─初恋2─狐の正体




「なんや、また喧嘩?」

気配を感じる前にそう声を掛けられて、一護はびくっとその声に振り返ると背の高い銀髪の狐が
ひらひらと手を振っている
狐──いや、人間 ──いや、正確にいえば、『ユウレイ』というやつだ
だから、もしかしたら本当に、狐が化けているのかも知れない
名前だって似たようなものだし
銀の髪をもつ狐───まさに銀狐 名前は、市丸ギン

「…うるせえよ…」
むすっとしたままそう零すと、狐面のような笑顔を貼り付けた市丸の表情が苦笑に変わる
「しゃあないなあ」
と大人の顔で言われて、一護の口がムっと尖る
「仕方ねえだろ 向こうが勝手にしかけてくんだよ」
まるで子供の言い訳のようにそう言うと、市丸の柳眉がハの字に下がった
「そんなこと言うてたらキリあらへんよ」
「だから、うるせえって! 説教すんなら、帰れ!」
「ほらほら、叫ばんと 一人で怒鳴る変な人になってまうよ」
一護が怒るのをものともせず、楽しそうに言う市丸に、一護は思わず辺りを見回す
あまり人目を気にするほうではないが、さすがに虚空に向かって怒鳴る姿は見られたくはない
幸い夕暮れの川沿いに人の気配はなく、にやにや笑う狐面で揶揄われたのだと知る
「〜〜〜っ!…帰る!」
一発蹴りでも入れてやりたいが、ますます調子に乗るだけだと思い、一護はすたすたと
目の前の狐の脇を通り過ぎた

一事が万事この調子
人を謀ることが狐の習い性ならば、目の前の男はまさしくそうだ
それがわかっていても簡単に引っかかってしまう自分もどうよと思い、そのまま無視して歩き続けると
突然背後からぐいっと腕を取られた
「わっ!…なっ…!」
思わず大声が出る
バランスを崩してこけそうになるのを、市丸が腕を支えてそれを止める
「…なに…」
無言でじーっと一護の顔を見る市丸に、むっとしたまま尋ねた
「…ケガしとる」
一護の頬辺りに視線を止めて、不機嫌そうに口をへの字に下げる
「…喧嘩なんだから、ケガくらいするだろうよ」
正直あまり痛みを感じなかったので、今言われるまで気がつかなかった
殴られた記憶はないので、たぶん跳ねた石ころかなにかが当たったのだろう
というか、なんでコイツがムカついてんだ
「たいしたコトねーよ こんくらい…」
思わず手をやろうとした一護より先に、市丸がそっと傷口付近に手を伸ばしてきたのに
思わずびっくりして言葉が止まった
「少ぉし切れとるな」
僅かに血の滲む傷を見ながら、市丸の指がそれをそっとなぞる

瞬間、ぞくんと背筋を走る感覚
体温が一瞬のうちに上がる
「…い…いいってっ!はなせ!オラ!」
思いがけない身体の反応に、ヤベぇって、マズイってと心の中で繰り返しながら一護はバタバタと
市丸から離れようとしたが、思いの外強い力で引き戻される
「はなせって!ギン!この馬鹿力!」
「嫌や ちょぉ、じっとしとき」
見かけによらない怪力で一護の腕を掴んだまま離さない市丸に一護の声が上がる

なんというか…マズイのだ

普通に会話している時などは努めて意識しないようにしているが、実は一護はこの狐のことが、
少し…というか、かなり好きだったりする
思春期に足を踏み入れたばかりの男子とはいえ、いや、だからこそなのだが、クラスメイトとの話題は
必然的に好きな子の話題になる
喧嘩ばかりにあけくれている一護は、そういう話題を振られるたびに『べつにいない』と答えてはいるが
実際の所頭に浮かんでいるのはこの狐顔だったりする
さすがに、こんな人外魔境はマズイだろう、俺…とツッコミを入れても所詮の自分の頭の中
返る声もなく、しかも思い出した分だけ会いたいという想いがつのる

だが、所詮相手はユウレイ
いくら自分にとっては生きている人間と変わらないとはいえ、相手が悪い事は自分でもよく分かる
だから、こうやってたまに会えるだけでいいやと思うようにしているのに……
むやみに触ったりすんじゃねーよ、狐!
と、心の中で空しい悪態をつく

「じっと…って だからっ とにかく手ぇ離せ!」
焦りまくって振りほどこうと藻掻く一護に、市丸が仕方ないというように手を離す
確実に赤面しているであろう顔を見られたくなくて思わずそっぽを向くと、丁度傷口を市丸に向ける形に
なってしまった
「まあ…たいしたコトあれへんな これくらいならすぐ治るやろ」
医者よろしく、しげしげと傷をみながら言う市丸の台詞に思わず口が尖る
「だから…最初っからそう言ってんじゃん…」
擦り傷切り傷打ち身などは日常茶飯事なので、小さなケガなどはケガのうちには入らない
しかも実家は町医者なので、本当にヤバくてもなんとかなると思ってしまう
取り敢えず、家に帰って消毒でもしとくか…と思っていると、市丸がぼそりと呟いた

「治癒苦手なんやけど… これくらいなら問題あれへんやろ」
「はい?」
聞き慣れない言葉に一護が思わず聞き返すと、「市丸はそのまま横向いとって」と言って
再び手を伸ばしてきた
さっきの感覚を思い出して、思わず身をすくめた一護に「すぐ終わるから」といいながら市丸の指先が
ゆっくりと触れてきた

ぽうっと頬が暖かくなる
なにか優しいものが流れ込んで来た気がして、一護は思わず横目で市丸を見る
「はい、終わりや」
言葉と共に唐突に去った温もりに、一護は呆然として市丸を見上げた
「なに…今の…」
何をされたか分からずにぽかんと呟くと、市丸はいつもの笑い顔に戻って呆然とする一護の頭を
ぽんぽんと叩く
「ん?治癒しただけやから気にせんと」
「なに…治癒って」
「ああ…ケガ治しただけや」
「治すって…そんなことできるのか?」
もう長いこと市丸と会っているのに、そんな事ができるというのは今初めて知った
というか、ケガを治せるユウレイなんて初めてだ
いや、もしかしたら自分が知らないだけで、ユウレイになるとみんなできるのかもしれないけど

「お前って…何者…?」
思わず口を吐いてでた疑問に、市丸がうーんと言いよどむ
相変わらずの笑顔が張りついてはいるが、内心なにか考えている事は幼い頃から見ているので
一護にもわかる
相手が言いたくないことを問い詰めるのは趣味ではないが、いいかげん知りたいと思うのも本当だ
ユウレイにも色々事情があるのかも知れないが、市丸が普通の霊とは違う事も、もうなんとなくわかっている
黙り込んでしまった市丸に、再び声を掛けようとした時、市丸がようやく口を開いた

「まあ…しゃあないな 教えたってもええけど、とりあえず家帰ったほうがええんちゃう?」
そう言って一護の左手をちょいちょいと指す
それにつられて視線を落とせば目に入るのは腕時計
「あーーーーっ!メシ!」
時刻は6時半を少し回ったところ
なにせ黒崎家には『ユズ法典』という絶対に違えられない法律がある
門限は7時──つまり、夕飯に間に合わなければ今日のご飯にはありつけない
さすがに付き合いが長いだけあって、それをよく知る市丸は、取り敢えず帰ろうと一護を急かす
「ったく!とりあえず帰るぞ、ギン!お前もこい!」
そう言って一護は、とにかく夕飯にありつくために家までダッシュするハメになった



ギリギリセーフでなんとか夕飯にありつき、父親の過激なスキンシップを一撃で沈めた後
ついでに一風呂浴びてから、ようやく一護は部屋へ戻る
待たせたかな…と思いながらドアを開けると、市丸は一護のベッドに横になってすやすやと寝息を
立てていた

一護のベッドで眠るユウレイ

知れば知るほど不思議な男だと思う
見れば机の上には、さっき出した湯飲みが空っぽで置かれている
お茶も飲めれば眠りもする
他の人間には見えないというが、この時代がかった衣装をのぞけば、市丸はなんら普通の人間と
違うようにはみえない
たしかに、宙に浮いたり、窓をすり抜けたりとユウレイらしい所はあるけれど果たして他の霊に
お茶が飲めたっけな?と思い返す
そこで、はたと本来の目的を思い出し、一護はすやすや眠っている市丸の頭をはたいた

「おい!起きろ、ギン!」
「ん〜…、もう、なんやの… 痛いやん」
起こされた事にかはたかれた事に対してか文句をいう市丸を無視して、一護はすぱっと切り出した
「起きろって!お前の正体話してくれるんじゃなかったのかよ」
その言葉に、市丸が「ああ、そうやった」と寝ぼけた声を出した
「で?」
ようやく目が覚めてきたのか、むっくりと起き上がった市丸に一護が促す
それに対して、予想はしていたが案の定市丸はのらりくらりとした台詞を返した
「で…って、んなコワイ顔せんでも… 正体なんて大げさな…」
それに対する一護も慣れたもので、気にせず、ずばずば切り込んでいく
「大げさでもなんでもいいから、さっさと話せ そのために来たんだろうが」
「え〜 ボクは一護ちゃんトコ来たかっただけやもん」
あさっての方向を見ながら言う市丸に、一護の米神がぴくりと動く
「ギン」
思いっきり不機嫌な声音で言えば、市丸は仕方ないと観念したように、ふうっとため息を落とした

「……どうしても、知りたい…?」
「知りたい」
間髪入れずに答える
「つーか、話す気があったから来たんだろうが!今さらウダウダすんな!」
渋る市丸に、がつんと喝を入れる
この男は、どうでもいいことは饒舌なくせして、肝心な事を話すときにはとたんに口が重くなるのだ
そして、油断しているとその良く回る口で煙に巻こうとする
ただ、本当に隠して置きたいのなら、こうやってそれを匂わすことさえしないと思う
だから、今の状況は、単に決心がつかないだけなのだ

「はあ…一護ちゃん、一度言い出したら聞かんしなあ…」
あぐらを掻いて頬杖をつきながら、仕方ないと零す
その姿に早く話せと視線を送ると、またひとつため息をついて、市丸は一気にその台詞を吐いた
「ボクな、死神やねん」
「は?」
思いもかけない台詞に一瞬頭がついていかない

「やからな、死神なんよ、ボク」
死神…死神ってなんだっけ…
市丸の台詞に呆けた頭で考える
「死神って…あの、鎌もった…?」
本の挿絵などでよく見るフードをかぶって大鎌を持った骸骨のような姿
それと目の前の市丸の姿が結びつかずに、一護の頭にはてなマークが飛び交う
「失礼な 鎌なんか持ってへんよ それは人間が勝手に作り出したもんやろ」
鎌やのうて刀やし…と呟く市丸に、一護は益々混乱する

「え… じゃあ…なに、俺の側にいるってことは、俺…死ぬの…?」
…にしてはえらく時間を掛けすぎじゃないかと思う
確か知り合ってから8年くらいは経っているはず
「やから!それは、単なる想像の世界なんやて!」
癇癪を起こしたように言う市丸に、一護もまけじと大声を出す
「だからっ!分かるように話せって!」
話がまったくかみ合わない
一護にとって死神とは、その人間が作り出したイメージで、市丸はそれとは全然別のものだと言う
とにかく、訳が分からないなりに、今は市丸の話を聞く事にする
ようやくまともに話を聞く体勢に入った一護に、市丸が渋々語り出した

「えーっと…、まずな、あんまり詳しいことは話してあげられんのやけど…」
「前置きはいい」
「んじゃあ、とりあえず ボクは死神っちゅーもんで、普通の魂魄…ユウレイとは違うねん
で、その死神なんやけど、人間さんは死神言うたら死期が近い人間を迎えにくるもん思てるみたいやけど
それは単に想像で作られたもんでな 本来はまったくの別物やねん」
「別物?」
まあ、確かに鎌も持っていなければ、骸骨でもない
「せや、やから、ボクは別に一護ちゃんを迎えに来た訳でもないし、ボクがおったかて
一護ちゃんは死なへんから安心しい」
「…まあ、よくわかんねえけど、それは分かった」
とりあえず、嘘はついてないらしい

「死神いうんはな、人間の魂魄…言わば霊魂を管理する役目を持つもんや
人の魂…ボクらは魂魄言うんやけど、それが…んー、わかりやすい言葉で言えば死後の世界言うんかな
それが住む世界があって、ボクは其処に住んどるんよ」
「住んでる…?」
住んでる…と言うことは、自分達と同じように生活があるということなのだろうか
「せや、人の魂魄は死んだらまず、尸魂界いうボクらが住んでる所に来るんや
で、そこで一定の時間を過ごした後、また新しく生まれ変わる
死神言うんは言うてみれば、そのお手伝いしとる職業みたいなもんや」

…なんだか、ものすごく端折られた気がするが、なんとなく言いたいことは分かる気がした

「で、ギンはその死神なんだ…?」
確認するように言うと市丸はこっくりと頷く
「まあ、魂魄はたとえ死んでも日常から逃れられん言うことや
ボクも人としての肉体は持たへんけど、ちゃあんと日々仕事に明け暮れとるし」
「仕事…?」
ユウレイ…というか、死神にも仕事ってあるんだ、とちょっと驚く
「まあ、死神になれるんは霊力が高い一部のもんだけやけどな
霊力もたん普通の魂魄はある一定の期間尸魂界で過ごしたあと、再び輪廻に戻るし」
初めて聞く死後の世界の話に、一護は興味津々と言うように身を乗り出して市丸の話を聞く
「じゃあ…それって、生きてる人間と…俺達とあんま変わんないって事?」
「んー、どうやろ まあ違う言うたら違う所も多いけどな 霊力もたん普通の魂魄は腹もへらんから
飢える事もないし」
市丸のその言葉に頷きながらも、ふと何か引っかかる

「…なあ、霊力もたないから腹がへらないんなら、持ってる奴は普通に腹がへるってことだよな…?」
思った疑問を素直にぶつけると、市丸は面白そうに口角をつり上げる
「さすが一護ちゃん、良いトコつくなあ そうや、尸魂界でも霊力が高いもんは人間と同じように腹がへる
つまり、最初はそれが自分が霊力持っとるかどうかの目安になるんや」
「…じゃあ…ギンはその…霊力ってのが高い…のか?」
霊力…ようは霊感みたいなものかな…と考える
「そうや まあ尸魂界の話したからついでに言うと、死神にももちろん霊力…霊圧いうんやけど
高い低いのがあんねん で、その死神にも組織ってあって、その組織の中の一つに護廷十三隊ってのが
あるんよ」
「護廷…十三隊…?」
「そや、まあいうてみれば尸魂界と現世の警護部隊やな こっちでいう軍隊みたいなもんや
それがおのおの十三の隊に別れとる」
「じゃあ…ギンの…羽織の三…って…」
そこで、ようやく見慣れた三の文字を思い出す
「そうや この白羽織はその隊の隊長の証や で、ボクはその護廷十三隊の三番隊長さんや」
「!」

はじめて聞く事実に一護は愕然とする
確かに、普通の霊とは違うと思っていた
霊力というか…霊圧というか… 市丸の醸し出すものは、普通の霊とはまるで違うとは思っていた
だが、隊長!?
このふらふらしていいかげんそうなコイツが!?
軍隊でいえば一個隊を預かる立場にいるというのか!? コイツが!?

にわかに信じられない台詞に一護の目が丸くなる
それにめざとく気づいた市丸が不満そうに声を上げる
「あーっ!なんやの、その顔は!? ボクが隊長やったらおかしい言う顔してるで!?」
「だって…」
思っていた事を不満たらたらに口にだされて思わず一護が口ごもる
「だって、やない!ひどいっ!一護ちゃんボクのこと単なる無能なユウレイや思てたんや〜!!」
「…だから…っ!」

無能もなにも
今まで単なるユウレイのふりをしていたのはそっちだ!と思う
確かに他とは何か違うとは思っていたが、まさか一個隊を預かる立場だとどうして思えようか
「…つーか、そんなに仕事があるんなら、なに暢気にこっち来てるんだよ!!」
いくら周りから不良といわれようと、本来一護は真面目なのだ
いつも前触れ無くふらりと現れる市丸は、それこそ昼も夜も関係なく来たい時に来ている気がする
しかも、単に「会いたかったんやもん」という理由で一日中側にいたことさえある
だから、一護の常識として、仕事があるなんて微塵も思わなかったのだ
まあ…霊に仕事があるなんて初めから思ってはいなかったけど

「じゃあ、何か…?整理すると、お前は尸魂界ってトコに住んでて、普通に生活してて
で、職業は死神ってやつで、おまけに一個隊を預かる隊長って訳…だな…?」
確認しながら聞くと市丸はその通りと言うように大きく頷く
「そうや、さすが一護ちゃん、飲み込み早いわぁ」
にこにこと満足そうに笑う狐顔に、一護の目がくわっと見開かれる
「だったら、てめー、今まで仕事さぼってやがったのかっ!!!」
一護の剣幕に、そこを突っ込むか…と言いたげに市丸の目が見開かれる

久しぶりにみた市丸のアイスブルーの色の瞳
一護はこの市丸の瞳が本当に大好きだった
だが、今はそんな事を悠長に思っている場合ではない
「バカか、てめーはっ!早く帰って、さっさと仕事しろっ!!」
ともかくも、自分に会う為に大事な仕事をさぼるのは許せない
というか、市丸の部下に申し訳が立たない
もしかしたら…というか、その方が可能性がありそうだが、こっちでの仕事のついでに自分の所に
顔を出しているのかも知れないが、それでも市丸が結構好き勝手しているだろう事は容易に
想像がつく
その一護の剣幕に、若干狼狽えたように市丸が返す

「な…なんやの そんな怒鳴ったら家の人不振に思うで? それに…帰って仕事や言うても、
もう退舎時間とっくに過ぎてるもん あんな、死神…一護ちゃんからしたらユウレイやっても、
夜仕事してる訳やあらへんのやで?」
「え?そうなの…?」
「そうや、死神言うても人は人や ちゃあんと朝起きて昼にお仕事して夜はちゃあんと寝るんよ
単なる住む世界が違うだけや」
ふん!と切り返す市丸に、若干考えたあと、一護の眉間の皺がより一層深くなった

「…ギン…」
「ん?」
「お前、今まで何度も昼も夕方も俺んとこ来てるよな…」
なんだか雲行きが怪しくなった一護の様子に、市丸は明後日の方向を見ながらしれっと答える
「あれ…?そうやったっけ?」
「そうやったっけ…?お前、この前来たときも暇だからって一日中俺にへばりついてたよな…?」

ついこの前の日曜日
特にやることもなくだらだら部屋で過ごしていた一護の側に、いつものようにふらっと現れて一日中側にいた事を思い出す
「…死神やって休みくらいあるし…」
「へーえ、じゃあ、俺が学校にいる時、窓の外から手ぇ振ってたの誰だっけ」
「さあ…誰やろ…」
「ギンっ!!!」
「あーーーっ!もう!ボクかてちゃあんとお仕事はしとるって!一護ちゃんまでそんな事
言わんでっ!まるでイヅルみたいや…」
そう言って頭を抱える市丸に、初めて聞く名前に一護は思わず聞き返す
「…誰だよ、イヅルって」
「ボクの副官… 副隊長さんや もう、真面目なんはいいけど融通きかんし煩いし…」
ぶつぶつと文句を言い始める市丸に冷たい視線を投げかけて、ふと一護は思う

「なあ…ギン」
「ん…?なに?」
また怒られると思ったのか、恐る恐る聞く市丸に、すうっと息を吸い込み一護は思い切って尋ねた
「お袋も…そこに…いるのか…?」
「………」
死んだ人間が行き着く場所という尸魂界
だったら、きっとあの優しい母もそこにいるのかも、と思い一護が尋ねる
その言葉に、今までおちゃらけていた市丸の口が、きゅっと引き結ばれた

「…それに関しては、ボクは何も言えんよ」
市丸の言葉に、一護の感情が高ぶる
「なんだよソレ… どういう事だよ!」
だんだんと感情が高ぶる一護とは対照的に、市丸は今までの様子が嘘のように、すっと真面目な
顔になる
「あんな、一護ちゃん 落ち着いて聞いてや」
「…落ちついてるよ…」
とても落ち着いてるとはいえなかった
だが、そうでも言わないとこの目の前の男は何も話してくれない気がした

「……一護ちゃんが、お母はんの事聞きたいのはようわかる
やけど…、一度死んだ人間はもう、そこで終わりなんよ」
「終わり…って…どういう事だよ… なんだよ尸魂界ってトコで普通に暮らしてるんじゃないのかよっ
たった今、そう言っただろっ!」
市丸の言葉の矛盾をつくように言い募る
だが、それに対する市丸の言葉は一護にとってはいっそ冷たいとも言えるものだった
「…人にもよるけどな… 人の魂魄は尸魂界に来た時点で、もう現世の事はすべて忘れるように
なっとるんよ やから、新しく生まれ変わる事ができるんや 一護ちゃんかてそうやろ?
前世の事なんてなんも覚えてへんやろ?」
「────っ!」
「尸魂界には毎日新しい魂魄が送られてくるんや しかも一カ所に送られる訳やない 
確かにボクは隊長やけど、いつ誰がドコに送られたかわからんのや」
「…だけど……っ!」

あの時

母が死んだ時、確かに目の前にいたのは、この男だった
凍えそうな思いで母の亡骸を抱きしめていた自分の側にいたのは、まぎれもないこの男ではないか
人の魂魄を管理するというのなら、あの時確かに息を引き取った母の魂魄はいったいどうしたというのか
納得ができないというように市丸を見詰める一護の瞳を、冷静な大人の目で見返しながら市丸が言う

「…一護ちゃんが納得がいかん言うのもわかる せやな、あん時側におったんはボクやしな
やけど…一つだけ事実を言うたる あん時ボクが駆けつけた時には、一護ちゃんのお母はんの魂魄は
もう、おらんかったんよ ボクもな、一応ちゃんと探しはしたんやけど…それ以上にあん時は一護ちゃんが
心配やってん… ホンマ…ごめんな…」
市丸の言葉に、一護の目が呆然と見開かれる
「…そんなの…」
「うん… 一護ちゃんが怒るのもわかる… やから、ボクんこと怒りたいならいくらでも怒ってええよ
嫌うんも憎むんも…好きにしたらええ やけどな、これだけは分かって欲しいんや
ボクにとって一護ちゃんは特別なんよ 死んだ人間は、尸魂界に行く これは変わらん事実や
やけど、一護ちゃんまで死なせる訳にはいかん あん時も…これからもボクの優先順位は、誰が
どうしようと一護ちゃんが先や」
「────っ」
「人の魂魄が迷うとるんなら、それを送るんは死神の役目や やけど、あん時お母はんの魂魄は、
もうどこにもおらんかった ボクに言えるんは…それだけや…」

市丸の言葉にあの時の光景が甦る

冷たかった身体
いつも暖かくて、安心できて、優しかった温もりの欠片もない冷たい身体
たくさんのおびただしい血
その血だけが、わずかに温くて
打ち付ける大粒の雨よりも、冷えてゆく身体よりも、心が寒かった

なにが起こったか分からずに───そして、今も分からずに──ただ、大好きだった母の死を
受け入れるしかなかった自分

ただ、寒くて、震えるほど寒くて
それを抱きしめてくれた温もり

「……ギ……ン……」
ぼたぼたと
一護の目から涙があふれ出る

今さら
今さら何が悲しいというのだろう
後悔なら今までさんざんし尽くした
心の中でさんざん詫びた
どんなに後悔しても、どんなに詫びても、この自分が…自分から家族から母を奪った事実は変わらない
自分が許せないと思った
今でも──許せない

こんな自分に泣く資格なんてないのに───
こんな自分が誰かに愛されたいと願うなんて───

ぱたぱたと涙が頬を、顎を伝って握りしめた拳に落ちてくる
真摯に一護を見詰めるアイスブルーの瞳が膜をはったように見えなくなる
ただの、八つ当たりだ
市丸には、なんの罪もない
それどころか、あの一番苦しい時に駆けつけて寄り添ってくれたのは、まぎれもなく彼だ

だけど………だけど

あの優しかった母に
せめて、一言あやまりたかった
ごめんなさい、と
探して探して探して
来る日も来る日も、その痕跡を追い続けた
見えないものが見える自分なら、もしかしたら見つけられるのではないかと思って

「一護ちゃん……」
そっと、市丸の腕が一護の頭を引き寄せる
あの時と同じ ずっと変わらない優しい腕
母が死んだ時 ずっと泣けなかった
自分を責めて責めて
悲しむことさえ自分に許さなかった
こんな自分が涙を流すのは、罪悪だとそう思って
同じ悲しみを抱える家族の前でさえ、強がっていた
泣いたのは──泣けたのは、この男の前でだけ
思いっきり泣かせてくれたのは、この男だけ
あの日から、この温もりは一護にとって特別になった

「……ギ…ン……ごめ……」

責めても仕方ない
責めるべきではない
責める資格なんて自分にはない
自分に責められるようなことなんて、ギンはなにもしていない

「…ごめんな…一護ちゃん…」
なのに……!
「…あや…ま…んな……っ」
こうやって理不尽に責める自分さえ許す男

もう…いい…
きっとこの男の言うとおりなのだろう
きっと、あの優しい母はあの時の苦しみすら忘れて今は安らかに過ごしているのだろう
だから、もう、いい

「ご…めん…ギン……」
亡くした人は、もう帰らない
どんなに大事なものでも、無くしたら終わる
抱きしめられた背中にしがみつく
無くしたら、終わる
だから、せめて、この温もりだけは、無くしたくない

「一護ちゃん…?」
「消え…ないよな…」
「一護…ちゃん?」
「お前は…消えないよな…っ?」
一護の真意を読み取ったように市丸が囁く
「消えへんよ」
「他の…ユウレイみたく…突然消えたりしない…よな?」
「うん 一護ちゃんが嫌や言うても、ボクは側おるよ」
しかもユウレイやないし
とくすりと笑いながら言う
「…ギン…っ」
「…好きや… 一護ちゃんの事がボクはほんま好きなんよ」
「…れも… ……俺も……っ す…きっ…ギンのことが……っ」
一護の言葉に抱きしめられた腕の力が強くなる
「ボクもや… こうやって住む世界違うけど… もう止められへんくらい…一護ちゃんが好きや」
「俺…も」

そっと、腕の力がゆるみ、市丸の指で一護の頤があげられる
目の前で揺れるアイスブルーの瞳
澄んだ氷の青を思わせるその瞳は冷たいようでひどく優しい
それに引き寄せられるように一護はそっと瞳を閉じる
「…好きや」

唇が触れ合う寸前、吐息とともに囁かれたその言葉に、一護の涙がまた一粒滑り落ちた






※すいません Hに至らず… というかたぶんこの後きっと美味しく頂いちゃってますギンだし
本当はもう少し黒一護を入れたかったんですが、先に聞きたいのはきっとお母さんの事
だろうと思って… なんかまだまだ幼いな一護…ふふふ
でも、この頃からすでに黒一護の素地はあります だけどなー、この頃なんだよなチャドに会うの
チャド…きっとチャドがいたら、一護ゆがまないと思うんだけどなぁ…
あの子はほんとどんなに仲良くても、きっぱり一線引いてるように感じるんだけど(原作)
チャドだけは別格な感じするのよね…いや、友人として いや茶×一もアリだが
なんで、この話はきっぱりはっきりチャドは無視!
でないと一護はゆがまない!これ書き出して本当にチャドの重要性を理解した気がするよ…
恐るべし茶渡泰虎!………これはあくまでギン×一です…