少し濁りのある硝子瓶に入れられた琥珀色の丸い飴玉
それを『甘露飴』と言うのだと教えてもらったのはいつの事だったか
自分にそれを教えてくれた少年の瞳はまさにその飴玉のようで
その時自分は彼の瞳もその飴のように甘いのだろうかと考えていた
「一護ちゃん、これ飴?」
いつものように窓からするりと入って、見慣れた机の上に鎮座する硝子瓶を見ながら問いかける。
チョコレートが好きだというくらいだから甘い物も好むのだろうとは思うけれど、瓶詰めされた飴が置か
れているのは初めて見る光景だったので、不思議に思って聞いてみる。
「ん〜?ああ、それ遊子がくれたんだよ。ここんとこちょっと喉の調子悪かったからさ」
「なんや、風邪?気ぃつけなアカンよ?」
自分の事は顧みず無茶ばかりする一護に心配になってそう言うと、一護はたいした事ないと首を振る。
「別にそんなんじゃねぇけど…。ここんトコ虚が頻繁に出てたからちょっと寝不足でさ。
俺身体は丈夫なんだけど、疲れが溜まると結構喉にくんだよな…」
そう言って笑う一護の顔色は確かにいいとは言えなかった。
連日に於ける虚退治と学業とそして今では半ば義務になっている死神としての修行と…。
適当に手を抜けばいいものを、この子供は子供なりの一生懸命さでそれに真っ向から向き合ってしまう。
不器用なほどの誠実さ。
可哀想に…と思って、思わず自分で苦笑する。
「…なに…?」
その表情に自分が笑われたと勘違いしたのか、一護の目が眇められる。
「いいや…。なんもない」
それに首を振ってその細い身体を抱きしめる。
「…ギン…?」
ああ…やっぱり。少し痩せてもうたんやね…一護…。
腕を回してその細さを噛みしめると、一護が伺うように琥珀色の瞳で見上げる。
「…あの飴と…同じ色してるな…。一護の瞳…」
「ああ…。甘露飴か…。あれは舐めたら甘いけど俺のは甘くねぇよ」
くすっと悪戯っぽく笑う瞳に笑い返す。
「そうやろか…。一護の身体はどこもかしこも甘いで?」
そう言って抱きしめた身体を横たえながらその肌に唇を滑らせる。
まだ、男になりきれていない細い身体。
ゆっくりと愛撫を施すと、滑らかな肌は桜色に染まり艶を増す。
肌を重ねる毎に自分に馴染んできた一護の身体は甘く乱れ誘うように開かれていく。
求めるように名前を紡ぐ唇も、包み込むような肉の感触も、その真っ直ぐな心も。
何もかも愛しくて、乞われるままに熱を与える。
愛しい…愛しい存在。
でも……。
堪忍なぁ…一護…。
その愛しい一護を苦しめているのは自分。
──自分達。
この所、現世への虚の襲撃が激しいのも。
こんな風に一護が疲れてしまう原因を作っているのも。
全てはこの自分の…自分達のせい。
それは遙か昔から計画された事で。
今更変更も…ましてや自分が抜ける事など考えてもいない。
予定外だったのは一護の存在の方で。
そして、この子供を愛しく思う自分の気持ちの方だったから。
「…一護…」
自分を包み込む一護の肉に溺れながら、与えられる快楽を享受する一護の名を呼ぶ。
「…ギン…」
甘い吐息と共に見上げてくる濡れた瞳。
可哀想に…と、そう思う資格など自分にはない。
ない筈なのにやっぱりその顔を見ると、自分のしている事は棚に上げてそう思ってしまう。
愛しい…愛しい子。
「一護の瞳…ホンマ飴みたいや…」
しっとりと濡れて輝く…甘露飴。
見上げる瞳に指を添えて瞼を開く。
え…?と怪訝な顔をしたまま固まった一護の目玉に舌を這わせる。
「…や…っ、ギ、ンっ…」
ピチャリと音を立てながら一護の目玉を舐め上げる。
「ひ…っ、ああ…っ」
ああ…。やっぱり思うたとおりや。一護の目ん玉…甘いなぁ…。
思いも寄らなかった所を舐められて、一瞬拒絶し、それでも感じてくれている一護にもう片方の目にも
同じように愛撫を施す。
「や、ん…。あ…」
甘い瞳。強い意志を持ったその輝き。舌に残るのは極上の甘露。
この日から…ボクは一護を抱く時には必ずその甘露を味わうようになった。
あれから───。
一体どのくらいの時が過ぎたのだろうか。
今の自分が棲む世界には光などない。
どこまでも果てしなく続く虚無だけが、この世界を覆っている。
予定通り尸魂界を出奔し、虚圏に落ち着いてしばらくしてから、尸魂界とは本格的な戦争状態に入った。
もちろん計画には現世も含まれていたから、当然のように一護も現世側として自分達とは敵対する。
苛烈を極める戦列の中で、ボクは遠くから一護の姿を追っていた。
強ぅなった──。
一進一退の攻防を繰り返す中で、戦う一護の姿は本当に美しかった。
一護の成長は目まぐるしいもので、そのたびにボクの胸は高鳴った。
でも──。
どんなに一護が強くなったとしても、永久に勝ち続けられる訳ではない。
最後に見た一護は、もうボロボロで…。
ボクがその場に辿り着いた時には、もう荒い呼吸を繰り返すだけに過ぎなかった。
起き上がる事もできずに、ただ死を待つだけの存在。
全身を紅い血に染めて、臓腑から昇ってくる血溜まりを吐き出す唇は真っ赤で。
そっと額に貼り付く髪に手を伸ばすと、ゴボッと噎せ返りながらも一護は懸命に唇を動かした。
「………ン……」
ほとんど音にならなかったそれがボクの名前だと言う事は分かっていた。
「うん。ボクや。わかる?一護」
そう言うと、一護の唇が僅かに上がる。
懸命に微笑もうとしているその姿に、思わず眉根が寄った。
なぜ…。なぜ、この子はこんな時にすら笑うのだろう。
裏切られ、自分が死に逝く時ですらあの優しかった時間のように愛しげに自分を裏切った男の名を呼び、優しく笑う。
ほとんど機能しなくなった身体のせいで、それは表情までにはたどり着けなかったけれど。
それでも、一護は微笑んでいた。
「強かったで…一護。もう…十分や…」
血でぐっしょりと濡れそぼった髪を撫で付ける。
輝く太陽の髪はもうその色さえ分からない。
けれど…一護の瞳は…。
琥珀色の…甘露飴のようなその瞳はこんな時ですら光を失う事もなく、懸命にボクを映そうとしていた。
「まだ…見える?」
「……ん……」
こくっと僅かに頷く。
今この子の瞳に、ボクはどう映っているのだろう。
自分が今一体、どんな表情をしているのか分からない。
後悔はしていなかった。
一護と出会った時から…一護を愛した時から…。
こうなる事はわかっていたから。
責められても、憎まれても仕方がない。
一護を傷つける事をわかっていながら、あの優しい時間を過ごした事も…。
「ボクはな…。謝らへんよ。こうなる事がわかってても…一護を傷つけても、苦しめても…。
それでも一護が欲しい思うたんよ。自分勝手なんはボクが一番よう知ってる。
全部わかっててした事や…。やから、ボクには──謝る資格なんかないんよ」
「…………」
「…なに…?」
僅かに一護の唇が動く。
もう声にならないのか。それでも何か言いたげな一護の口元に耳を寄せると、一護は力を振り絞るように声を出した。
「 」
「…え…」
意外な一言に思わず一護を凝視する。
『…いい…』
一護はそう言った。
「…なんで…。なにが…いいん…。"いい"訳あらへんやろ」
思わず問い詰める口調になったボクに、一護は咳き込み、ゴブリと大量の血を吐いた。
「一護!」
掬い上げるように抱きかかえ上半身を起こす。
喉に詰まった血を吐き出したのとその体勢で少しは楽になったのか、一護の唇が再び動き始めた。
「い…んだ…、も……。そ……れよ……、きき……た……」
「なに?何を聞きたいん?一護」 聞かれれば全て答えるつもりだった。
嘘つきだけれど。人を騙してばかりいたけれど。
でも、一護にはもう…そんな嘘など必要ないから。
なぜ裏切ったのかと聞かれても…自分でもわからなかったけれど。
「……ギ…は…、れ…を…あぃ…て…た……?」
一護のその言葉に絶句した。
ゴホゴホと咳き込む一護の胸をさすりながら、血に塗れた一護の唇に堪らずに口づける。
「愛してたで…。今も…愛しとる…。それだけは…ホンマの事や」
ああ…。この子は───。
本当にどこまで綺麗なんだろう。
憎んでも、恨んでも当たり前なのに。
なのに──、こんなボクに…変わらずその綺麗な瞳で愛を求める。
「も……、むり…み…てぇ……。──ギン……、」
ゆっくりと、一護がその瞳を閉じかける。
強く美しかった瞳の光が急速に失われていく。
「──一護!」
ここにきて。
初めて怖くなった。
無くしてしまう。
もう、本当に永久に。
自分が愛した光が失われる──。
「一護っ!一護!まだアカン!!!」
心のどこかで、何を言っているんだと思う。
一護をこうしたのは自分なのに。
殺すことも、失う事も、とうに覚悟していた筈なのに。
今更、どんな手を尽くしてもこの身体が助かる事などないのに──。
ボクの悲痛な叫びに、閉じかけていた一護の瞼がふっと上がる。
そして。
「ギン、愛してる」
やけにはっきりとそれだけを言って、まるで何事もなかったかのように綺麗に微笑んだまま、
一護は動かなくなった。
永久に。
あれから──気が遠くなる程の長い月日が経った。
激しい戦闘と休戦を繰り返し、長きに渡る攻防は膠着状態を迎えていた。
『そろそろ、終わりにしよう』
そう告げられたのは昨日の事。
恐らくこれが最後の戦いになる。
ボクが生きても死んでも──もうキミはいない。
あの日あの部屋で見た濁りのある硝子瓶。
それと同じようなものが今ボクの手の中にある。
その中にあるのは液体に浸かった綺麗な甘露飴。
そっと蓋を開けて手の平の上でコロコロと転がす。
「もう…ええな…」
そう呟いて口に含む。
舌の上で転がせばあの日のように甘美な甘さが広がる。
大丈夫。ちゃぁんと消化したるから……。
飴の様に溶ける事の無いそれをゆっくりと奥歯に挟む。
僅かに力を入れると、口の中でグジュっと弾ける。
ゆっくりと味わうように…名残を惜しむように、少しずつ呑み込む。
一つは今日。
そして、もう一つは死の間際。
極上の甘露を味わいながら逝くのはきっと至上の悦びだろう。
ボクが生きても───死んでも。
もうキミはいないけれど。
舌に残るこの味だけは、決して忘れない。
end
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