前夜





「あの子を…連れてこよ思てます」


藍染に背を向けて、視線を窓の外に彷徨わせながら、唐突に市丸がぽつりと言う
その台詞に、藍染の眉がぴくりと上がった
「そうか… では、もう覚醒は完了したということなのかな」
酷薄な笑みを表情に乗せてはいるが、内心は歓喜しているだろう事は、背を向けてはいても容易に
伝わる
それをどこかで苦々しく思いながら、市丸は緩く首を振った

「まだ、半分いうとこですやろか… そう本人が言うてはりました」
「そうか…、でも、安定はした…という所かな まあ、何にせよ彼がこちらに来てくれるのは嬉しいね」
ふふ…と、冷たい笑いを漏らしながら、藍染が言う
恐らく頭の中ではこの先の展開へと目まぐるしく動いているのだろう

「藍染さん… 
あの子…来ても、なんもする気ないです」
「…ギン?」
「それが…、今だけなんか…これから先もなんかはわかりません
やけど、来ても藍染さんの力にはなれへんかも…て
それでもええなら、行くて そう言うてくれて、伝言です」
「そうか…」
その言葉に、市丸は僅かな落胆が混じるのを聞き逃さなかった
「…残念だが…、まあ、仕方ない 彼は誰かの駒になりえる存在じゃないからね」
「………」

藍染の言葉に、その彼へと思いを馳せる
現世の人間でありながら、死神の力をもち、虚をも内包する奇跡の存在
内なる虚を取り込んだ今、彼の魂魄は最早、人でもなく、死神でも、虚でもない
すべてに於いての、異端
そして、彼の変化は、ただ純粋な力だけには留まらなかった
魂の質そのものの変化
唯一絶対の存在としての覚醒
この虚圏の統治者として君臨する藍染が、ずっと追い求めていた力


それが、なぜ──あの子でなければならなかったのだろう


「で?いつ?」
「……明日には……」
「そうか…、ではこちらも準備したほうがいいね」
「何体か出してください 迎えはボクがいきます…」
「どうした?彼が来るのは、君が一番待ち遠しかったんじゃないのか」
「……ボクは………」


この男には、きっとわかるまい
自分が…そして、彼がなにを望んでいるかなど
すべてを凌駕する力を持ち それでも彼が切望したのは、とてもささやかなもの
ただの人として生き ただの人として死ぬことすら許されなかった 可哀想な子供


遠い日にした 約束───
いつの日か果たされるであろうその約束が、市丸の胸を打つ

「ギン?」
「………いえ…… 現世降りてきます……」

そう言って市丸は踵を返す

すべては整ったと、彼に伝えるために───



明日、──世界の命運が、変わる日──





※一護裏切り前夜の虚圏