刺青 ─sisei─






「なあ…ギン」

「ん?」
「背中…みせてくんねぇ…?」
「一護ちゃん?」

どないしたん 誘っとるの?
そう言って笑う市丸に一護はそうじゃないと首を振る

「嫌か?」
「嫌やないけど… いつも見とるやん」
「…そうだけど…」

確かに見ている それも…ずっと
思いが通じ合ってからというものの、毎日…それも昼夜問わずに繋がりあって
お互いを貪り合う
わずかな指先が触れ合えば…視線が絡めば…、その先はもうお互いを求めることしか
考えられなくて
ほとんどセックスしかしてないんじゃないかというこの状態はさすがにまずいだろうと
一護が言えば、今だけやと市丸が笑う

日常に戻るまでの僅かな隙間
立場も状況もなにもない二人っきりの世界

市丸のマンションに来た日から何日たったのか日付の感覚がまるでなかったが
そろそろ現実に戻らなければならない時期が来ているのは
なんとなく一護にもわかった

ほとんど獣状態からさすがにこれ以上は人としてヤバイだろう…という所まできて
ようやく最低限の生活ができるくらいには自制できるようになった

だから、こうやって市丸とまともな会話を交わすのもほぼ何日かぶりだ


「なんかさ…見て…はいるんだけど……、あんまり見えてないて言うか…
印象だけが残ってるっていうか…」
「せやね…一護ちゃんほとんど理性飛んどるしな」
「お前だってそうだろうがよ!」
「まあ、お互い様やな」
しれっと言い放つ市丸をきっと睨むとにやりとした笑みを返される

確かにそれもそうか

ここで不毛な舌戦を繰り広げたとしても、どうせ言い負かされるのは目に見えている
このまま丸め込まれてせっかく取り戻した人としての理性がまた獣に戻るのは勘弁…と、
一護はふうっと息を吐く

「ん…で、ダメ?」
とお願い口調で聞いてみると、「一護ちゃんのお願いは可愛すぎや」と苦笑と共に腐った言葉が返る
「ダメなことあらへんよ 見る?」
「ん」
「なら…」

そう言って市丸は羽織ったシャツのボタンをはずしながら、ゆっくりと背を向ける
バサリと音を立てて脱ぎ捨てられたシャツの下から現れたのは、目にも鮮やかな血の紅

──すげ………

その色を見た瞬間、ぞくりと体が泡立つ
ずんっと体の奥が熱くなる感覚に、一護はふるりと頭を振って軽く息を吐き熱を逃がす

何度も何度も網膜に刻まれた色

市丸の本来あるべき白い背中を覆い隠すように刻み込まれたそれは──見事な紅い華
どちらかと言えば、本来女性の肌に刻まれるであろうその華は、うねりながら這い登る
一匹の獣の姿と相まって、尚更艶めかしくも毒々しい
そして、その中心となるのは青を基調とした鱗をもつ一匹の大蛇
その姿は時にうねり、蜷局を巻き、左の肩口を這って胸元の蛇頭へと続く
尻尾の先端も腰から下は今は隠れてはいるが、右腰あたりから足の付け根を通って
太ももに絡みついている

それはまさに市丸の化身の様で、その姿を見るたびに一護はどうしようもなく欲情する自分を感じる

「……す…げぇな…これ……」
はやる欲を押さえて、描かれたものに集中する
素人判断で、技術的なことはまったく分からない一護にすら、その精巧さと見事さがわかるくらい
それは美しい彫り物だった

「…おおきに」
口をついて出た一護の褒め言葉に、背を向けたまま音もなくくつりと笑って市丸が言う

「気に入ってもろうて嬉しいわ」
「うん…すごい綺麗だ…」
素直に述べる一護に、市丸がまたくすりと笑う
「一護ちゃん、すっかり気に入ってもうたなぁ」
「ん…だって、なんか…すげえお前に合ってる」
「そっか おおきに」
「なあ…入れ墨ってさ、やっぱ意味とかあんの?」
ふと、疑問に思って聞いてみる
「ん〜、意味ねぇ…元々墨なんてもんは絵になんらかの意志もたして入れるもんやしねぇ…
和彫りは特にガキが遊びで入れるタトゥとは違ごて、古来からある原画を元にしてるもん多いし」
「へえ…そうなんだ」
初めて聞く話に一護は興味深そうに頷く
「まあ、そういう意味で言うたら、ほんまはボクのんは邪道なんやけど」
「邪道?」
「せや、本来和彫り言うんはメインになるモノがあって、その周りに額彫り言うて雲とか波とか炎とか…
そういうのんを装飾したもんを入れるんや なんていうたらええかな…ほら、ようヤクザ映画とかで
ヤクザが彫っとるあれや あれにも意味あって、本来はそれも含めて一つの墨になっとるんよ」

そうか…と思う反面、もし市丸のものが映画でよく見るようなものだったら、
それはそれでちょっとイヤかもしれないと思う
邪道だと言われてもよく分からない一護は、この絵こそ市丸らしいと思うからだ

「ボクのんはそんなんやのうて、抜き彫り言うてメインだけ彫っとるしな 和彫りの定義から言うたら
抜き彫りなんてタトゥと変わらん扱いやし」
「え!?そうなのか?」
こんなに綺麗なのに
「なんや、一護ちゃん まるで自分のもん貶されたみたいになっとるで?」
くすくすと市丸が笑う
「だって……」
そろりと、一護は市丸の紅い華をなぞる
「これ…曼珠沙華だよな」
ゆるゆると触れながら華の名前を口にする
「そうやよ 彼岸花、曼珠沙華…死人草ともいうな…」
「なんか意味あんの?」
そう聞いた一護の言葉に、市丸の背がふと固くなる
「───────」
「…ギン……?」
その様子に聞いてはいけなかったのかと一護の眉が寄せられる
しまったと思い慌てて話題を変えようと次の言葉を探す一護に、市丸がぽつりと声を落とした
「……意味なんか、ない思うとったよ……」
「…ギン?」
「別に墨くらい何彫ってもどうでもよかってん
せやけど…、いざ図画決める時どうしてもこれやないとあかん気ぃがしてな
これ彫る言う時も、周りも蛇にするくらいなら龍にせえとか花やったら他にあるやろとか…
ほんま、やいのやいのうるそうてな  
結局、痛い思いして彫るんはボクやから口出しすな言うて自分でコレに決めたんや
これの持つ言葉の意味くらいは知っておったんやけど、……そんなんなんの意味もあらへん思とった」

過去を思い出すように語る市丸の背はどこか寂しげで一護は無言でその背を見つめる
「蛇いうんは死を表すもんやし、そのまわりが死人草なんてほんまボクらしいわ
くらいしか思とらんかってんけどなぁ…」

その姿に死を纏う男
見るものを不安にさせ、氷の笑みで死を誘うまさに死神

今目の前の男は、まさにそういう生き方をしてきていたのだ
でも一護は…もう知っている
この腕が思いの外温かいことも
優しさも悲しみも寂しさも…自分に向けられる愛情がどれほど強いものなのかも

「……ギン……」
そっと腕を前に回してその背を抱きしめる
もう、一人にはしたくない
この虚無を背負ったこの男を
やっと愛を知り始めたばかりのこの不器用な男を

市丸の手がそっと一護に重ねられる
貪りあうのもいいけれど、こんな静かで優しい時間も一護は好きだと思う

ふと市丸がなにかを決心するようにひとつ息を吐いた
「これの本当の意味はな、もっと違うものなんや」
「……なに……?」
「蛇はな…日本では古来から神さんの使いなんや 意味するんは【死と再生】
そして曼珠沙華は……一護や」
「……え……?…俺?」
言われた意味が分からず一護は首を傾げる
「せや、一護に会うて自分がこの華背負しょうた意味がようやっとわかったわ
ほんま人生わからんことだらけや」
そう言って市丸は大きくため息をつく
「…ギン?」
「曼珠沙華いうんは梵語でな、【天上の赤い華】いうんよ 花言葉知っとる?」
「いや…」
「悲しい思い出とか、再会とかなんやけど、もう一つ意味あってな」
「うん」

「【想うはあなた一人】いうのもあるんよ」

「ギン……」
「天上の華もたった一人を想ういうんも…ボクにとっては一護や」

「やから、これは一護の華なんよ」

その告白に一護は頭の芯がぐらりと揺れる
目の前にある市丸の背に咲く大輪の華
市丸の背に刻み込まれたのは、自分の化身

人の背に自分の化身が棲む 深く深く刻み込まれる それも愛しい男の背中に


それはどこか背徳的な歓びを一護にもたらした




※市丸さんの入れ墨話
刺青とは入れ墨の事です
実はこの話が書きたくて893ものに
なったという…
いずれ絵で描きたいなぁ…市丸さんの背中