──天上の華 極妻物語3・京都編 エピローグ──





夜半過ぎ──。
しんと静まりかえった屋敷の一角で、静かに酌を傾ける老翁に背を向けて、銀色の髪をした男は縁側に続く
障子戸に凭れじっと虚空を見つめていた。


「で、東はどうじゃ」
「まあ、ぼちぼち言う所ですやろか。ボクの襲名に反対しそうなんは…下の方の一つ二つ…くらいやし。
それは藍染さんが押さえてくれる言うて話は付いてます。いざとなったら更木出しますわ。まあ、更木の組長は
相変わらずやけど…なんとかなるでしょ」
二人ともいいくらい呑んではいたが、顔にも態度にも全くそれは現れてはいない。
こういう所が、血のなせる業なのだろうか。

「剣八か…。まあ儂の方からも話は通しておく。だが…儂が居るうちはまだ皆表立って異議は唱えぬだろうが、
問題は襲名後、儂が死んでからよの。それまでに皆が認めるようになっていなければ確実に抗争は起きる。
それは…わかっておろうの…ギン」
手元の杯を傾けながら、元柳斎が静かに言う。
それに、背を向けたまま、市丸の銀糸が僅かに揺れた。
「わかってます。せやけど…大丈夫やないやろか。特に…東は」
「何を呑気な…」
些か呆れを含んで言う元柳斎の言葉に、市丸がくすりと笑みを落とす。
背中越しに見える横顔に差し込む月光が、いつもより少し上がった口角を綺麗に映し出す。
「いや…。さっき総長が言うた通りですわ。一護や。ホンマ、ボクの代わりにあの子据えた方がええんちゃう
やろかって、本気で思いますわ」
その表情に、僅かな自嘲と愛しさを見て取って、元柳斎は鼻を鳴らした。
「ふん……。主にしては上等な子を見つけたもんじゃ。──ギンよ。よいか、決してあの子を離すでないぞ?
あれは良い目をしておる。そして、あの子に惹かれてこの先幾人もが、あの子の為に命すら掛ける事になるだろう。それだけのものを、あの一護は持っておる。あの子はこの先──市丸の護り神になる」
「ええ…ホンマに…そう思います」
一家を束ねる男のその言葉に、市丸は返す事なく素直に頷く。
おそらく──、いや、もう既にその片鱗は現れている。
この自分が惹かれたくらいだ。一護の持つ魂の輝きに惹かれ、魅せられる人間など五万といる。
特に──この薄汚れた世界には。


今この瞬間、安らかな眠りに落ちている一護は、一体どんな夢を見ているのだろう。
それが、幸せに満ちたものであればいいと…柄にもなく思う。


再び闇が静寂を纏う。
途切れた会話。
それでも、二人は席を立とうとはしなかった。
こうして何度か酒を酌み交わしていたが、用件が済めば用はないとばかりに席を立っていた市丸が、こうして静かに元柳斎に付き合っているのは、本当に珍しい事だった。


人になったか───。
そう、思う。

人の情など与り知らぬと、背を向けてきた男。
鬼だ邪だと畏れられてきたその背中。

人の情を知り、愛を知った男は、以前よりもずっと強く──そして、同時に弱くもなっていた。


「もう…話したのか」
ぽつりと、元柳斎が呟く。
それに、鬼から人へと姿を変えた男は、静かに首を振った。
「いえ…まだです…。さすがにこればっかりは、ボクも自分から話す勇気ないですわ」
「情が深そうじゃからの…」
そう零して、継ぎ足した杯を空ける。
あの真っ直ぐな眼差しをその脳裏に描き、元柳斎は深く息をつく。

それが聞こえたのか、市丸は元柳斎に横目を向けて、薄く笑った。

「いくら極道が血に塗れた世界や言うても、あの子はまだホンマの血ぃ浴びる言う実感なんかないんです。
あの事はボク自身後悔もなんもしてへんし、……なんの感慨もない。せやけど…一護にとっては考えられん
禁忌みたいなものや」
遠く思いを馳せるように言う市丸に、元柳斎の眉が僅かに顰められる。
静かに佇むその背に視線を移し、その罪を背負うかの如く、絞り出すように言う。


「儂の迷いが主を血に染めたか……」


それは、この男の罪であり、自身の罪。

いくら血塗れた世界に棲まおうとも、自身が愛し、慈しむはずの存在を、自らその血に塗れさせる事はないはず
であったのに。
それを浴び、嗤う幼子の姿を、一体どれほど夢に見たことか。

その、元柳斎の思いを振り切るが如く、市丸はゆるりと頭を振る。
「いえ……。総長──爺様には何の責もあらへん。ただ、ボクが鬱陶しかったから斬っただけや。
その為に抗争が止んだ事も、ボクの中では後付の理由でしかないです。ただ、唯一今後悔してるんは、
一護を抱くこの手が、すでに血に塗れとるという事だけや。ボクの───親の血で」

そう言って市丸が、自身の手を見つめる。
月明かりを反射して青白く輝く手の平に、今まさにその色を見るように。


この背に咲く華よりも尚紅く──赫いその色──。
見えないそれを握り込むようにぎゅっと硬く拳を握りしめて、市丸は闇に輝く月へと視線を移した。





  end


※爺様登場でございます。まあ、総長って大体想像付いてたとは思いますが(笑)
いやもう、本家の設定考えるの楽しくってね〜。
家とか間取りとか、大好きなもんで。
とりあえず、お披露目編はこれにて終了です。本当の披露目式はギンの襲名と同時にやるんで。
次はいよいよギンの過去編になります。
この当たりからだんだんと血生臭くなるんでご注意下さいませ。