せやけど、それは、ボクん事が嫌いになって別れたん違う
自分がこれ以上普通から踏み出しとうなかったんや…
これ以上ボクとおったら、もう戻られへんって思うたんよ… まあ、それもしゃあない
まだまだ子供やったしな… 気づいたとたん恐なったんやろ…」
市丸の言葉は、何かを話しているようで、まったく核心に触れてこない
どうして一々こういう話し方をするのかと、イヅルが堪りかねて声を上げた
「だから!いいかげんに焦点ずらして話すのはやめて下さい!」
それをじっと見ていた市丸が、今までとは打って変わって沈黙を落とす
頬杖をつき、反対の手でグラスに残った琥珀色の液体をゆらゆらと揺らす
何かを考えているのか、ぼんやりとそれを見つめる市丸の瞳が珍しく開かれていた
「…なあ、イヅル…」
長い沈黙のあと、市丸がようやく口を開いた
「なんです」
「お前、被虐趣味ってわかる?」
「…は?」
思いもかけない言葉に、イヅルの思考が停止する
「やから…」
そして、その言葉がわからなかったのかと言うように、口を開いた市丸にイヅルは慌てて手を振った
「いえ!繰り返さなくってもいいです!…そりゃ…その…アダルトビデオとかでよくある…」
一体何を言わせるんだと思いながら口に出すが、さすがに言いよどむ
そのイヅルを揶揄うように、市丸が軽口を叩いた
「ビデオって…古っ!今はDVDやろ」
「だから、そんな事はどうでもいいでしょう!それが何なんですか……て、まさか…」
なぜ今そんな話なんだと思った所で、イヅルはそれが指すものに思い当たる
「うん…まあ」
「え…」
まさかという顔をしたイヅルに、市丸がぼんやりとした口調で返す
「って、そういうプレイしとる訳やないんやけど」
「……だからっ!なんなんですか!」
吃驚させないで欲しいとイヅルは思う
あの何も知らないような純粋な彼と、市丸が口に出した言葉がどうしてもそぐわない
だが、次に市丸が放った台詞に、イヅルはそのまま固まった
「あの子…真性やで」
「は?」
「…ええから、ついておいで、イヅル」
そう言って、市丸は席を立つ
「市丸さんっ!」
「見せたるわ 一護ちゃんがどういう性質なんか…」
そして、イヅルを肩越しに振り返って、すうっと口角をつり上げる
「性質…?」
何のことかわからないと言うように眉を寄せるイヅルの耳に、市丸の言葉がするりと落とされた
「あの子はな、真性のマゾヒストや」
「入り、イヅル」
玄関のドアを開けて靴を脱ぎながら、市丸は後に続くイヅルにそう声をかけて、すたすたと奥へ進む
それに続くように靴を脱ぐイヅルに、部屋の奥からダーンッと何かが倒れるような大きな音が鳴り響いた
「──一護ちゃん!?」
その音に、市丸が慌てて音がした方へ駆け出すと、イヅルもそれに続いて部屋へと飛び込んだ
廊下の先にあるリビング
その左側のドアが開け放たれ、その奥から市丸の声が聞こえてくる
「ああ…大丈夫、大丈夫 …ごめんなぁ、遅うなってもうて」
今まで聞いたこともないような甘ったるい声で慰めるように市丸が言う
「………ン…… ギン……っ」
「大丈夫や ほら、もうボク居るやろ?」
その声に、イヅルはそのドアへと歩を進めて、そこに…床に膝をついた市丸と、それに縋り付く一護の姿を
見つけ、イヅルは呆然と立ちつくした
恐らくさっきの音は、一護がベッドから落ちた音なのだろう
市丸のシャツの胸元を握りしめて、ベッドの側の床に座り込みボタボタと大粒の涙を零しながら市丸の名前を呼び続ける一護の姿は、ただシャツをはおっただけで下にはなにも身につけていないと思わせる
横向きに座り込んだ一護のシャツの裾から覗く白い太腿がやけに艶めかしい
まくり上げた袖から伸びる腕は見慣れているはずなのに、やたらと細く感じられる
「──ギン…いや…っ も…置いてかない…で…っ」
この場にイヅルが居ることさえ気がつかない様子で、一心に市丸だけを見つめて涙を流す一護と、
まるで子供をあやすように一護を慰める市丸の姿
常識を逸したその光景はあまりにも生々しく──そして、壮絶なほどの淫猥さを放っていた
初めて目の当たりにする一護の欲望を露わにした色香
決してまともとはいえないこの光景がイヅルの背徳的な官能を誘う
「どういう事です…こんな…」
思わず欲に流されそうになる感情を振り切るように頭を振ってイヅルが言葉を落とす
こんなのは、普通じゃない 明らかに一護は今正気を逸している
この光景に魅せられている場合などではない 自分は一護を心配してここまで来たはずだ
一体なぜ一護はこんな状況になっているのか、まずそれを考えろとイヅルは自分を叱咤する
「…やから言うたやん 一護ちゃん今タガ外れてんねやって」
動揺で肩を震わせるイヅルに、顔色一つ変えずに市丸が言う
「何を…!こんなの…こんな状態を放っておくつもりなんですか!?こんな明らかに…」
「正気やない…か」
イヅルの台詞を引き取るように市丸が肩を竦める
「まあ、せやね でもええやん あんだけなんもかんも我慢しとったら解放した瞬間正気くらい飛ぶやろ
もう少ししたら落ち着くからその間だけでも気ィ狂わしといてやり」
「あなたは…何を言って…」
市丸の言葉の意味がわからない その言葉がするりと耳から入り込み脳に達するまでひどく時間がかかる
それを理解しようとする自分の行為がひどく馬鹿馬鹿しいものに感じられる
まるで、どこか別の国の言葉を無理矢理頭の中で変換しているような、そんな気分
その間にも一護は市丸の胸に顔を埋め、まるで強請るように市丸の首に手を滑らせる
現実感がどんどんと薄れていくような淫靡な光景
こんな───一護をこんな状態にしておいて──狂わせてやれだと?
この男は正気なのか!?
一種の恐れと、嫌悪 そしてこの光景に目を奪われているという認めたくはない自分の感情
それらがない交ぜになってイヅルの言葉を奪う
そのイヅルの様子に市丸はくつりと笑みを落とすと、腕の中の一護を軽々と抱き上げた
「ここやと、話もできんやろ 一護ちゃんも…構ったるから…少し落ち着こか …こっちおいで、イヅル」
そう言って市丸は呆然と立ちつくすイヅルの脇を抜けてリビングへと向かい、一人がけの革張りの椅子に
まず一護を降ろして優しく髪を撫でた
「ほら、イヅル」
市丸から促されてようやくイヅルの足が動いた まるでふらふらと夢遊病者のように二人に近づく
「一護くん……」
椅子に腰掛けた一護の瞳は相変わらず市丸しか映してはいない
離れるのを怖がるようにずっと市丸の腕をつかんだまま、彼の瞳だけを追い続ける
その一護を心底愛しそうな瞳で市丸が見つめ、あやすようにゆっくりと髪を梳く
言葉が出ない
こんなのはおかしいと頭では分かっている
今目にしているのは異常な光景なのだと理性が告げる
他者をまったく排除した完全な二人だけの世界
すぐ側にイヅルがいる事すらまったく気がつかない一護の様子が尚更事の異常さを物語っていた
「…なあ…イヅル…この子ボクと別れたと思てた言うたやろ」
肘掛けの部分に腰を降ろして一護の頭をそっと抱き込みながら市丸が言葉を発した
「…ええ」
「……一護ちゃん…ボクがおらんようなってから…誰とも付き合うてへんのやろ?」
「ええ…たぶん」
市丸の問いにイヅルは出会ってからの一護を思い出しながら慎重に答える
本人の居る前でする会話では無いことは十分に分かっていた
だが、一護はといえば髪に首筋に触れる市丸の手の感触に安心したのかうっとりと目を閉じている
恐らく──この会話すら耳には入ってないのだろう
出会ってから今まで
学年は違えどもイヅルは一護と一緒に行動する機会が多かった
見た目のせいで一見不良に見られがちな一護だが、本来は真面目でそして何よりも、不器用だけれど誰よりも人に優しかった
だが、年頃の男の子に似合わず、一護は明らかに性的な話題を避けていた
何人かから交際を申し込まれた事があるという話は本人から聞いてはいたが、それすらも嬉しそうと言うよりも幾分困ったような態度を取っていた
高校時代も、そして大学に入ってからも男だけで集まるとどうしてもそういう話題は避けられない
イヅル自身もあまりそういう話題が好きな訳ではないので、積極的に参加はしないが、話題を振られれば
それなりに受け答えくらいはできる だが、一護は本当に苦手だと言うように話題を振られる度に固まっていたそれを…周りは単に奥手だからと一護が純情過ぎるからなのだとしばしば揶揄っていた事を思い出す
だが、それは…すべて一護の演技だったというのか
今のこの状態が本来の一護の姿だとでもいうのか
「そんな顔しなや、イヅル 一護ちゃん別に周り騙くらかそ思てたんやないんやから」
自分の思いに沈み込むイヅルに市丸が静かに言う
「そんな…そんな風には思ってないです でも…ボクの知る一護くんは…」
「セックスなんかなんも知らんように見えた、言うんやろ」
「…ええ…」
市丸の言葉についため息が漏れる
騙されたとも裏切られたとも思わないけれど…、だったら今まで自分の知る一護は一体なんだったのだろう
純粋で、恋愛事には若干鈍い一護──それが今までの一護に対する自分の認識だったのに
「やから…言うたやろ 我慢してたんやって… こうやって正気が飛ぶくらいな
そうせんと生きていかれへんかったんやからしゃあないやろ?
ボクと別れてまともで居ろうとしたら、そうでもせんと無理やって一護ちゃんかてわかってたんよ
あんな、イヅル たぶん…この子…まともに自慰もしてへんよ」
「え?」
その言葉に思わず市丸を凝視する
「いくら終わった言うてても…一護の中ではなーんも終わってへんのや
ボクとおるのが辛うて離れた癖に、心も身体もボクに縛られたまんまや
5年やで、イヅル 思春期真っ盛りの男ん子が…ボクがおらんとまともに自慰すらでけへんねや」
「…そんな…」
「この子がな、高校ん時…今もやな、セックスの話題避けとったのは何でやと思う?
この子のセックスはな、すべてボクに繋がってるんよ やから、必死に封印してたんやろ自分で
思い出すととまらへんようになる たぶん身体は限界やったやろ…
それはそうや… あんだけ毎日毎日ボクに抱かれとった身体や
思い出すだけでそれこそ気ィ狂いそうになるやろなぁ…」
くすくすと笑いながら言う市丸に思わず怒りがこみ上げる
この男は……それを知った上で、十分承知した上で別れたのだ
そこまで人の精神を追い込んだという自覚があるのなら、何があろうとも手を離すべきではないのに
「…だったら…!だったら、なぜ別れたりなんかしたんですっ!?
いくら一護くんが望んだのだとしても…そうなる事くらいあなたは分かっていたんでしょう!?」
別れるにはそれぞれ理由があると言う事くらいイヅルにも分かっている
そこに他人が口を出すべきでは無いと言う事も
けれど、今こうやって一護とよりを戻すくらいなら、どうしてもっと早くに来なかったのだ
こんな風に壊れるほど一護も市丸の事を思っていたというのなら、もっと早くよりだって戻った筈だ
こんな風に壊れた一護を見せつけられるくらいなら、どうしてその手を離したりしたのだ
あれだけの画策を巡らせてまで取り戻す気があったのならもっと早くに手を打つ事だってできた筈ではないか
「やって、一度離れな分かれへんやろ?自分が誰のもんか」
イヅルの激昂をものともせずにそう言って嗤う市丸の台詞に、イヅルは背筋にゾクリとするものを感じる
そうだ 分からない訳はない
自分が手を離す事によって、一護がどんな状態になるかなんて、市丸には手に取るように分かっていたはずだ
それを──敢えて5年という歳月を置いたのは、今この瞬間の為なのだ
一護をただ手に入れる為なのではなく、ここまで堕とす為だったのだ
人ひとりの精神をここまで蝕む行為───それが、この男の愛情だとでも言うのだろうか
「それにな、これは全部一護が望んだことなんや
どんなにボクから離れてても…ボクを待ってるええ子でおりたいんよ
離れとる間、ほんま辛かった思うわ 辛くて苦しゅうて、傷ついて…
そして毎日思い出すんよボクの事を… 表面では忘れたい言うてな
忘れたいけど忘れられん そうやって自分で自分の傷作って自分で傷広げよんねん
ありえへんやろ普通の精神なら …やからな真性なんよ、この子は」
「──何を言ってるんですかっ!!! 一護くんを…こんな状態にまでしておいて…よくもそんな事が…っ!
人の思いをなんだと思ってるんですかっあなたはっ!!!」
今目の前で繰り広げられる異常な光景 突きつけられる市丸の異常とも言える愛情
こんな事が……許されるはずはない
これが…この結果が、一護が望んでいた事だなんて…思いたくない
市丸に縋り付き甘えるように胸に顔を擦りつける一護
イヅルとの話の合間にも、自分から市丸の視線が逸れるたびに不安そうに市丸の名前を呼ぶ一護
その縋る手が、漏れる吐息が市丸の情欲を誘うように甘くなっていくのが分かる
今この瞬間にすら、触れて欲しそうに一護の手が伸ばされてゆく
目を逸らしたかった
こんなのは一護ではないと、目を逸らしてこの場から逃げ出したかった
けれど、その一方で、この光景から目が離せない自分がいる
こんなのは異常だと思いながら、恐ろしいほどの劣情が背筋を這い昇るのを感じる
そんなイヅルの内を見透かしたように市丸が笑みを深くする
「綺麗やろ…一護ちゃん 今まで見たどんな表情よりも…綺麗やと思わへん?」
「なにを…」
誘うような市丸の言葉にこくりと喉が鳴る
怒っていたはずだった
許せないと思っていたはずだった
こんな関係なんて、認められない
今すぐこんな所から一護を連れ出して、正常な世界へと返すべきなのだと…そう、思っているのに
それとは裏腹に、一護の醸し出す色香に目を奪われる自分が居る
「分かっとるよ、イヅルの言いたい事は こんなん普通やない言うんやろ?
せやけどな、世の中には綺麗事だけでは済まんもんもあるんや ボクの愛し方が普通やない様に
この子の愛情もそうなんや たった一人に狂うほど愛されて、狂うほど愛して… ボクも、一護ちゃんも
欲深いんよ 普通の温い愛情なんかじゃ足りひんくらいに…」
そう言って市丸が一護に口付けを落とす
それを、待ち望んでいたかのように一護は貪欲に舌を絡めて貪る
市丸の首に手を回し、その銀色の髪に指を絡めて口の端から唾液が滴るのも構わずに…
そして…イヅルの存在すら気づかずに、ただ市丸だけを求める
しだいに開かれてゆく両足の間から立ちあがった性器がイヅルの目に晒される
直視するにはあまりにも淫らな光景だった
そしてそれは、本来他人が見るべきものではない
思わず目を逸らしたイヅルに漸く長い口付けを解いた市丸がくつりと嗤う
「ええよ…イヅル 見せたる言うたやろ?ホンマの一護知りたいんなら目ぇ逸らさんとよう見とき」
「なぜ…」
「やからお礼やて言うたやろ 5年の間一護に手ぇ出さんとええ先輩でおってくれたご褒美や思たらええやん
それに…これからも一護ちゃんのええ先輩でおってもらわなあかんしなぁ…
一護ちゃんかて一人くらい周りに全部知っとる人間がおってくれた方が心強いやろ?」
市丸の言葉の含みに気づきイヅルは目を見開く
そう、イヅルは一護にとっては良き先輩であり親友だった
けれど、そう思っていたのは一護だけ 本当は──イヅルの本当の気持ちは──
「ボクが気ィ付いてないとでも思うたんか?イヅル お前が一護ちゃんに惚れとるくらい知ってるわ
気づいてへんの一護ちゃんくらいやろ」
「市丸さん…」
「やからな、最初で最後や 今日だけ…一護の可愛い姿見せたるわ」
これが、この男の牽制だというのだろうか
全てを見せる事で、一護の性を暴き立てる事によって…そしてそこにイヅルを引き摺り込む事によって
今度は理解者の立場としてイヅルを一護の側に立たせる気なのか
冗談じゃないと、踵を返す事が今ならできる
今この瞬間を振り切ってしまえば…それで済む
けれど、もしそうしてしまったなら…
この男は今後二度とイヅルが一護に近づくことすら許さない気がした
そして、その選択を躊躇なく一護に突きつけるだろうという事も…
そうなった時一護が選ぶのは間違いなく市丸だ
そして、一護の性格上イヅルを切り捨てる事で傷つくのは一護自身なのだ
市丸はそれを分かった上で、一護を人質にイヅルに選択を迫る
「ほら…どうするイヅル はよ構ってやらんと一護ちゃん焦れてもうておかしなるで?」
「……………」
動く事すらできなかった
市丸に誘われるままにこの部屋へと足を踏み入れた瞬間から、イヅルの取るべき道が決められてしまったかのように──
市丸から突きつけられる形ばかりの選択に、イヅルは成す術もなく力なく立ちすくむ
誘うように伸ばされる一護の手
焦れたように揺れる腰
何度も何度も唇を舐める舌先の動き 情欲に潤んだ瞳と薄っすらと紅を掃いた様に上気した目元
一体どれくらい夢に見た事だろう
こんな風に乱れた一護の姿を───
「ああ…もう…しゃあないなぁ… まあ、これはこれで一護ちゃんも楽しめるやろ
ええかイヅルよう見とき」
そう言って市丸が、がばりと足を開かせて一護の両足を肘掛けに乗せる
下着すら着けていない一護の奥が露わになり、その刺激に一護の口から甘い喘ぎが漏れた
「まあそこでゆっくり見ておったらええわ あっさり抱くよりもこの子の真髄がよう分かるで?」
くつくつと嗤いを零しながら市丸が一護の正面に回る
一体何をする気だと思いながらイヅルは次第に引き込まれてゆく自分を感じていた
「ほら、一護 もうちょっと我慢しぃ?」
市丸が一護の耳朶に低く囁くと、一護はふるりと身を捩って縋るように市丸を見つめる
「……ギン……」
一護の口から発せられる子供のように頼りなげな声にイヅル背筋がぞくりと粟立った
そのまま市丸は一護から離れた位置でじっと一護を見つめる
足を開かされたまま期待に震える一護に手も触れずに口角をつり上げたまま見つめるだけの市丸の姿を
イヅルは焦りと共に振り返った
「や…ギ… ギンぅ…」
だんだんと一護が焦れていくのがわかる
恐らく…そう、市丸が帰ってきた時からずっと一護は焦らされ続けているのだ
イヅルとの会話の最中ですら、明らかに一護は市丸を欲しがっていた
そして、漸くそれが叶えられると期待したのだろう
その反動なのか、一護は必死で市丸の名前を呼び、触れて欲しいと懇願を繰り返す
だが、市丸はその姿を見つめたまま微動だにしなかった
一護が焦れておかしくなると言いながら
「市丸さんっ!一護くんが…」
どうしていいか分からずにイヅルが市丸を急かす
いっその事自分がとも思うが、一護が今求めているのは市丸だと言うことがイヅルの行動を止める
「まあ、見とき」
にぃっと嗤ったまま市丸は動こうともしない
市丸と一護を交互に見ながらイヅルばかりがオロオロとしているのを市丸が面白そうに見る
「市丸さんっ!」
「いやぁあああっ! も…ギ…ンっ!あ、あっ…っ!」
見られているだけで昂ぶるのか 触れて欲しいと一護が悲鳴の様な嬌声を上げる
その姿に流石にイヅルが声を荒げた
これ以上一護をこのままにしておいたら本当に狂ってしまうのではないかという恐怖すら感じていた
「市丸さんっ!もう、無理です!これ以上は一護くんが…」
そのイヅルの焦りをよそに市丸がのんびりと返した
「何言うてんねや あの子はな、別に縛られとる訳でも
ボクから触るな言われてる訳でもあらへんのやで?」
「…だったら…」
確かにそうだ
言われて漸くイヅルはその事に気づく
そう、涙を流しながら…狂ったように髪を振り乱しながらも、一護の手はまるで縫いつけられたかのように
肘掛け置かれたまま、レザーにがりがりと爪を立てていた
それを見ながら市丸がゆっくりとイヅルに視線を合わせる
「やから言うたやろ… あの子は真性なんやて」
「真性って…」
「あの子は…一護は真性のMやで」
「何言って…っ そんなのっ…」
「あんなあ…イヅル… 別にボクは一護ちゃん縛ったり叩いたり道具使うたりそんな事は一切してへんよ
どっかその辺のAVみたいな事するとでも思うてるん?」
「それは…」
市丸のその言葉にイヅルは言葉を失う
「…見てみい 一護ちゃんなあ…もうほんま限界やで
イヅルも男やったら分かるやろ イきそうで限界なんがどんなに辛いんか」
一護の様子を目の当たりにしながらことさらのんびりと返す市丸にイヅルの焦りが募る
さすがに限界ギリギリまで我慢するという事はしたことはないが、そんな事は同じ男として──そして今の
一護を見ただけでもよく分かる
「それは……」
「あの子やろう思たら自分でもできるんやで?
まあ…もう前だけやとほんまには満足でけへんのやけどな それでもイクことはできる」
「じゃあ…じゃあ、なぜ…っ」
こんな状態で我慢させるなど狂気の沙汰としか言いようがない
今こうしている間にも思わず手が伸びそうになるイヅルを市丸が視線で止める
「やから、言うたやん 真性なんやって
ああやってな、辛うなればなる程…苦しゅうなればなる程…もうたまらんようになるんや
それがあの子にはようわかっとるだけの話や」
「でも、それはあなたが!」
その言葉に市丸がにぃっと嗤う
「…そうやな… ボクが教えたよ ぜーんぶなぁ
やけどそれは…元々あの子がそういう性質やったからや」
そう言って漸く市丸が一護へと足を向けると、一護は涙でぐしゃぐしゃになった顔を甘えるように市丸の胸に
すり寄せた
「別に道具なんかなんも使わんかて…この子はな、頭ン中だけでイケるんや
巷にあるような、あんな身体だけで感じるようなんは、ただのごっこ プレイにしか過ぎん
まあ…ああいうのでも一護は淫乱やから、すぐ覚えるやろうけどな…
せやけどボクは道具の味なんか覚えさす気ィなんかない
ボク以外でイクようなってもうたらそれこそ際限なくなるやろ」
一護の髪に口付けを落としながらビクビクと震える身体をそのままにすり寄せられた頭をそうっと抱きしめる
「あなたは……」
「それにな、たぶん一護ちゃん縛られてへん今の方が快楽は強いで なんでやと思う?」
市丸に触れられた事で少し安心したのか、一護が頬を撫でる市丸の手の平に舌を這わす
それを見ながらイヅルは市丸の問いかけに吐き捨てるように言う
「…わかりませんよ、そんなの」
「もう少し頭使いぃな 縛られとるとな、それだけで言い訳できるやろ」
投げやりなイヅルの返事に市丸は軽く肩を竦めて言う
その市丸の言葉にどういう事だと言うようにイヅルが返した
「言い訳?」
「自分でできんのは拘束されてるから…そういう言い訳が立つやろ」
「!」
「せやけど…今の状態見てみ こんな自由な状態で、いつでも自分でできるんにそれすらせえへんのやで
でけへん思てるんや、この子の中で どんなに苦しゅうても…気ィ狂いそうになっても
…ボクから許してもらうまでは」
市丸が許すまで
それが今、一護を縛る枷なのか
目に見えて拘束されている訳ではない
けれど…一護にとってはもう自分の身体すらこの男の許しがなくては触れることができないと言うのか
こんな極限状態に置かれてすらも、市丸に縛られ続けているのか
「ああ…そろそろアカンな…」
漸く市丸の口から一護の限界が知らされる
元々正気の欠片もなかった一護だったが、とうに限界を超えていたのだろう
市丸の言葉に反応してか、上がる嬌声は悲鳴に近かった
「ああああっ やぁっ…ああ …も……っ」
すでに先端からは白い蜜が溢れ出て、一護の陰茎を伝って椅子の上に溜まりを作っている
けれど、生理的に零れ出る射精では満足できるはずもなく、一護は最後の許しを請うように市丸の名前を
呼んだ
「──ギぃ……ン…ぅ……っっ お…願…っ」
その様子に市丸は満足げに口角をつり上げると、漸く許しの言葉を吐き一護のペニスに指を触れた
「ええよ、イき」
「…っ あ、あ、っ や、あああああああ───っ!」
悲鳴のような、長い嬌声を上げて一護が達する
全身を汗に塗れて荒い息を吐く一護の身体から、がくりと力が抜ける
失神し、背もたれにもたれ掛かる一護の額に、市丸は口付けを落とす
言葉が、出なかった
まるで呆けてしまったように、気を失った一護とそれを労るように口付けを落とす市丸を眺める
自分自身が痛いくらいに張り詰めているのをイヅルは感じる
今まで自分の中に嗜虐心があるだなんて考えた事もなかった
けれど、今まさに目の前で繰り広げられた一護の淫猥な姿にイヅルは嗜虐的な欲情を感じずにはいられな
かった
「もう分かったやろ…?一護はな…男の嗜虐心煽るんよ それも無意識にな
泣かせて、溺れさせて、自分しか見えへんようにさしたろ思わすんよ」
ゆっくりと一護の汗ばんだ髪を撫で付けながら市丸が零す
「ぎりぎりまで貶められて…限界まで苛まれて…苦しい言いながらそれを悦ぶ
普通では理解でけへん思うけど…実際見てどうや?イヅルかて同し様にしたい思たやろ?」
市丸の台詞がまるで呪文のようにイヅルの心に入り込む
反論など…できるはずもない
未だ張り詰めたままの欲望が苦しいほどに一護を求めているのだ
「一護が逃げたんはボクからやない …こんな自分から逃げたんや こんな自分が怖くて忘れとうて…
それを全部ボクのせいにしてしまいたかったんよ でもな、イヅル そんなん無理やて見て分かったやろ
やから待ったんや…一護の気持ちが追いつくまで 最初に言うたやろ、ボクこれでも一護には甘いんやて」
そう言って市丸は再び一護の額に頬に首筋にと口付けを落とす
市丸の言うことがどこまでが本当なのか、もうイヅルには分からなかった
果たして本当にこれが一護が望んだ事なのか
市丸が望んだからこうなったのか
熱に浮かされたように頭の芯がくらくらと揺れる
現実にいながら、まるで夢の世界に居るような感覚にイヅルは陥る
その揺れる視界の端で一護が僅かに身じろぎ、ぼんやりとその瞳を開く
「……ギン……」
掠れた声で紡がれる言葉はやはり市丸の名前
長い間一護を苦しめ続けた男の名
その名に、一護は縋る
「辛かったな…一護 ずっとボクがおらんで辛かったやろ…?」
市丸の声がどこまでも甘ったるく響く
その声に一護が反応する
「あ…あ…っ ……ギ…ン……っ」
「もう大丈夫や…ずっと居るからな…ずぅっと一護と一緒におったる」
ことさらゆっくりと紡がれる睦言
狂気ともとれる愛情に一護はしがみつく
「も…やだ…ギ…ンっ はなれ…ない、で…っ」
「離さへんよ… やから…ボクに狂うて… ボクだけ見て」
「ん……」
ぎゅうっと市丸に抱きついたまま一護が安堵したように息を落とす
どんなに苦しめられても、どんなに貶められても…この男しかいらないというように
そして再び一護の瞳が情欲に潤み始める
その姿を遣り切れない思いでイヅルは見つめる
「…おいで、イヅル お前ももう限界やろ? 一護ちゃんに咥えさしたって」
一護を抱きつかせたまま、市丸がイヅルに視線を向けてゆっくりと手招く
「え…」
「ほんまはな、他の男の味なんか覚えさしたないんやけど
今日は特別や 一護も、もう限界やし…イヅルもそこで見てるだけいうのんは辛いやろ?」
「でも…」
残る理性が僅かに躊躇する
それを見越したように市丸が尚も誘いを向けた
「下の口に咥えさしたる訳にはいかへんけどな 上は今日だけは譲ったるわ
ええの?イヅル ずっと一護ちゃん抱きたかったやろ?」
「…………」
だめだと、頭の隅では分かっていた
それでも、イヅルの身体はそれを裏切るようにふらりと一護へと近づいてゆく
その僅かな距離が、とてつもなく長く感じられる
「ほら、一護… イヅルの咥えたり…? 一護のここでイヅルのしゃぶったり?」
するりと一護の喉に手を這わせて市丸が一護に言う
その言葉で初めて一護はイヅルへと視線を合わせた
「あ…… イ…ヅル…さん…?」
「一護…くん…」
市丸の言葉でようやく他者が認識できる状態にイヅルは悲しさを覚える
だが、イヅルを見つめる一護の瞳に本当に狂ってしまった訳ではないのだと言うこともまた分かってしまう
いっその事──本当に狂っていたのなら
まだこの男を恨むだけで済んだのかも知れない
市丸が望み…一護も同じように望んだのだという事を、知らずに済んだかも知れないのだ
「…ギン…?」
隣に立つイヅルを見つめ、一護が伺うように市丸を見る
「せや… 今日だけやで… 上も下も…両方いっぺんに犯したる」
「あ…」
市丸の言葉に、一護の喉がこくりと鳴り、頬が上気する
震える手でイヅルのジッパーを下げる一護の様子は、明らかに欲情していた
「…いち…ごく…ん…っ」
屹立するイヅルの雄に手を這わせて一護はイヅルと視線を絡めて薄っすらと微笑う
その壮絶とも言える淫蕩な笑みにイヅルのものがどくんと脈打つ
それにそっと舌を這わせて、一護は躊躇いもなく口に含んだ
「んんんんっ」
その姿を見てから市丸も再び立ちあがった一護のものに口淫を施す
静かな部屋に、吐息と淫蕩な水音だけが響く
「…くっ…」
喉奥まで飲み込むディープスロートに思わずイヅルの口から声が漏れる
咽頭に鬼頭を出し入れし、裏筋に舌を這わせたままゆっくりと口から抜き出し、今度は舌と唇で竿を愛撫する
舌先を尖らせて鬼頭の割れ目に差し入れ、先端を吸い上げる
今まで受けたどんな愛撫よりも、一護の口淫は巧みだった
「上手いやろ…一護」
一護のものを愛撫しながら市丸がそう言って嗤う
「…ええ…」
そろそろ限界が近いとイヅルが一護の髪に手を掛けて、一瞬躊躇する
「ええで 乱暴に衝き入れたって …その方が一護悦ぶで」
くすくすと笑いながら言う市丸にイヅルは一瞬目を閉じて、何かを振り切るように一護の口に屹立したものを
深く衝き入れた
一護の頭を押さえつけるように乱暴に喉奥を衝く
そして、イヅルは滾る欲望を一護の中に叩き付けた
「…ん…ふ…」
こくこくと喉を鳴らしながら一護がイヅルの精液を呑み込む
さすがに苦しかったのだろう 目尻にうっすらと涙を浮かばせて、それでも一護は何度かに分かれて出された
ものを全て呑み干し、精液に塗れたイヅルのペニスを舌で丁寧に拭ってゆく
飽きることなくイヅルのものに舌を這わす一護に、再びイヅルの情欲が灯る
「あああ…っ」
と、市丸の愛撫に感じたのか一護の背が逸らされた
「なんや、もうイキそうなんか?」
「…っん……ふぅ……っん」
片手で一護のペニスの根本を押さえたままもう一方の指を一護のアナルに埋め込み、ぐじゅぐじゅと掻き回しながら市丸がくつりと嗤う
「しゃあないなぁ… 一護、自分でここ押さえとき ボクが中で出してからイくんや …ええな」
容赦ない市丸の言葉に一護は涙目になりながらもコクコクと頷く
「ほら、上の口がお留守やで?イヅルが寂しがっとるやろ?」
そう言って市丸はおもむろに指を引き抜くと、閉じかけた入り口にペニスをあてがい、一気に貫いた
「ああああああっ」
ようやく待ち望んだものが与えられた刺激に一護が歓喜の声を上げる
その口に、イヅルは今度は迷うことなく自身のものを衝き入れた
上と下 両方の口を犯されながら一護は快楽に狂う
しっとりと汗ばむ素肌に淫らにはだけられたシャツが纏わり付く
苦しそうに眉を寄せる表情に歓喜の色が宿っているのは、錯覚だろうか
愛する男に犯されながら、親友のものを舐めしゃぶる
綺麗な、綺麗な一護
めちゃくちゃに犯して、どろどろに汚したいという欲望がイヅルの中に沸き起こる
この状況に酔っているのか
それとも、一護に引き摺られているのか
市丸に煽られたせいなのか
今まで知ることもなかった自分の中の加虐心がイヅルにはもう止められなくなっていた
射精の瞬間、一護の口から自身を引き抜いて一護の顔を上向かせてその顔を汚す
イヅルのものを掛けられながら、市丸に身体を揺さぶられ一護は嬌声を上げ続ける
差し出された舌に残滓を注ぎ込みながら、萎える事を知らないペニスをまた一護の舌に擦りつける
市丸が果て、一護が自分の手で戒めたペニスを解放し──休む間もなくまた新たな饗宴が始まる
何度目か知れない欲望の果てに、市丸がぽつりと呟いた声がイヅルの耳に木霊する
「…捕らわれとるんはな…イヅル ──ボクの方なんよ……」
男の精を全身に纏い妖艶に微笑む一護の姿は、どこまでも美しかった
end
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