羽根のようなキスが髪に落とされて、一護はその感触に身を竦めた。
頬に添えられた手で、そっと上向かされる。
柔らかなキスが額に降りてきて、一護は思わず反射的にぎゅっと目を瞑った。
市丸とは、もう何度も身体を重ね合わせているのに、いざその時になるとどうしても未だに少し緊張してしまう。
少しだけ身を固くしたせいか、思いの外力の入った瞼と連動するように、眉間の皺も深く刻まれる。
その一護の様子に、くすっと笑みを落とした市丸が、その深い縦皺にもキスを落としてきた。
「もう…可愛えなぁ。そんな、ギュゥって瞑らんでもええやん。…なんや、毎回初めての子ぉ抱いとるみたいや」
「ば…っ!初めてとか……、だ…抱く…とかっ、んな事言うなッ」
市丸の台詞に、耳まで赤くして抗議する一護は、本当に可愛い。
久しぶりの逢瀬に、可愛い反応。そして、これから十分にもっと可愛い恋人の仕草を堪能できる…と、文句で尖らせた一護の唇に啄むようなバードキスを落としてから、市丸はより深く求めるようにするりと舌を潜り込ませた。
「んん…、ギン……」
「…一護…、向こういこ…?」
キスの合間に交わされる睦言に、リビングから寝室へと移動の誘いを掛ける。
目の縁をほんのりと染めて、僅かにコクっと頷く一護を確認して、市丸は口付けは解かぬまま一護の腰を抱き寄せた。次第に深くなるキスと、密着する身体。ソファに腰掛けた状態で、互いの熱を感じ合う。
寝室へと誘い、誘われたものの、今はお互いの熱に夢中で。
市丸の手がするりと一護のシャツの合わせから胸へと滑り込んだまさにその時。
ピルルルルル……と、場違いな電子音が二人の耳に届いた。
「…ちょ…、ギン、ケータイ鳴ってんじゃねぇの…?」
「…あ───、もうっ」
忌々しそうに顔を顰めて、「ごめんな」と一言詫びを入れて、市丸は渋々と一護から身体を離すと、ソファの脇に無造作に放り投げてあったバッグから携帯を取り出して耳に当てた。
「……はい。なんや、……うん…。………はぁ!?なして今からやの?ふざけるのも大概に……、ああ……うん…」
ボンヤリと市丸の声を聞きながら、一護は眉を顰めた。
なんとなく、内容から言って、あんまり歓迎すべき状況ではないというのは、その言葉だけでも分かった。
「…仕事…?」
市丸が携帯を切ると同時にそう問いかける。
それに市丸は、苦虫を噛み潰したような表情で、肩を竦めた。
「…うん…。ごめんな、一護…。急に雑誌撮影のスケジュール変わってもうたんやて。…今から行かなアカンねん…」
綺麗な柳眉を不機嫌そうに歪めてそう零す市丸に、一護は大丈夫だと首を振る。
「いいって。仕事じゃあ仕方ないだろ?俺の事は気にしないで、頑張ってこいよ」
明るくそう言うと、市丸の口が益々への字を描いた。行きたくないと言うのが顔にありありと出ている。
だが行きたくないから行かないという訳にもいかないのは、一護も…もちろん市丸にだって分かっている。
「あーーーッ!もう、なんやねんなッ!せっかく一護とこれからええ事しよう思うたんにーーーー!」
「こら…っ、ギン……!」
ギュウギュウと一護を抱きしめて…というより、抱きついて子供のように喚く市丸に、残念なのは俺も同じと思いながらも、一護はここは自分が大人にならなきゃ…と市丸の銀糸をポンポンとあやすように撫でた。
「仕方ねぇだろ?俺は逃げも隠れもしねぇから、今日は頑張って仕事してこい」
「……ホンマ…?逃げへん…?ボクん事嫌になってどっか行ったりせぇへん?」
「するか、バカ…」
自分よりも年上のくせして、こんな所は本当に子供みたいだと、一護は駄々っ子と化した市丸の広い背中をぎゅうっと抱きしめた。
本当に久しぶりの逢瀬。
その遮られていた時間を取り戻すかのように、甘い時間を堪能していたが。
仕事というなら、それも仕方のない事だと、一護は自分にも言い聞かせる。
モデルとして、そして今や俳優としても、その地位を固めつつある市丸の足を、自分の我が侭で引っ張る訳にはいかない。
「…ほら、ギン」
いつまでたっても離れようとしない市丸の背中を、ポンポンと叩いて促す。
それに市丸は、益々駄々っ子のように一護の身体を、ぎゅうっと抱きしめてきた。
「なあ…してええ…?」
「は!?」
スルという事が何を差すかくらいは、この状況からは明白だ。
いや、確かに収まりが付かない状況までにはなっているのだけれど…。
だが、今はそんな場合じゃないだろうと、一護はブンブンと首を振った。
「ば…っ!そんな時間ある訳ねぇだろう!?もう…、とっとと離せ!」
離れがたいと思っているのはむしろ自分の方だと思いつつ、ここで流されては洒落にならないと、一護は市丸の申し出を頑なに拒否する。
だが、市丸はふいに抱きしめていた腕を緩めると、一護の顔を覗き込んで情け無さそうな顔をして尚も言い募った。
「やって、ボクもう我慢なんかでけへん。一護が欲しいんや、今すぐ」
「そりゃ…俺も…だけど……」
熱の篭もった市丸の視線と言葉に、一護がモゴモゴと口ごもる。
だけど。
状況からして、すぐにこの部屋を出なければならないのは確固たる事実で。
流されるままに頷きそうな自分を懸命に叱咤して、一護は市丸に視線を合わせた。
「…ダメ。ほら、もう行かなきゃなんねぇんだろ?今度…ゆっくりとしよう…ギン…?」
次なる誘いの台詞を自分から吐く事は、酷く恥ずかしかったけれど。でも、そうでも言わない限り、この男は絶対に離れないという確信だけはあるから。
顔を真っ赤にしながら、そう告げた一護に。
およそ市丸には似合わない台詞の爆弾が一護の耳に降ってきた。
「…嫌や…。なあ、挿れさして…。先っぽだけでもええから」
「は…!?バカ…ッ!何言ってんだよっ!」
そんな事で済む訳がないだろうと、一護は思いっきり抗議の声を上げる。
だが、一護の瞳をじっと見据えた蒼い炎は絶対に引かないとばかりに、一護を焼き尽くそうとしていた。
「やって、ボクもう明日からフィッティングでパリやん。そんまましばらくイタリアでロケやし…。そうなるとまたしばらく一護に会えへんねんで。──アカン。な?十分で終わらせたるから。今すぐ、ココにボクのもん咥えこんで」
そう言って背中をするりと滑った市丸の指が、ひっそりと息づく蕾を布越しに擦る。
「バ……」
バカという台詞は、そのまま市丸の口腔に呑み込まれた。
「ゴメンな、一護。今度たっぷり時間かけて愛したるから…。今は、繋がらして。一護ん中にボクのもん吐き出させて…。ボクが居らん間、一護の身体にボクの種呑み込んどいて…」
「…ギン…」
必死というように紡がれるその言葉。
それと同時に胸元を辿り、ジーンズのフロントを忙しなく開いてゆくその手の動きに。
こんな事をしている場合じゃないと思いながらも…それでもやっぱり、この男が欲しいと、一護は身体の力を抜いた。
「…アァ…っ」
下着と共に乱暴に下肢を剥ぎ取られ、いきなりその箇所に触れてきた舌に、一護の身体が反り返った。
ねっとりと淵を舐め回され、その刺激で慣らされた身体が昂ぶり、雄を受け入れるべく浅ましく開いたアナルに、市丸の舌が潜り込む。
「…ひ…っ、イ…ぁ…っ!あ、あ…、やぁ…ん…」
舌が届く範囲の肉襞を余すところなく舌で愛撫される快感に、一護の腰がもっとというように揺れる。
決して自分では見ることもできない秘めたる箇所を、市丸の目に晒され愛撫される事に、背筋を震わせるほどの背徳感と恍惚が繰り返し一護を襲う。
「あ…、あ、ギン…っ」
ソファの背もたれに上半身を預けて、尻を市丸に突き出した格好のまま、一護は妖しく腰を振りたてて市丸を煽る。
市丸から流し込まれる唾液ですら、気持ちがいい。
すでに女のように男根を受け入れる事を覚えたアナルは、待ち望む男のものを受け入れる為に、ひっきりなしに腸液を分泌し、自身でその内部を濡らしていく。
自身の腸液と市丸の唾液でベトベトになった秘肉が、妖しく収縮を繰り返し、市丸を誘う。
「も…、ギン……」
真っ赤に頬を染めて市丸を見上げる一護の表情は、いっそ凶器だ。
その顔に誘われるままに、市丸は硬く猛った自身の凶器を一護の中に突き立てた。
「…あ、ぅ……っ」
潜り込んでくるこの瞬間だけは、何度経験していても慣れることはない。
ぬめりを帯びた先端。硬く張った胡桃のような亀頭。それが、入口を潜り、中に収められるその一瞬だけは、未だにどうしても身を固くしてしまう。
「…ん、あ、ひぃ…っ!」
慎ましやかに閉じていた内部を、容赦ない力で切り開かれる。
市丸のものを咥え込むたびに、その感触を思い出して、身体が溶ける。
「あ、ああ…っ!はぁ…ん、イイ……ギン……っ」
太く硬い亀頭が一護の中に潜り込んだ瞬間、もう待ちきれないというように、一気に奥を突かれた。
愛する男の怒張を呑み込んだ秘肉は、恍惚に戦慄き、それが大好物だと言わんばかりに、はしたなくそれに絡みつき、吸い上げる。
「…ああ……」
脳天まで痺れるような恍惚感に、思わず声を漏らせば。
背後の市丸から、くすりとした声が落とされた。
「…気持ちええ…?」
「…ん、イイ……。気持ち、いっ…っ!あ…、もっとぉ…、ギン……っ!」
問い返す言葉に素直に頷いて、一護はもっとというように尻を振って市丸を誘った。
普段はもっと、時間をかけて施される行為。
憎まれ口ばかり叩いて、快楽を享受することに全然素直でない一護が、こんな風に素直な声を上げるのは、散々蕩かされた後の事で。
それでも、今日は許される時間が少ないという事を一護自身も分かっているのだろう。
素直に快感の声を上げる一護に、市丸は笑み零し、欲望のまま一護の中を突き上げた。
「…は…っ、ええで…一護…。一護ん中が、ギュウギュウにボクに絡みついてきてる…」
欲望のままに、ガンガンと腰を打ち付けながら、そう零す市丸に、尚更一護の嬌声が上がる。
もっと、もっと…。この身体を味わっていたい。
この快楽だけに塗れただの獣になれるこの瞬間を、少しでも長く味わいたい。
だが、二人のそんな願いを現実は許さず。
刻一刻と迫る時間に、二人は早急に上り詰め…。誘うような一護の秘肉に市丸は今日は素直に身を任せて、熱い迸りを一護の最奥に叩き付けた。
退屈な授業が終わり、いつものように友達と下校して分かれ道から数メータ先にあるコンビニに立ち寄る。
コンビニチェーン店での限定のチョコが出ていると、今日早速仕入れた情報を頼りに菓子のコーナーで目的の品を見つけると、そのまま何の気無しに雑誌コーナーへと足を向けた。
「…あ…」
そう言えば、今日発売だったっけ。と、男性ファッション誌の表紙を見て一護は思わずそれを手に取った。
「…これ、こないだの撮影のやつじゃねぇのかな…」
いつも間近で見慣れている顔なのに、こうして改めてみるとやっぱり格好良いと、ぼんやり表紙を眺めていた自分にはっと我に返り、一護はなんとなく気恥ずかしくなって、思わず周りをきょろきょろと見回した。
別に、エロ本を見ている訳ではあるまいし。高校生の男子が、普通に男性向けのファッション雑誌を読むくらい、誰も気に止めないのも分かっているけれど。それでも、若干の気恥ずかしさと、自分の秘密が晒されてしまうようなそんな感覚が伴って、一護はその表紙に載った男の顔を隠すように、機械的に何冊かの週刊誌を重ねてそそくさとレジへと急いだ。
ドキドキと高鳴る心臓の音が周りに聞こえやしないかと、それこそ莫迦な心配をしながらようやく自室で腰を落ち着けると、着替えもせずにコンビニの袋から目当ての雑誌を取り出した。
その表紙を飾るのは、流行の服を身につけて笑みを浮かべる銀髪の男。
一護の大切な恋人である、市丸だった。
「絶対詐欺だよな…」
その表紙を眺めて一護は独りごちる。
今や、モテる男の代名詞というべき存在である市丸が、本当は子供みたいに駄々っ子で、甘えたがりで、面倒臭がりだと言う事なんて、きっと誰も想像できないに違いない。
大体、この撮影なんて、本当に送り出すのが大変だったんだから…と、一護はあの時の状況を思い出して思わず顔を赤らめた。
大学の頃に今の事務所にスカウトされたとかで、市丸は男性向けのファッション誌を中心にモデル活動をしていた。
その当初からもモデルとしての評判は高かったらしく、瞬く間に有名人になってしまった市丸は、今や撮影モデルだけには留まらず、海外のステージモデルや、俳優としても仕事の場を広げていた。
モデルから俳優へと、巷の人気俳優が辿る道を今市丸は着実に歩んでいる。
「…こうして見ると…本当に、芸能人なんだよな…」
まるで、自分と居る市丸が別の人間のようだと、一護はその顔を見ながらふうっとため息を吐いた。
キツネを彷彿とさせる愛嬌のある笑顔と、独特のはんなりとした喋り方。
それと同時に、あの綺麗な瞳を開いて一切の表情を消したその顔は、まるで絶対零度を保つ氷のようで。
そんな二面性が益々彼の人気を煽る結果となり。
芸能関係に疎い一護でさえ、意図していなくとも市丸の名前が日々耳に入るほどの人気ぶり。
クラスの女子にどうやら市丸のファンがいるらしく、そこから語られる芸能人としての市丸は、それが普段自分と居る時の市丸とのギャップで、耳にする一護はなんとなく気恥ずかしくなってしまう。
そして、その彼が自分の恋人である事も。
市丸に恋人が居るというのは、もちろん事務所のマネージャーなどは知ってはいるだろうが、一護は直接市丸の仕事関係者に会った事はない。
誰にも秘密の関係。
自分達が恋人同士だと知っているのは、この世界に自分達だけ。
誰にも知られる事のない関係は、少し寂しくもあり、だからこそ余計にそれが大事に思う。
市丸が自分を大事に、大切に思ってくれているのは、誰よりも自分が一番よく知っているから。
「…会いてぇなぁ……」
ぽつりと呟く。
あの翌日、市丸は今度パリで開かれるコレクションでの最終フィッティングがあるとかで渡仏していた。
そしてそのまま、今度は映画の撮影で2週間ほどローマへ。その後帰国した後もその間のスケジュールで押していた仕事で忙しく飛び回り…。結局、あれから一月近く会えない状態が続いていた。
今が一番、彼にとって大事な時期。
元々時間が不規則な仕事な上、あちこちから引っ張りだこで、録に休む暇もない。
まともに睡眠を取れているのかさえ分からないくらい仕事に追われている市丸。
それでも、僅かな逢瀬の時間すら取れないほど多忙を極める中でも、彼は絶対にメールでの連絡だけは欠かさない。ほんの数行だけ、もしくは『今帰ったよ。おやすみ〜』という小さな報告だけでも。
それは、ほんの少しでも自分達が繋がっているという、確かな確信を一護に与えてくれて。
そんな市丸の心遣いに、一護の気持ちはほんのりと温かくなる。
会えなくて寂しいなど、単なる自分の我が侭だ。
でも……。
「会いてぇ…。触れてぇよ……ギン……」
触れる処か、直接顔を見ることさえ適わない今の状況。
自分が我慢しているのと同じように、きっと市丸だって我慢しているのだろうけど。
あの熱が、声が、一護を溶かすあの瞬間が。
今、たまらなく欲しいと一護は思い、その自分の我が侭さを振り切るようにクッションに顔を埋めた一護の耳に、聞き慣れた携帯の着信音が聞こえてきた。
『今、雑誌の撮影終わったトコ
これからまた取材2本やて〜(泣)
その後映画撮りもあんねんで
もう勘弁して欲しいわ…
あー、行きたないーー!!
そう言う事で、
たぶん終わるん遅なります
ボクが帰る頃には
一護ちゃん夢ん中やね
絶対、ボクん夢見てなv
また明日v』
カチカチと恐ろしい早さでメールを打つと、ピッと送信ボタンを押す。
無事送信できたのを確認してから、市丸はがっくりと肩を落とした。
「あーーーー!やから、もう、何で会えへんのやーーーーッ!」
移動中の車内で思いっきり叫ぶと、運転していたマネージャーがその声にビクーーッと身体を強張らせた。
「市丸さんっ!いきなり叫ぶの止めてくださいっ!ビックリするでしょうっ!!」
その抗議の声も何のその。丸っとそれを無視して、市丸は尚もぼやいた。
「やって、これどう考えても忙しすぎやん!何でこないにスケジュールぎちぎちなん!?イヅルッ!」
イヅルと呼ばれた市丸専属のマネージャーである吉良イヅルは、そんな市丸の文句など慣れた様子で、またかというように、それをさっくりと切り捨てた。
「仕方ないでしょう?結果的に今の時期に重なってるんですから。いいですか?今あなたを起用して下さってる方々は、どの方もこの世界では大御所なんです。そんな方に目を掛けて頂いてる今が、チャンスなんですよ。相手のスケジュールに合わせるのは当たり前です!それくらい、いい加減分かって下さい!」
「…分かっとるわ、そんくらい…。やけどなぁ、なしてボクがこうも大事な恋人に会えへんのやっ!
ああもう…、今に見とけや…いずれ絶対、ボクからあいつらの仕事断ったるからな。どんなに出演して欲しい言うて頭下げても、絶対に出演なんかしてやらんからなっ!お前も社長も同罪やっ!」
ふんっとふんぞり返る市丸に、イヅルは軽く肩を竦める。
「…はいはい。いずれそうなったら、そうして下さい。取り敢えず、今は目の前の仕事はきっちりこなして頂きますからね」
「…なんやの、その生意気な口の利き方は。ボクは大事な商品とちゃうんか。あー、もう、イライラするっ!」
「…それは睡眠不足と、ビタミンとカルシウム不足です、きっと。私のバッグにサプリがありますから、それ飲んで落ち着いて下さい。そんな不機嫌そうな顔で取材受けるなんて、言語道断ですからね」
「そんなことするかい。…もう、ええ…。少し寝る」
ふて腐れたようにそう言って目を瞑った刹那、マナーモードに切り替えていた携帯が、ブルブルと音を立てる。
それにすかさず覗き込めば。そこには愛しい恋人からの返信が表示されていた。
『お疲れ。いつも大変だな。
体にだけは気をつけて。
行きたくないとか我が侭言って、
マネージャー困らせるんじゃねえぞ?
俺は今…お前が載ってる雑誌見ながら
これ打ってる。
やっぱ、お前カッコイイよ。
そういう姿もっと見せて欲しいから、
仕事頑張れよな!
それじゃあ、また明日。
お前の夢…見れるかどうかわかんねぇけど…
俺も見たいよ。
一護 』
表示された液晶の画面を見ながら、市丸の顔に愛しいと言わんばかりの優しげな笑みが乗る。
「ふふ…。ホンマ可愛えなぁ…」
ぽそりと誰ともなくそう呟いて、ふと、その愛しい少年の声を聞きたくなる。
ピッと、通話ボタンを押して発信音が二度聞こえた辺りで、『はい』とこの世で一番大事な恋人の声が耳に届いた。
「…ボク。声聞きたなってん。到着まで少しだけ時間あるから、少しだけお話しよ?」
そう言うと、一護からもホゥ…という甘いため息と共に耳朶を擽る囁きが紡がれた。
『…うん…。俺も…。声聞けて…嬉しい。仕事忙しいんだろ?大丈夫か?』
「うん、心配せんといて。飯もちゃぁんと食っとるし、睡眠もちゃんと取っとるよ。さっきうちのマネージャーからサプリ飲め言われたけど、ボクの究極のサプリは一護ちゃんやし。あー、早よ会うて癒されたいわ」
移動の合間のほんの僅かな時間。
直接会う事が適わない今、声だけで繋がるこの時が二人にとっては許された最大の逢瀬。
互いに愛しいその声を聞きながら、すぐ後に迫る終わりの時間を寂しく思い。
二人を別つ闇は過ぎる時間と共に、次第にその色合いを濃くしていた。
市丸と会えなくなって、数週間が過ぎようとしていた。
相変わらず、メールや電話は密にあるものの、今現在市丸の仕事は来年公開の映画撮影が佳境を迎えているらしく、帰宅するのは深夜、そして撮影は朝早くからという超過密スケジュールだった。
ほんの一目でいいからと、何度か本当に会いに行こうかとも考えたのだが、さすがに貴重な睡眠時間を削るのはダメだろうと沸き上がった思いに首を振る。
マンションの合い鍵はあるし、居ない間に手料理だけ拵えて帰れば…とも思ったけれど、あの部屋に居ればどうしても会うまで帰りたくなくなるだろうし、そうなってしまったらきっとその先も…と思うとそれすらも実行に移せない。
市丸も、普段我が侭なくせに、きっと一護の考えている事が分かるのだろう。
今回は珍しく無理にでも会いたいとは口に出さない。
『もう少ししたら、時間取れるから。ごめんな』と、申し訳なさそうに言う市丸に、疲れているのに自分の心配までさせてはいけないと、一護は市丸と話す時にはなるべく明るく接するように自分に言い聞かせていた。
そんなある日の放課後。
いつものようにぶらりと立ち寄ったコンビニで、普段は目に留めない写真週刊誌が目に入った。
「…え……」
一瞬、身体が固まる。
バクバクと早鳴る心臓の音に、一護は一瞬現実を失った。
震える手でそれに手を伸ばし、ラックから抜き取る。
『市丸ギン──深夜のデート』『女優と密会!?』
それがその雑誌の目玉記事なのだろう。派手な見出しでデカデカと書かれた文字に、一護は大きく目を見開いた。
「…なんで……」
思わず呟きが漏れる。
動揺が隠せずに、パラリと雑誌を捲ると、見開きのモノクロ写真が一護の瞳に飛び込んできた。
かなり荒い写真だが、見間違うはずがない。
二人寄り添うように歩く後ろ姿のロングショット。横顔の二人は、なんとなく見つめ合っているようで。
長い髪の女性は、よくテレビで見かける女優だと言う事がこの角度からでも分かる。
長身の市丸を見上げて何かを話しているかのような彼女に、笑いかける市丸の横顔。
これだけでは何とも言えないと、書かれた記事に目を落とし。
一護はそのままパンッと音がするくらいの勢いで、その雑誌を閉じた。
人は、見たくないものほど、気になってしまうらしい。
結局、悩んだ末購入したその雑誌に何度か目をやって、深くため息を吐く。
無造作に床に放り投げていたそれを、もう一度だけ見ようと手を延ばしては、引く。
それを何度か繰り返して、一護はぐっと唇を噛むと、決心したようにそれを手元に引き寄せた。
目当てのページを開き、なるべく写真は見ないようにして、記事だけを追っていく。
煽るような文章ばかりで、今一何が言いたいのかよくわからなかったが、どうやらこの記事を書いた記者の目からすると、二人は付き合っているらしいとの事だった。
今までも、こういった女性スキャンダルが市丸に無かった訳ではない。
だが、こうした写真付きでの記事は今回が初めてで、しかも以前ならどう考えても一護と一緒に居た日に何かあっただの、さすがにそれはないだろうという一護にすら分かるようなガセばかりで、有名人になると大変なんだなーくらいの余裕でもって笑い飛ばせる程度のものだった。
だけど今回は。
ずっと、撮影で忙しいと言っていたこの時期。
会いたくて、顔が見たくて……市丸が欲しくて。
それでもずっと我慢していた自分を市丸だって知っているはずのこの時期に。
自分が我慢しているように、彼だって同じ気持ちなのだと、信じていたのに。
一護に会う暇はないくせに、こうして女性とデートする暇はあるのかとなんだか裏切られたような気分で、一護は記事を読み進めた。
記事によると、写真は先週撮られたものらしかった。
「…先週……」
ふと思い立って一護はバッグから携帯を取り出し、メールボックスを開いてスクロールする。
「…木曜…か…?」
やはり、思った通り。
先週の木曜日。この日だけ、極端にメールが少ない。
きっと撮影で忙しいのだろうと、その時は思って特に気にはしていなかったのだけれど…。
普段は一護が寝入った後でも必ず帰ってきた時は送ってくるはずのお休みメールが、この日だけはない。
「疲れてたんだろうって思ってたのに……」
たかが、メール1本。それだけだ。
それだけで気持ちを疑うなんて。
こんな記事のほとんどが記者の勝手な思いこみか、捏造である事くらい一護にも分かっている。
分かっていても、でも。
自分以外に向けて笑いかける市丸。
そんなもの、見たくなんかない。しかも、今。
相手の女性は、今回の共演者だという事がその記事でわかった。
それならばきっと、市丸と一緒に居る時間だって長いのだろう。
あの海外での撮影にだって、一緒だったに違いない。
いくら他の共演者やスタッフが一緒の仕事だったとしても。
絶対に、何もなかったなど、本当に言い切れるのだろうか。
記事には、その共演が縁で付き合い始めたのだろうと結んでいた。
「……なんでだよ……」
今すぐ会いたい。会ってちゃんと市丸の口から話が聞きたい。
でも───。
「先に…言い訳の一つくらい…しろっての……」
こういう記事が出る時には、大体において本人にはその前に知らされる。
今までだってそうだったし、そしてそれは、いつも市丸の口から一護にも知らされていた。
だからこそ、何の不安もなかったのに。
「……ギン……」
不安が波のようになって一護に襲いかかる。
今ここに市丸が居れば。一緒にいたのなら。
それだけでこの不安はきっと晴れたはずなのに──。
遣り切れない思いで一護は壁に雑誌を投げつけると、零れそうになる涙を堪えるように、抱えた膝に顔を埋めた。
「えー、ウソ、ウソ!行く!」
きゃあきゃあと騒ぎ立てる女子の声に、一護は何だ?と言うように目の前の水色に視線で問うた。
「なんかロケがあるみたいだよ。ほら、今度公開の話題作」
「…ロケ…?」
事情通の水色の口から出た映画のタイトルに、一護は思わず眉を顰める。
市丸の出演する映画。あの女優と共演するまさにその映画。
「そういえば、この前から話題だよね。あの俳優…えっと市丸ギンだっけ、と熱愛って」
ついに本命か!?とこの所ワイドショーでもひっきりなしに取り上げられている話題。
幸い高校生の一護はそんな番組がやっている時間にテレビなど見られる訳もなく。
世間が騒いでいるという事は知ってはいたが、お決まりの過熱報道の有様をこの目で見ないだけでも、ありがたいと思っていた。
だが、今朝になってとうとう、朝の情報番組で偶然そのニュースを見る羽目に陥った。
市丸自身は何のコメントも出してはいないし、知らぬ存ぜぬで通しているらしいのだが、相手の女優の方が所謂突撃の囲み取材というやつで、一言コメントを出していたらしかった。
『いいお友達です』という、これまたお決まりの台詞。
映画公開に先駆けてのいい話題になるという戦略もあるのだろう、否定も肯定もしないその言葉に、一護は食べかけていた朝食がそれ以上喉を通らず、そのまま呆然と画面を見つめていた。
肝心の市丸からは雑誌の発売当日にメールが届いていた。
一言、『あれはウソやから気にせんといて。しばらく忙しいから会えへんけど、ごめんな』
たったそれだけの短いメール。
結局、一護は悩んだ末、それに『わかった』という一言だけを返した。
その後、何件かの着信があったようだが、一護はそれを敢えて見ないふりをした。
会って直接顔を見て話すなら兎も角、電話の声色だけで市丸の真意を本当に測ることなど出来るのかと考えたら、怖くて電話に出ることが出来なかった。
それに…きっと、今話したら感情のままに色々市丸にぶつけてしまうだろう。
あれからも相変わらず市丸からのメールは届く。
いつもの調子で。
それに、一護もいつもと変わらないような返信を打ちながら、胸の中の不安はどんどん大きくなっていった。
「…ロケ…どこだって…」
すでに話題が変わっている水色と啓吾の話をぼんやりと聞きながら、一護が口に出す。
「え?なに、一護行くの?」
不思議そうにそう聞いてくる水色に、言い訳のように首を振る。
「いや、別に…。どこかなって…思っただけ」
興味がないなら聞かないだろう普通と、自分でも苦しい言い訳だと思いながらそう言うと、水色は一瞬首を傾げたものの、あっさりと場所を教えてくれた。
──会いたい。
話なんてできなくてもいい。
市丸の電話を避けまくっている自分が取る行動じゃないけど。
でも、遠くから少し見るだけなら。
自分の目で…二人の様子を見て…それでこの不安が消えるなら。
今まで、どんなに場所が近くても、市丸の仕事場に顔を出した事なんて一度もなかったけれど。
二人だけの秘密の関係。それが今、酷く苦しい。
市丸の恋人だと騒がれている女優に、世間に、市丸は自分のものだと言ってやりたい。
もちろん、そんな事ができる訳はないのだけれど。
沸き上がる独占欲と醜い猜疑心。
自分の心がこんなにも醜い感情で溢れていただなんて。一護は今まで知らなかった。
ロケの現場は人だかりで騒然となっていた。
一般人が近づけないようにロープが張られ、幾人ものスタッフが注意を呼びかけている。
その人だかりに紛れて、一護はその撮影の様子をじっと見ていた。
もしかしたらこのシーンに、市丸は出ないのだろうか。
結構な時間が経ったというのに、肝心の市丸は一向に姿を見せてはこない。
今回の役所は、主役ではないものの、それに絡む重大な役回りだという事で、興行が成功すれば間違いなく市丸にとっては出世作になるような作品だった。
今か今かと市丸の出番を待つ。と、周りから一際大きい喚声が響き渡った後、漸く市丸が姿を見せた。
慌てて注意するスタッフにしばらくして漸く静かになる。
それでも、口々に話す声を、一護の耳は勝手に拾っていた。
「えー、超カッコイイ」
「ねえ、あの話マジだと思う?」
「でもさ、仲いいってウワサだよ?」
「ねー、恋人同士で恋人の役やるって、どんな気分なんだろ」
「え、じゃあさ、マジもん、ここで見れるってことぉー?」
「やだーー!あたしのギンなのにぃーー」
普段は、女子のこういった声など気にも留めないのに。
その声が酷くイライラする。思わず静かにしろと怒鳴りたくなるのをぐっと堪えて、一護は市丸にじっと視線を注ぐ。
相変わらずの飄々とした足取りで、立ち位置の確認や軽い打ち合わせをしている姿に、思わず涙が出そうになる。
スタイリストなのだろう、市丸の銀糸のような髪に触れるその手にすら、嫉妬で胸が苦しくなる。
今自分が触れる事ができない市丸の髪に触れるその手が、嫌で仕方ない。
ようやく撮影が始まり、あたりがシンとする。
目の前のシーンは、どうやらラブシーンのようだった。相手は──、話題の彼女。
台詞まではよく聞こえない。向かい合った二人が何やら真剣な様子で話している。
そして次の瞬間、市丸が彼女を引き寄せ、抱きしめた。
思いの丈をぶつけるような熱い抱擁。
そのシーンに、一護は反射的にぎゅっと瞳を閉じた。
あれは、演技だ。ただの台本通りに、演じているだけだ。
そう必死で自分に言い聞かせる。
頭では分かっているのに。
でも───素直に今、そう思えない。
「やだ、ちょっと、あれ本当に演技?」
「…だよねぇ…」
ボソボソと聞こえる話し声。
当たり前だろう、市丸があんな風に抱きしめるのは、ここにいる自分なんだから。
そう、この場で叫びたかった。
抱きしめる時の腕の強さも。貪るような口付けも。甘く囁く言葉も、市丸の熱も。吐息でさえも───。
何もかも自分は知っているのに。
でも。
目の前で繰り広げられる抱擁は、それが撮影だと分かっていてさえも、極自然で。
市丸の事を何もかも知っているはずの自分ですら、あれが本当に演技だけなのか、それともそれ以上のものが何かあるのか判断がつかなかった。
二人の様子を見れば、きっと分かると思っていたのに。
カットが掛かり、シーンが終わっても、仲良さそうに話し込んでいるその姿に。
堪らない思いで、一護はぐっと唇を噛みしめていた。
一通り撮影が終わったのか、スタッフが機材を片付け始め、それと共に人波が駆け出すように移動する。
何だ?と思っていると、どうやら移動の車目当てに急いでいるのだと気づく。
馬鹿馬鹿しいとも思ったが、一護もそれに習い移動車が止まっている辺りまで走ると、丁度市丸が乗り込む所だった。まるで叫ぶように次々と掛けられる声に、市丸が一瞬だけ視線を寄越す。
にっこりといつもの笑みを向けて、軽く片手を上げてから車に乗り込む。
警備に押されるように発進した車を追いかけて、ファンの子が走り出す。
それを一護は呆然と見つめていた。
一瞬、目が合った気がした。
確かに、市丸は一護の方を見た。
すぐに視線は逸れたけれど。
「きゃぁ、あたし目が合っちゃった!」
「絶対、こっち見たよねっ!」
一護のすぐ近くにいた子達から口々にそんな声が聞こえる。
数週間ぶりの市丸の姿は、何も変わってなくて。
そして、あんなに近くにいた市丸が、今、とても遠く感じていた。
人混みを離れて、重い足取りで駅まで向かう一護の耳に、聞き慣れた音楽が聞こえてきた。
携帯の着信音。慌てて鞄を探り表示を見ると、市丸からだった。
どうしようと一瞬考えて、一護は通話ボタンを押した。
『もしもし?』
「うん、俺」
変わらない市丸の声。あの移動車の中なのだろうか。いつもは呼びかける一護という名が出てこない事に、周りにまだ誰かいるのかと思う。
『さっき来てたやろ?』
「あ…、うん…。えっと、ロケだって聞いたから…どんなかなって…」
遠くからこっそり見るだけ。別に悪いことをしている訳じゃないのに、なんでこんな言い訳がましい事を言ってるんだと、一護は言いながら情けなくなった。
しばらく会ってなかったから、一目でも会いたかったと。素直に言えばよかったと後悔したその時。
僅かな沈黙の後、市丸がため息を吐くような音を電波が拾った。
「……ギン…?」
『もう…来んといて』
「え…」
一瞬、言われた意味が分からずに聞き返していた。
『なして来たかは大体想像つくけど。まあ、また電話するわ。あと……』
そう言って市丸が声を潜めて言う。
『しばらくマンションには帰らへんから、あそこも行かんといてな』
「え……」
『──え、ああ、はい。あ、御免な、もう着くから切るで』
絶句する一護を残して、それを最後に通話が切れた。
ツーツーという耳障りな音だけが、そこから聞こえてくる。
周りに人がいたせいだろうか。酷く事務的だった市丸の口調。
いや、あれは事務的というべきものだったのだろうか。
もしかすると、いらなくなった自分をばっさりと切り捨てるような口調ではなかったか。
また電話すると…そう言っていた市丸。
その電話とは、一体なんだろうか。
もしかしてそれは、別れ話なのだろうか。
グルグルと回る思考。どす黒いものに呑み込まれていく心。
どうしたらいいかだとか、何をするべきなのかとか。そんな考えが一切沸いてこない。
ただ立ちつくす自分が、これからどうしたらいいのかすらまったく分からない。
「……ギン───」
溢れる人混みの中で、ただその名を呟くだけが、精一杯だった。
結局。市丸からの電話に出る事はできなかった。
一・二度なら兎も角何度掛けても出ず、おまけに折り返しもしない一護は市丸からどう思われているのか。
色々考えようとしたけれど、思考が凍り付いたように、何も考える事ができなかった。
もう、どう思われてもいいと、いっそ投げやりな気分になる事もあれば、まだ良く思われたいと思う気持ちもあって。
あの時の、拒絶するような市丸の言葉を思い返すたびに、心は塞がれて。
毎日届くメールでさえも、見る事ができなくなっていた。
「なー、一護。帰りゲーセン寄ってこうぜ?」
自分は普通にしているつもりでも、元気がないのは一目瞭然なのだろう。
この所何かと一護を元気づけようとして誘いを掛けてくる啓吾たちに済まないと思いながら、一護は精一杯笑って首を振った。
「ん…、悪ぃな。今日は帰るよ」
「今日は、って、今日も、だろー?なー、いいじゃん、遊ぼうよーいちごー」
元気づけてくれているつもりなのだろうが、啓吾のこのいつものテンションが、若干ウザイ。
「行かねぇ」
きっぱりとそう言うと、冷たいーーと嘆かれる。
悪いとは思いつつも、ウザイものはウザイので、一護はきっぱりと無視してスタスタと教室を出た。
足早に学校を出てから、ピタリと足が止まる。
このまま家に帰って一人でいても、結局は気持ちは沈むばかり。
それくらいならいっそ誰かと居た方がまだ気は紛れるかも…と思いつつも、やっぱりそんな気力もない。
帰りたくない家に向かってノロノロと再び歩き出した時、一護の腕がいきなり細い路地から飛び出してきた手に掴まれた。
「え…?」
こんな時に、と一瞬思う。
売られた喧嘩を全て買っていた中学時代のせいか、未だに一護の名は近隣の学校では有名だ。
こんな気分の時に喧嘩なんか御免だと思い、掴んだ相手を見上げた途端、一護は驚愕に目を見開いた。
「……ギ……」
「…来ぃ」
目の前には目深にキャップを被った市丸の姿。
呆然とする一護を引っ張って、路地を抜ける。
そのまま抜けた先に止めてあった車に押し込まれて、市丸は有無を言わさず車を出した。
そっと横顔を盗み見る。
いつもは笑顔を作るように上がっている口角が引き結ばれ、その雰囲気は冷たい。
きっと、怒っている。というより、もう完全に嫌われてしまっているのだろうか。
別れ話すらさせてくれない一護に、憤りを感じているのかも知れない。
そう思うと、今すぐこの場から逃げ出したかった。
「……なんで、電話出ぇへんの?」
しばらく無言が続いた後、市丸がそう切り出した。
それにただ、一護は下を向く。
その様子をちらりと横目で見て、市丸はまた視線を前に向けた。
「メールもや。全然、見てへんのやろ、ボクが送ったやつ」
続けてそう言われ、一護は泣きそうになりながらポツリと言った。
「…ごめん……」
それっきり黙り込んだ一護に、市丸は胸ポケットからタバコを取りだし、火を付けると聞こえよがしなため息と共に紫煙を吐き出した。
「タバコ…吸ったっけ…」
嫌煙家とは言わないが、今まで市丸が吸ったのなんて見たことがない。
思わず不思議に思ってそう聞くと、二口目の煙を吐き出しながら、切り捨てるように言った。
「吸わへん。何かしてへんとイライラするだけや」
そう言って灰皿に押しつけてねじ切るように火を消すと、乱暴にハンドルを切る。
キィーと、タイヤが軋みを上げる音が聞こえ、身体が大きく揺さぶられる。
そのまま車はどこかの建物の駐車場に滑り込み、空いたスペースに駐車すると、市丸がシートベルトを外した。
「…降り」
そう言って助手席に回りドアを空ける。
何がなんだか分からずに呆然とする一護の手を掴んで、車から引き摺り出す。
「ちょ…、ギン…っ!」
混乱する一護を引き摺るように歩いて、市丸は駐車場から続く建物の自動ドアを潜る。
「え…」
ずっと下と市丸しか見ていなかったから、ここがどこだかまったく分からなかったのだが、どうやらここはラブホテルのようだった。
「ちょ…、なんで…」
どういうつもりでと聞く一護に、適当に部屋を選んで市丸が再び一護の手を引く。
「別にドコでもええ。二人で話できるトコ選んだだけや」
「…だったら…」
市丸の家でもいいではないかと、そう言いかけた一護に、「あそこには帰ってへん言うたやろ」と市丸が苛ついた声を出した。
部屋へ入るなり、ベッドへと投げ出される。
一体何をするつもりだと市丸を見上げれば、怒りを露わにした市丸の瞳とぶつかった。
ゾッとするような冷たい市丸の怒り。背筋が冷えるほどのその冷気に、思わず身を捩ろうとした一護の肩を、市丸の両手がぐっと押さえ込む。
爪が食い込む程の力で容赦なく押さえ付けられて、一護は苦痛に顔を歪めた。
「ギン……」
離せと、そう言おうとした一護の言葉を市丸の言葉が遮った。
「…そんなに、ボクが信じられへんの…」
「え…」
この今の状況で、確実に別れを切り出されるものだと思っていた一護は、市丸の言葉の意味が掴めず思わず聞き返した。
「ボクが信じられへんのかて聞いてるんや」
それは、一体どういう事だろうか。もしかしてまだ市丸は───。
「ギ……」
市丸の言葉を問い返そうとした一護を、再び市丸の言葉が遮る。
「あんなん、ウソやて、ボク言うたよな?それに、分かった言うたんは一護やないんか?」
「…だっ、て……」
そう、確かに言った。いや、そう返信した。だけど……。
「ボクが忙しい言うて、あんな女とよろしくやっておったて…ホンマにそう思てるんか?まったく…一人でグダグダ考え込まんと、直接ボクに言うたらええやろっ!それ出来んほど、ボクは信用ならんのか!?」
「……ッ」
抑え込まれた肩に体重を込められて、一護が息を呑んだ。
「ギン…、待って…、俺は……」
本当に、自分の誤解なのかと、そう問いたかったのだけれど。
肩の痛みとまだどこか混乱した頭が、一護の言葉を奪う。
それを冷たく見下ろして、市丸が再び口を開いた。
「言いたい事があったら言うたらええ、聞きたい事があったらボクに直接聞いたらええやろ…?そう思うて何度も電話してるんに、出ぇへんかったら話かて出来ひんやろっ!」
「だって……っ、俺は……!」
別れ話だと、そう思ったのだ。
だから、怖かった。
だから、出ることなんてできなかった。
信じていなかったと言われれば確かにそうかもしれない。でも、だったら、あの時のあの言葉は……。
あれがあったから、自分は───。
「なんで…」
「なんや」
未だ怒りが収まらないというような市丸を見上げる。
そうだ。こんな風に怒るくらいなら、あんな言い方しなければいいじゃないか。
「……んで……、じゃあ、なんであんな事言ったんだよッ!」
もう、来るなと。現場だけでなく、市丸の家にも来るなと。
それはまるで、もう市丸のテリトリーに一護は入るなと言われたようで。
だからこそ、悩んだのに。そして…傷ついたのに。それなのに、信じていないと言って怒るなど理不尽過ぎる。
悔しいのと、悲しいのと、そして…安堵と怒り。
色々な感情がないまぜになって、溢れた言葉と共に、一護の目に涙が浮かぶ。
その瞳をじっと見ていた市丸が、憤りを吐き出すように、深く息を吐いた。
「やから…、それの説明もしよう思うてたんやろ。ボクん事が好きで好きで、こうやって泣くくらい愛してんやったら、ちゃんと言うたらええんや。どこにも行くなて。自分だけ見ろて、あんな女より自分のがええやろて、ちゃんと言い、一護」
「んなコト……」
言える訳がない。
でも…、本当は言いたかった、ずっと。
市丸を一番思っているのは自分だと。一番愛しているのは、絶対に自分だと。
だけど……。
「ギンも……そう思ってるか…分かんねぇじゃん……」
分かってるつもりだった。今までは。でも、一度不安になった気持ちで、それを言い切る事ができるほど、自分は図太くはない。
その一護の言葉に市丸が僅かに眉を寄せた。
「まったく…。やったら今から教えたるわ。ボクがどんだけ一護ん事愛しとるか…。
ちゃんとその身体で覚えぇ」
そう言って、市丸が一護の首筋に顔を埋めた。
「な…、ま…待て…っ!ギン、説明が、先…っ」
首筋を吸い上げてくる市丸から逃れるように身を捩って、覆い被さる身体を押し返す。
市丸の気持ちは分かった。それが自分の誤解だったという事も。
でも、肝心な事はまだ何一つ聞いていない。
「後や、そんなもん」
そう言って市丸が制服のシャツを荒々しく開いた。
力任せに開かれたシャツからボタンが弾け飛ぶ。
「ちょ…、ギ…っ!」
それに抗議しようとした一護の口を、市丸は強引な口付けで塞いだ。
「ん……、んん…っ」
奥に縮こまる舌を引き摺り出され、市丸の舌に絡め取られる。
いつもの市丸とは違う荒っぽい口付け。だが、久しぶりに市丸から与えられるそれに、一護の身体は素直に反応し、一気に熱が上がる。
「ん……」
次第に自分からも舌差し出し、積極的に絡めだす。
聞きたい事も、言いたいことも山ほどあるのに。
それでも、こうして市丸から求めてられている事に、一護の心も、身体も歓喜の悲鳴を上げていた。
「は…、ぁ、あっ……」
貪るような長い口付けを漸く解かれ、市丸の舌はそのまま顎を伝い首筋にぞろりと這わされる。
何度かそこを行き交った後、ちゅうっと吸い上げ鬱血痕を残す。
僅かに感じるツキリとした痛み。それに思わず声を上げれば、そのすぐ下にある鎖骨に歯を立てられ、あやすように舐め上げた後、また吸い上げられ痕を残される。
「ん…、ンン…ッ」
一護の両手が上がり、その肩に手を掛けようとすれば、それを逃れるためと勘違いしたのか、市丸の手が手首を掴み、頭上に一纏めに縫いつけられた。
「あ、ギン…」
「黙っときぃ」
呼びかけは抗議のつもりではなかったのに。今は何も聞く耳は持たないとばかりに返され、唇はまた一護の肌に紅い華を散らしていく。
はだけられた胸の色づき始めた飾りに辿り着くまでには、無数の紅がほんのりと上気した肌に彩られていた。
「ア!あ…んっ、やぁ…っ」
直接触れられてもいないのに、ぷっくりと勃ち上がった胸の果実に、チロリと舌が這わされる。
その漏れ出た声が合図のように、市丸に食まれる。口腔に迎え入れられたそれは、舌で転がされ吸われ、歯で扱かれる。
久しぶりの刺激を敏感感じ取ったそこは、痛みすら快感に変えて一気に脳天を貫いた。
「ひぁっ、あ、あ、や…、もぅっ!」
執拗に繰り返される、舌と唇での愛撫。もう片方の実は、同じように指先で捏ね回され、捻り上げられた。
ビクンと身体が跳ねる。
痛みすら、もう気持ちがいい。
頬を染め上げ、ひっきりなしに艶めいた声を上げ続ける一護に、腫れた乳首を舐めながら市丸が低く嗤った。
「痛いのがええの…?」
「んん…っ」
クスクスと笑う度に吐息が敏感になったそこを擽る。
否定しようと首を振ったはずなのに、感じ入る声は肯定にしか聞こえなかった。
「やぁ…っ、も…そこばっか…、アア…っ」
既に制服のズボンの中では、育ちきった陰茎が天を向いていた。まるで態とかというように、一切の手を触れず放置されているそれは、刺激を求めて一護の腰を揺らす。
慣らされた身体は、与えられる快楽を覚え込んでいる。ペニスへの刺激も、その先も……。
執拗に胸を責める市丸に、早くそれが欲しいと、強請るように腰を回して一護は先を促した。
「はしたないで、一護。待って言うたくせに、自分からお強請りするん」
嘲るようにそう言って、またピチャリと敏感になった乳首を舐め上げる。
「あああっ!ヒァ…っ、や…、だって…ぇ…」
急速に昂ぶらされた若い性は、下着の中でトロトロと密を零しながら溜まった精を吐き出したいと望む。
それだけには留まらず、雄を受け入れる快感を知っている一護のもう一つの性器が、早く逞しいそれが欲しいと浅ましくパクパクと口を開く。
何の状況説明もないまま市丸に抱かれる事に抵抗がなかった訳ではない。
だが、市丸によって高ぶらされた身体は、既にそんな言葉よりも市丸自身を欲しがっていた。
「ギン…俺、も……」
市丸が欲しい。
彼が自分の男だと実感したい。
布越しに聳り立つ市丸のモノを感じながら、一護はソレを自身が愛撫することを望む。
ずっと一護が欲してきたもの。熱く硬い市丸のモノを今存分に一護は感じたかった。
だがそれは市丸の言葉によって止められる。
「…まだや。後でたっぷり舐めさせたる。もうええ、言うまでボクのミルク呑ませたるから…先こっちで呑み」
そう言って市丸の指が布越しに一護のアナルの縁をなぞる。
「ん…あ……っ」
ぞくんと快感が一護の背を駆け上がった。
久しぶりに繋がる。この身体に市丸を受け入れて、快楽の淵に落とされる。
その期待に思わず瞳を潤ませた一護に、市丸が意地悪く囁いた。
「そないにボクが欲しいん…?やったら自分で挿れて?」
「ん……」
誘うような市丸の言葉に素直に頷く。
市丸の手で下着毎ズボンを擦り落とされ、露わになった下半身をその目に晒す。
いくら市丸が見慣れた姿だとはいえ、元来羞恥心の強い一護には恥ずかしい事には変わりない。
だが、もうそんな事には構ってはいられなかった。
横たわった市丸の腹に馬乗りになり、震える手で前を寛げ天を向いた逞しい怒張に手を添える。
ガバリと両足を開いた姿勢で、市丸を受け入れるべくアナルにその熱い塊を宛う。
「あ…ギン……」
まるで見せつけるようにゆっくりと市丸のモノを飲み込んでいく。
久しぶりに受け入れるソコは、大きすぎる異物に僅かな抵抗を示したものの、それが望んだ男のものだと知った瞬間妖しく蠢き奥へと誘う動きに変わっていった。
「ん…、あ、あああ……っ!ギン……っ」
ゆっくりと体内を犯してゆく市丸のペニス。
自身で受け入れる事に、それをつぶさに観察されていることに恥ずかしさを覚えない訳ではなかったが、それよりも早くこの熱に自分の全てを溶かされたいとそう思った。
がばりと足を開いた体勢で、時間を掛けて根本まで飲み込んだ一護は、そこでふうっと一つ息を吐く。
愛しい男のものが、奥まで届いている。
これが欲しくて欲しくて。狂いそうになった日々。一度は別れを覚悟し、もう二度とこの身体に受け入れる事はできないと嘆いていた自分。
身体の事だけではない。市丸から愛され、幸福だった日々がどんなものより貴重だと本当に思い知った。
だから。彼が望む事ならなんでもできる。
自分にとって何が大事なのか、何が大切なのか…無くしたくないものなのか、思い知ったから。
「は…ぁ…。ギン…、見…てぇ…」
市丸を受け入れる自分を。歓喜に震えるこの姿を。
市丸のもので、こんなにも淫らになれる自分を───。
この世の誰よりも。この男を愛している。他の人間が入る余地がないくらいに、深く繋がりたい。
こんなにも自分が市丸を求めているという事を知って欲しい。
市丸が自分を愛しているというのなら。恥も外聞もなく、全てを晒け出してもいいとそう思った。
「あ、あ…、ああああ───っ!」
腰を振りたて、繋がっている箇所を晒すように後ろ手を付き惜しげもなく両足を開く。
「よう見えてるで。一護が美味しそうにボクのん咥え込んどるトコ」
するりと繋がりあった箇所に指を這わされ、その刺激に更に甘い声が上がった。
「あ、ん…っ。はぁ、あ、あっ」
市丸を飲み込んだまま懸命に腰を振る一護の腰に市丸の手が添えられる。
「もっと激しく動かんと、こんな刺激やったらボクイけへんよ」
「ん……」
市丸の言葉に一護はコクコクと頷くけれど。既に感じ過ぎた身体はガクガクと震え言う事をきかなくなっていた。
「…や…、ダメ…も……。ギン、お願い……」
涙目でそう訴える一護に、市丸は「しゃあないなあ」と苦笑して一護の腰が上がった瞬間を見計らって腰を掴み一気に根本まで咥え込ませるように腰を引き落とした。
「ひ、あああああ──────っ!」
そのまま一護の身体を上下に激しく揺らし、下からも勢いを付けて突き上げる。
中を思うように蹂躙される様に、一護は嬌声を上げ乱れ啼く。
「あ、あ、──ギン──っ!…イク…イっちゃ……」
「一護」
縋るように伸ばされる一護の手。
それを掴み引き寄せて、自身も上体を起こすと市丸はしっかりと一護を抱きしめた。
「腰、もっと振って。…ボクもイクで」
「ギン……っ」
パンパンと肉がぶつかり合う音。荒い息づかい。濁った水音。
汗に滑る身体と内と外で感じる互いの熱。
そして、その合間に囁かれる市丸の甘い声。
「愛しとる。一護」
何もかも。この瞬間全てが、愛しい。
「ギ……ン、アアア───────ッ!」
長い悲鳴を上げて達した一護の中に注がれる市丸の熱い精。
それにまた身体を震わせて、一護はぐったりと市丸の腕の中に倒れ込んだ。
はあはあと、荒い呼吸が落ち着くのを待って、繋がりあったままシーツへと倒れ込む。
「一護……」
額の汗を吸い取るように市丸の唇が落とされ、ゆっくりと米神へと移動する。
濡れた髪を梳いた手が首筋を辿り、背中を優しく撫で擦るその動きにうっとりと目を閉じていた一護は、次の瞬間ぱちっと目を開いて市丸を見上げた。
「ん、なに?」
「…いや…、なに…じゃなくて」
「んー?」
「…ちょ…、こら、待て!」
再び中のものをゆるゆると動かし始めた市丸に、慌てて制止の声を上げる。
「嫌や。待たへん」
「待てっ…て…っ!お前…説明するっつったろーがっ!」
確かにまだ、何の説明もされていない。
市丸の気持ちがまだ一護にあるということは、一護にももう分かってはいる。
だからといって、このまま有耶無耶にはできないと一護が抗議の声を上げれば。
「話す時間がもったいない」と巫山戯た台詞を吐いて、早急にコトを進めようとする市丸に、さすがの一護も声を荒げた。
「じ…冗談じゃねぇよっ!俺がどんだけ悩んだと思ってんだッッ!!」
そう言って精一杯の力で市丸の肩を押し返す一護に、漸く身体を離した市丸が一護をじっと覗き込んだ。
そして、ボソリと一言だけ言う。
「マスコミ対策や」
「は…?」
その言葉に要領を得ないというように首を傾げた一護に、市丸がふうっと濡れた髪を掻き上げた。
「やから、あん時はあの一件でマスコミ連中がボクに貼り付いとったんや。お陰でマンションにも帰られへん、ホテルにカンヅメ状態や。一護にはキツイ言い方してもうたけど、あん時は一護だけは護らな…て、それしか考えてへんかったから…ホンマご免な。ったく…あんクソ女、宣伝か売名か知らんけど、ようも填めてくれたもんやわ…」
「え…、填めたって……」
その言葉にきょとんとして一護が聞き返すと、市丸は苦虫を噛み潰したような表情で吐き捨てるように言った。
「最初っからそのつもりやってん。あの写真はな、ホンマは周りに大勢人おんねんで。あの日は撮りが早う終わってな、ボクは一護に会おう思て帰るつもりしてたんよ。やのに、監督やらキャストやらとの食事会やて。それでも途中で抜け出そ思たら、イヅルの奴が帰してくれへんし。おまけに撮影んとき預けた携帯かて返してくれへんのやで。そうこうしてるうちに時間は遅うなるし…。しゃーないからあの日は諦めたんや。ったら、あの写真やろ」 「じゃあ、あの日メールが無かったのは…」
「携帯イヅルに預けたまんま忘れとった」 こうして聞けばなんて単純な理由。
だが、それだけでは説明の付かない事もまだある。
「でも…、じゃあ何で先に言ってくれなかったんだよ!?前はちゃんと言ってくれてただろ?だから…」
そう、元々の不安の原因はそこなのだ。
それを事前に知らされていたなら、こんな事にはならなかったのに。
「それもな、ボクが知らされたんはその当日やねん。ボク最近忙しゅうて一護に会えへん言うんでかなりイライラしとったから、事務所側も敢えてボクには言わんかったんや。知っとったら、何が何でも止めぇ言い出すて思てたんやろ」
腹に据えかねると言うように吐き捨てる市丸を見上げて、一護が確認するように問う。
「じゃあ…あれ全部…本当の捏造だったって事か?」
それに市丸は、憮然とした表情で頷いた。
「せや。映画の制作サイドも、事務所も、ぜーんぶグル。ようある話題作りいうやつや。まあ、どうせしばらくすれば自然と立ち消えになるやろ思てた。したらあの女、わざわざ記者に『いい友達』やとか巫山戯た事言い出しよるし…。しかも……」
「しかも…なんだよ」
その先は思い出したくないとでもいうような市丸の表情に、まさか本当に何かあったんじゃあと、再び嫌な考えが頭を過ぎる。だが、市丸は心底うんざりという顔をして吐き捨てるように言った。
「いっその事本当に付き合おうか言われたわ。冗談やないで、なしてボクがあんな女と付き合わなアカンねん。ボランティアでも御免やで」
「ボ……」
あまりな言い草に、そこまで言わなくても…と思わず同情する。
いや、断ってくれたのは単純に嬉しいのだが。
「まさかそれ…、本当にそう言ったんじゃないよな…?」
ある意味、市丸なら言いかねないと恐る恐る聞けば。
ニヤ…と市丸が人の悪い笑みを浮かべた。
「近い事は言うたな。たとえ素っ裸で立っておっても食指なんか沸かへん言うたった」
「ひ……」
酷ぇ……。
そりゃその気がない相手には、容赦なく断るのも確かに筋だとは思うけれど…。
やっぱり、コイツひでぇ…。
仮にも相手は女優だ。さすがに今までそんな断られ方なんてされた事ないだろうに……。
「この世に一護以上の相手なんか居る訳ないやろ。言うとくけど、ボクをここまで溺れさしたん一護やで?その責任はちゃあんと取って貰わな」
「ギン……」
啄むように口づけられながら囁かれる言葉に、今までの不安が跡形もなく解けていく。
「あ…、キュウって締まったで」
「バカ…」
一護の身体の反応を揶揄うように言う市丸の口角がニヤア…と吊り上がる。
「せや、ボクんこと疑うたお仕置きもせなアカンなあ。こないに一護一筋やのに、ボク悲しいわ…」
「え…、いや、待てコラ!…おい…っ!」
悲しいと言いながら再び一護を縫いつけ、腰を動かし始めた市丸に、一護は制止の声を吐きながらも諦めたようにその背に腕を回す。
きっともう、何を言っても聞きやしない。
甘えたがりで我が儘で、ちょっぴり意地悪だけど…甘くて優しい。
誰も知らない自分だけが知っている市丸ギン。
たぶんこの先も不安な事は一杯あるだろうけれど。
「愛してる、ギン」
それでも、ずっとこの先も一緒に居たいと一護は市丸の熱に飲まれながら精一杯の気持ちを告げた。
end
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